純血の叛乱
Thu.々暮
第1話 殺しの実習
しのぎの実習に殺しはつきものだった。
失踪届も出されない。殺したい放題だ。
どうせ全てを溶かす。
どんなに惨たらしい殺し方をしたとしても文字通り水に流せばよい。
研究室として使われていた部屋から机は一掃され、行き場を失ったヒュームフードは電源が落とされていた。天井に吊るされている鉄製の排気管は今にも落ちそうな音を立てている。蛍光灯は二本あるうちの一本は寿命が切れており、もう一本はまばたきをしていた。
飯田がドアを開けて台車を引きずる。
女の入った水槽が部屋に入ってくる。
その様子を総長の橋田は腕組みをしながら見ている。
「何するんだこのろくでなし!」と叫ぶ女の声はないものにされる。
部屋の真ん中に着くと、飯田が新人の結城に水槽を台車から下すのを手伝うように言った。一、二のタイミングで飯田と結城が水槽を持ち上げる。結城の方が高く持ち上げたせいもあってか、水槽の中の女が飯田の方へ転がる。
「この女、重いな。指を挟むといけないから、水槽ごと落とすぞ。」
もう一度飯田が号令をかけ、水槽をサニタリウムに落とす。膝ほどの高さから落としたこともあり、水槽は下からひびが入る。
「痛い!早くここから出せ!」地面に置かれると、女は壁を叩き、助けを求める。水槽の外から見た怒り狂った女は、体が継ぎ接ぎになっている。体がありえない方向へ捩れて見える。
橋田が飯田に台とホースを持ってくるように指示をすると、飯田は部屋の片隅の置かれていた台を引きずって水槽のそばに置いた。橋田は台の上に立つ。それからあらかじめ蛇口に繋いでおいたホースの受け渡しをし、飯田は蛇口をひねった。水が水槽の中を満たし始める。橋田は意地悪をしたくなったのであろうか、女に直接水をかける。
「ああっ!やだ。やめて。こんなこと。」
水槽の中に入れられた女は、濡れた服から下着が透けるのを隠す。
「くだらないな。所詮は金で買われている身なんだから、ギャーギャー騒ぐなよ。第一、お前に恥じらいもクソもないだろ。結城君、あまりこの女に興奮するなよ。」
「うるさい!私は人間よ。ちゃんと住民票も持っている。あんたたちみたいにどこの腹から生まれたのか分からないのとは違うの!私はただ一時のお金が欲しいから体を売るって言ったのに。なんで訳の分からない水槽の中に入れて辱めを受けさせるのよ!」
「お前が選んだ道だ。あとお前の母親は誰なんだ?所詮は人間のなりそこないが処世術を身につけた罰だ。飯田、あれを用意しろ。」
飯田が薬品庫のある裏手へと下がっていく。
バケツの中に溶液を満たして帰ってくる。バケツを橋田に差し出す。橋田はホースを水槽の縁に垂れさせ、バケツを受け取る。
「何をするつもりなの。私を溺れさせるつもりなの?あいにく、私は溺れないわ。賢明な学者さんならお分かりになれるでしょうけど、私には耐性が備え付けられているの。私のママが備え付けてくれたおまじないのおかげでね。まあ、こんなところにいるアングラの学者さんには理解が追い付いていないようだけどね。あまり自分が時代の最先端を進んでいると勘違いしない方が身のためよ。」
「私は元学者だ。もう学者ではない。不真面目な方だからクビを食らっただけ。だからこんなしのぎをしなければいけなくなってしまったんだ。今でも学者を名乗っている奴の方が前時代的さ。人がもうでしゃばる領域はもうないというのに。彼ら曰く、唯一の知的生命体である人間としての矜持が研究へ向かわせるそうだ。前にこのことをまさに君に話した記憶が僕にはあるのだけれど、デリートされていたら仕方ないか。」
橋田はバケツの中の溶液を水槽の中に放り込んだ。
女は笑み浮かべながら水槽の壁にもたれかかる。溶液を浴びながらも余裕がある様子であった。水位は女のくるぶしほどまで達していた。
「もう少し溶液の量と浸かるまでの時間がいるようだな。飯田、もう二杯ほど溶液を用意してくれ。」
分かりましたと一言飯田は言うと、再び裏手へと下がっていく。
「ねえあなた」と、水槽の中の女は結城に話しかける。
「なんであなたはその男と一緒にいるのかしら。私の同じ生まれのはずなのに。人造人間のナショナリズムというのかしら、そういうものが足りてないんじゃないの。あなたこそ、ぞんざいに処理されていいでしょう?」
「いくら叫んだって無駄なことですよ。あなたはこの水槽の中から出ることができないですよね。それに体だって傷だらけだ。もう不良品なんですよ。まあ、後から傷が付いたから中古品というべきでしょうか。僕たちは完全な存在でなければ利用価値がない。わかっているでしょう。この体に生まれて来たなら。」
「あなたは人間の真の価値を見誤っているようですね。さては前時代式の発条でできているのでしょう?哀れなことですね。」
飯田が裏手から戻ってくると、橋田は結城にもうやめにしろと注意をして再び溶液を水槽の中に注ぐ。水位は女の膝上まで達している。橋田は女に話しかける。
「さあ、もうそろそろ君とはお別れしなければいけない。もう少しパニックを起こしてもいいんじゃないか?」
「呆れた。私の迎える運命なんてわかっていますもの。そんなの恐れるに足りませんわ。けれど、少しだけ寂しい気がしますわ。自分の人生が終わる、これからもう私として目覚めることがないと分かってしまうとゾッとしてしまう。」
「殊勝な感情だ。最期まで人間らしくいようとするのは素晴らしい進歩だよ。」
「お褒めに預かり光栄だわ。私の言葉遣いも成長したでしょ?」
「それはこちらが仕組んでいる。」
「あら、そう。意地でも私の努力を認めたくないのね。それでこそ人間だわ。けれどね、あなたが私を見下すのは古いわよ。私たちにも人権が認められていることを知らないの。あなたたちよりもよっぽど生産的。子供を産むことが生産的であると言ったのはよい。生存戦略を考えた時に妊娠というプロセスは本当にコレクト?私なら子供を自分の体の中でプロテクトなんて考えない。蹴られたら死ぬ。最初から保育器に入れといたほうが赤ちゃんのため。私たちにも細胞が通っていて、人と同じように成長して、老いる。体も心もフラジール。これでも、ニンゲンではないと、イウノ?ハジメて、人イガイからbornシタhumanトシテ。わ、ワタシ、humanトシテbornシタ。アイカノママデ”death “スル・・・」
女が倒れる。
頭まで水中に浸かる。しばらくすると、体内に危機が起こっていることを検知したのか、浅い水中でもがきだす。
耳をつく鈍い機械音が響き渡る。
ひび割れた水槽で溺れている女は四肢がもげているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます