昨日まで男だった俺、偽ヒロインだらけの学園で“キスしたら寿命が削れる”ラブコメに巻き込まれた。
辛子麻世
第一章 昨日まで男だった俺、偽ヒロインだらけの学園で寿命を削られるラブコメに巻き込まれました
第1話「女になった俺と、世界が壊れた朝」
——君を、食べちゃいたいな❤︎
肌の裏まで染みてくる声だった。
夢のくせに、息が触れた温度までリアルで、脳がバグを起こす。
真っ白な空間。光も音もないのに、彼女の立つところだけ色がある。
髪は、水色。動くたび、光を弾いて空気が震える。
瞳は夜の底のダークブルー。覗きこむたび、呼吸が浅くなる。
「——まずは味見してよ。おいしいよ?」
唇が近づいた。
冷たいのに甘い、理屈が壊れる息。
触れた瞬間、世界が——割れた。
◇
目が覚めたら、鏡の前で固まってた。
昨日の俺:冴えない男子高校生、速水 迅。
今朝の俺:美少女。しかも、夢の中のあの“水色の髪の彼女”そっくり。
「いやいやいやいや!? 待て待て待て!!」
髪は肩まで。触るとサラサラで、シャンプーの甘い匂い。
目は潤んだ青。頬を押すと、ぷにっと指を押し返してくる。
声、ワントーン高い。鈴みたい。……やめろ、可愛いとか思うな俺。
問題は——胸。
呼吸するだけでボタンが悲鳴。腰は勝手にくびれて、脚までツルッと長い。
昨日の「骨ばった男子」は、完璧に女子に上書き済み。
「返せ、昨日までの俺ぇ!!」
制服を掴む手が震える。いや待て、下着どうすんだこれ。
押し入れにあったのは、澪(みお)が置いてったスポブラ。去年の仮装の忘れ物。
「……これ着けるの俺?」
知らない美少女の裸を自分で着せ替えるこの地獄。
背中のホック硬ぇし、肌がピリピリして神経まで女になった気がする。
「うわ、きつっ……でもホールド感すご……って何考えてんだ俺!!」
五分格闘して装備完了。
胸の重み、息の締めつけ、歩くだけで身体が“女です”って報告してくる。
耐えられず、家を飛び出した。
◇
東ヶ浜市の朝は、海風がやたら機嫌いい。
男子は口笛、女子は普通に「おはよー」。
いやお前ら、昨日まで俺、男子だったの気づけよ!
当然、誰も気づかない。
この“ズレ”は笑えない。世界の方がバグってる。
犬の散歩してるおばさんが、俺の脚を見てぽつり。
「最近の子は脚がきれいねえ……」
ありがとうございます、今それ言われると余計つらいです。
◇
「……じ、迅ちゃん? おはよ……♡」
幼馴染の澪。茶髪をざっくり一つ結び。
“可愛いのにズボラ”な生き物。
俺を見た瞬間、目をハートにして玄関に引きずり込んだ。
「ちょ、透けてるってば!」
スポブラ、限界突破。首筋に息かけんな! 心臓飛ぶわ!
