第23話 うっ血女子と血色わるい王子⑨
タクシーできりこし総合病院へ乗りつけると、二人は受付へ向かった。
チホは受付係に
受付係にアポイントメントの有無を
病院のホームページ経由で一応メールを打っておいたが、返事はなかったのだ。
このままでは一般の外来患者と同じ扱いになりそうだった。
パーカーのフードを目深に被った
「ブラッドウィル社についてお
受付係の態度が変わった。
間もなく鎌倉の療養施設の広報と同じ人かと思うほど雰囲気がよく似た秘書が現れた。
「総病院長が、是非お会いしたいと申しております」
午後の診療があと
「よろしい。待たせてもらおう」
子供に
病院側の変わりように
二人は庭に出た。
広い
色鮮やかな花々の間をルリタテハ、キアゲハ、ベニシジミなどこれまた華やかな色合いの
花々と蝶たちを見下ろすように七本のビルが建っていた。
きりこし総合病院は、敷地内に医療技術大学と看護専門学校と歯科衛生士専門学校、タワーマンションのような学生寮、職員寮まで合わせ持つ東日本随一の医療センターだった。
「これだけ広いと、
手入れの行き届いた芝生の上を世良彌堂はフードを外し金髪を
「怪論文って何? 聞いてないんだけど」
チホは
「うん? 言ってなかったか? やつらを食いつかせる
世良彌堂がネットカフェに
世良彌堂はそのダイジェスト版を総病院長宛てに送ったのだ。
完全版は彼の二十四人の〝女〟に
自分の身に何かあれば然るべき場所へ送る
「やつらが幾ら強大でも、互いに面識のないおれの女を全員押さえるのは不可能。どうだ、良い策だろう……」
ほくそ笑む世良彌堂。
「彌堂君、ちゃんと前見てる?」
世良彌堂は気づかずに芝生から外れて花壇の中まで踏み入ろうとしていた。
チホは右手で世良彌堂の
フードがリードのように伸びた。
思わず空を仰いでぱたぱたと足踏みしている世良彌堂。
「で、論文の内容は?」
「序論からか?」
世良彌堂が不機嫌そうに振り向いた。
「100字でお願い」
「ブラッドウィル社は、吸血者に
得意げな世良彌堂。
「どうだ、ジャスト100字だぞ」
二人は芝生の中の小道を海のほうへ歩いていた。
「添加物って?」
「増量剤だ。生血を水増しする人工血液の類だ」
「ブラッドウィルの血は混じりっ気のない日本人の血でとってもおいしいって、
前を歩く世良彌堂から舌打ちが
「ねえ、大丈夫なの? 早くも論が崩れたじゃない」
「ほかは? もっと
「繭には庶民にはとても理解できない高い高ーい価値がある、でしたっけ?」
「高い価値だ」
碧い
今、医薬品業界が
ドンビに効く薬だ。
世良彌堂は
繭の成分はその脳炎の特効薬より強い作用が期待できる。
きっとドンビにも効くはずだ。
鎌倉の施設と長野の山村を見て回った結果、世良彌堂は抱いていた仮説に自信を持つに至ったという。
廃スキー場の温泉ホテルをフェンスで囲った建物は、チホの予想を裏切り、
「思い出したくもないことだ。あれは、吸血者のリサイクル工場だった」
世良彌堂の目にまず飛び込んできたのは、温泉プールから
そして、繭から釣り堀みたいに糸を紡ぐ
繭がすべて巻き取られ、露わになった患者たちは、作業員たちに衣服を剥ぎ取られ、
断面から溢れ出す透明なジェル状の液体。
大きなゴミ箱に放り込まれる吸血者の皮。
「あんな
チホは全部知らない作品だが、きっと
イトマキ症の背後で霧輿兄弟が暗躍しているのだとしたら、鎌倉の病院も患者を集めて繭を確保するためのインチキ病院ということになる。
チホは悪事の確証が得られたら、その足で鎌倉へ飛んで
「連れ帰ってどうする? それであの女の病気が治るわけではあるまい」
イトマキ症自体が協会と企業の陰謀で
「ほう。霧輿を
世良彌堂はうすら笑いを浮かべた。
「勇ましいことだな」
「彌堂君だって、メグミンさんの仇、討ちたいでしょう?」
「メグミンじゃない。メグぅミんだ。やつらがそこまで悪党なら、おれたちはとっくに消されているさ。やつらの余裕のなさはおれたちと五十歩百歩。ただ状況をコントロールするのに必死なのだ。〈
「じゃあ、どうすれっていうのよ」
チホは立ち止まった。
「彌堂君は真実を知ってどうするの? 霧輿兄弟を
「庶民の
世良彌堂も立ち止まった。
振り向くかと思ったが向こうを向いたままだった。
「真実がわかったところで、どうしようもないかもしれない。この先には、絶望だけが待っているのかもしれない。おれは前に進むが、おまえはどうする? ここで引き返しても構わんぞ」
「行くわよ。はっきり絶望できるならそのほうがいい」
せめてタクシー代分は真実を知って帰らなければ割が合わない。
二人が歩く小道は庭園を越えてさらに海へ向かって降りていく。
つるバラのアーチを潜ると小道は終わり、幹線道路とぶつかった。
道路の向こうは海だった。
白波が打ち寄せる太平洋が覗いていた。
激しいブレーキ音が響いた。
見ると百メートルほど向こうで人が
運転手がドアを開け、倒れている人を見下ろして頭を
被害者をそのままにして、運転手は慌てて逃げるでもなくただ走り去ってしまった。
「ほう。
「ほう、じゃないでしょう。通報しようよ。彌堂君、車のナンバー見える?」
チホはバッグからスマホを取り出した。
「おまえは警察が好きだな。まあ、待て」
倒れていた人が、両手をついて起き上がった。
片脚を引きずりながら道路をゆっくりと渡っていった。
道路の反対側には閉鎖された建物があった。
水族館のようだ。
被害者は入口に張られたロープに引っかかりつつも、ゆっくりとその中へ入ろうとしている。
よく見ると、入口付近に他にも二名いた。
三名とも、ゆっくりとした動作だった。
全員ドンビだった。
世良彌堂は「な?」と無邪気にチホを見上げた。
チホはばつの悪さを紛らすように、取り出したスマホで
「気になるな……廃墟に何の用だろう?」
「たださまよっているだけでしょう」
「いや、何かある。中は案外、ドンビの遊園地になっているのかもな」
世良彌堂も道を渡り始めた。
「ちょっと、彌堂君! 総病院長を待つんじゃなかったの?」
チホは道の反対側へ行ってしまった世良彌堂に呼びかけた。
「まだ時間はあるさ。
チホは水族館のほうへどんどん吸い寄せられていく世良彌堂の小さな背中を見つめていたが、溜め息を吐くと道を渡り始めた。
(つづく)
(注1)
『地獄のモーテル』
1980年公開のアメリカ映画。見る必要はない。
『悪魔の沼』
1977年公開のアメリカ映画。実際あった話だというから驚く。
『料理の殺人 人肉回鍋肉vs人肉麻婆豆腐』
実在しない作品。世良彌堂の勘違いか作り話。
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