灯火記録結晶ーーさっちゃんの記録


“さっちゃん”と呼ぶその瞬間、仲間の絆は深まり

 ――灯火記録結晶は世界の命運を刻み始める


「……ご用件は、何でしょうか」

 ミュリアは伏せ目がちに尋ねた。王の眼差しが、

 自分の奥底を覗き込むように思えてならなかった。

「“灯”とは、失われて久しい理。寿命と記憶、意志と運命を束ねる秩序の光。

 ……それが再び灯った。彼女によって」


エルディ王は、窓のない部屋の中で、虚空を仰ぐようにつぶやく。

「我々は知らねばならぬ。その灯が“いかにして灯ったか”。

 それが“いかに世界を変えていくのか”を。

 記録が必要だ。精密で、感情を捉え、欺瞞を許さぬ記録が」


王は懐から小さな箱を取り出した。

開かれたその中には──赤い宝石の欠片。ゆらりと金色の光がゆれる。

「これは“灯火記録結晶”──女神の記憶を宿す器。

これに貴殿の記録を重ね、彼女の傍で、彼女を写し取ってほしい。

 記録者ミュリア。これは命ではない、懇願である」


言葉を返せず、ミュリアはただ結晶を受け取り、胸に抱きしめた。

「……記憶が苦手なあの方に代わって、

 この小さな光の中に“彼女の人生”を、私が残していきます」


ふいに、王の顔がわずかにほぐれる。

「……あの者は、世界に残された光だ。

 ゆえに頼んだ。……頼むぞ」

次の瞬間、部屋の明かりが再び灯ると、王の姿はもうなかった。


王宮を出たときには、すでに夜が深く広がっていた。

冷たい夜気が、火照った身体をようやく落ち着けていく。

揺れる108の灯、S級ダンジョン、王から託された記憶結晶

……立て続けに押し寄せた情報の奔流に、胃の奥がきりきりと痛み、

尻尾は警戒するように逆立っていた。


それでも足は止まらない。使者に連れられ、

ミュリアは迎賓館の前に辿り着く。


扉の前には、佐和子が立っていた。

部屋に入らず、じっと待っていたのだ。


その背後で、セリアが困ったように腕を組んでいる。

「お帰りっ」

「はい、ただいま戻りました」

「少し、震えている。何かされた?」

 佐和子はミュリアの両肩に手を乗せた。

「いいえ、とても丁重にもてなしていただきました」

「なら、いいけど…」

 佐和子は少し首を傾げ、思い切ったように口を開いた。

「あの後、考えたんだけど

 ……これから私のこと、“さっちゃん”って呼んでほしいの」

「えっ」

 冷えた宝玉の感触が、心臓の鼓動とぶつかり合うようで、

 胸がちくりと痛む。


――佐和子に冷たく突き放された様に感じていたが、


 ミュリアもまた、佐和子に自分の想いだけを

 一方的に伝え続けていたことに気づいたのだ。


――怖くて、とてもどのような気持ちで冒険を続けていたのか

 聞くことが出来なかった。


「佐和子様…」

「ぶぶっーー」目の前の少女は指先でバツを作った。

「私達はもう仲間で、これからも旅を続けていくの。

 もっと親しみを持ってもらえないと、私も寂しい」

 ミュリアはごそごそと記憶結晶をポケットにしまうと、

 目元をごしごし擦った。


「姉さんが先です」

「こんな時ばっかり!」セリアが一歩仰け反るも、

 小さく咳ばらいをする。

「さっちゃん、改めてよろしくな」


セリアの声は少し照れ隠しのように響き、

ミュリアの声は涙に濡れて震えていた。

「さっちゃん。どこまでも付いていきます。

「三人で指切りだよ」佐和子は小さな小指を伸ばした。

「さあ、メシでも食おうぜ。後ろで給使達が死にそうな顔で立ってる」


 霊道卿に粗相があればと気が気でない

 メイド達は直立して三人の様子を見守っていただのだ。


「忘れていた」佐和子がぽつりつ呟く。

「ご心配なさらず。さっちゃんの記録は、私がしっかり留めておきます」

「うん」佐和子は嬉しそうに頷いた。


そして──霊道卿・佐和子が帝国へ向けて旅立った日。

サン=ヴォーラ王国の聖堂では、国じゅうに残る灯が、わずかに揺らいだ。

まるで、誰かの鼓動が遠のいたかのように。

聖堂の空気は冷たく、それでいて甘やかに満ちていた。

それは、命が燃え尽きる寸前に放つ香気に似ていた。


巫女レン・ウィンは胸に手を当て、

神官たちとともに蝋火の前に立つ。


寿命蝋の火は、すべてを知っているかのように、かすかに明滅していた。

レンは静かに目を閉じ、唇を開いた。

それは誰に聞かせるでもなく、自らにしか届かぬ声だった。


――灯よ。

遠ざかるその光を、どうか見失わぬように。

霊道卿の選んだティルク連邦は残る三国の中でも

もっとも小暗く、祝福の届かぬ地

彼女が選んだ道がどれほど険しくとも、

その一歩に、私たちはすべての命運を委ねる。


私は恐れている。

灯が消える日を。

けれど、それ以上に祈っている。

灯がまだ揺れていることを。

その揺らぎが、私たちを導いていることを。


女神よ、彼女をどうか護り給え。

彼女の傍らにある仲間たちを、どうか支え給え。

そして私たちが、最後の瞬きまで、

その光を信じ続けられるように。


レンは祈りを胸奥で結び、静かに息を吐いた。

蝋火は応えるように一度だけ強く明滅し、

また小さな揺らぎへと戻った。


その瞬間、聖堂は言葉以上の祈りで満ちていた。


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