「はい深呼吸。……うん、サイズ合ってないね」
澪の指が胸元をなぞる。柔らかいのは俺の心の方だった。
「次、スカート。制服無いんでしょ? お姉ちゃんのお下がりなら——」
「履かせんな! 俺は男だ!!」
「詰めれば入るって。……ほら、可愛い」
“可愛い”の一言が、胸の真ん中に刺さった。
逃げるように玄関を飛び出す。夏の光が白く、世界が半歩遅れてついてくる。
「迅ちゃん、大丈夫。私が守るから」
背中で聞いた澪の声。
なんでだろう、今の声だけ、現実っぽすぎた。
◇
水明高校——“光が多い学校”。
丘の上、ガラス張りの校舎。南の窓から海が見える。
出席は「速水 迅」。昨日と同じ名前。
担任は男の名前で呼ぶのに、クラス全員は女子として見る。
世界は整合性が取れてるようで、完璧に狂ってる。
昼。購買でパン買うだけで視線が刺さる。
席に戻ると、机の上にルーズリーフ。
《放課後、屋上で話さない?》
字が違う。相棒じゃない。完全にラブレター。
机に突っ伏す。現実逃避。
(頼れるのは澪……いや、あいつ物理的に距離ゼロにしてくるから寿命縮むな)
その時、視界の端で、何かがチラッと揺れた気がした。
——まだ、見えてない“何か”。
◇
放課後。
屋上は立入禁止。旧音楽室の窓ガラスは、雨で曇ってた。
家に帰っても誰もいない。父は単身赴任、母はいない。
気づけば、足が神社へ向かってた。
北丘の端、水鏡(みかがみ)神社。
濡れた木の匂い、遠くで鈴の音。
昨日、「恋愛成就(美少女限定)」なんてふざけて願った場所。
鳥居をくぐった瞬間、空気が変わる。
賽銭箱の隙間から赤い光。石畳を這って、足元に触れる。
『——聞け、人の子』
「うわっ!? 賽銭箱しゃべった!?」
荘厳でも軽薄でもない、妙に耳に残る声。
夕暮れの赤が境内だけ濃くなり、誰も引かない鈴緒がコトリと揺れる。
赤い光が脈を打ち、空気が割れた。
裂け目の奥から、陽気な四つ打ち。
金髪、白装束を着崩した男が笑いながら出てくる。
神楽鈴を手に、軽く振ると金色の音が弾けた。
「どーも、神楽之宮 尊(かぐらのみや みこと)。海外ではそこそこ有名神(当社比)です」
「……誰だお前」
「尊でいい。様いらん。距離あるし」
ラジカセみたいな黒箱をピッ。境内にビートが走る。
うるせぇ。でも次の瞬間——視界の端に数字が浮かんだ。
《LIFE:100》
——ピコン。
鼓動と同期して光る。冗談みたいなのに、やけに現実的。
「……何だこれ」
「寿命ゲージ。減る専門。増えない」
「軽く言うな!」
尊は鈴を回し、俺をスキャンするように見た。
「出来がいいな。いや、出来すぎ。“世界補正”が乗ってる」
「世界補正?」
「お前以外は“女子の速水迅”を最初からそうだったって認識してる。担任も、クラスも、犬も」
「犬!? 犬は巻き込むな!」
「知らんけど」
おい神、テキトーか。
尊の声が少し落ち着く。
「本題な。これは“選択ゲーム”だ」
「ゲーム?」
「本命とキスしたら元に戻る。偽物とキスしたら——寿命、10年減」
《LIFE:100》の数字が、冷たく脈を打つ。
「……は?」
「テンポ命だから二回は言わない。偽物キス=−10年。
R18超えると即死。嫉妬神(しっとしん)の“偽恋熱”で神経焼ける」
「観測すんなよ!!」
尊は肩を竦めた。
「救済はある。本命は必ず一人。“はず”だけどな」
「“はず”多いな!」
「神は保証しない。責任取ったら神じゃなくなる」
軽口の奥、鈴の音だけが冷たく響く。
「気をつけろよ。嫉妬神は恋を歪ませるのが趣味。見た目は——おいしそうだ」
夢で見た水色の髪が、喉の奥を熱くする。
「じゃあ、俺はどうすればいい」
「本命を探す。偽物とは距離。ゲージが赤く点滅したら逃げろ。
嘘はダメだ。笑って誤魔化すのは得意だろ? テンポで生き延びろ」
「人の人生をテンポで語るな!」
尊は踵を返し、裂け目の縁で振り向く。
その目だけ、妙に真っ直ぐだった。
「——鈴が鳴ったら、世界は割れる。
お前はその割れ目で“順番”を選べ。言葉→形。逆だと死ぬ」
「脅しかよ」
「ちょっとは、な」
ラジカセが止まり、裂け目が閉じる。虫の声が戻った。
静かすぎる。
《LIFE:100》は白く呼吸している。
(……明日の下着、どうしよう)
ホック戦死。ノーブラ登校は倫理的に即死。
澪に借りる? 距離ゼロでピコン確定。
結論:買う。一人で。
スマホを開き、近場のモールを検索。
下着売り場は三階。羞恥は中ボス。ラスボスはサイズ表。
「命は装備から、だ」
口に出すと、海風がスカートを攫った。
慌てて押さえる。
遠くの校舎の窓が橙に光る。どこかで鈴が、からんと鳴った。
《LIFE:100》
白は保たれている。
でも、数字が“ここにいる”気がした。
——鈴が鳴ったら、世界は割れる。
順番は、俺が決める。
俺は歩き出した。
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