第29話 「幻影の四天王ヨシカゲ」


第29話 「幻影の四天王ヨシカゲ」


 俺は、城のほとりに立っていた。

 漆黒の夜空を映す巨大な堀が眼前に広がる。深さは底知れず、幅はおよそ百メートル。橋などない。まるで「侵入者を拒むためだけに存在する」かのような天然の要塞だ。


(今回の目的はあくまで……あの街の正体を暴くこと。そのために、必ず城内に辿り着かねばならない)


 呼吸を整える。

 俺の背後では、風が木々を揺らし、夜の闇が囁くようにざわめいている。


 ――天転契約・跳躍。


 契約の力が体内を巡った瞬間、俺の身体は弾丸のごとく加速した。

 光速に迫る速さ。常人の視覚では決して捉えられぬ領域へと踏み込む。


 監視の目? そんなものは意味を成さない。俺が飛び越えるこの瞬間に、誰も気づくことすら許されない。


 だが――。


 ブチャヌッ、バンッ!


「……ッ!?」


 何かが絡みついた。

 まるで巨大なカエルの舌に捕らえられたハエのように、ヌルヌルとした物体が俺の足を絡め取ったのだ。


「チッ……魔力抽出――オーバーブレイ!」


 全身の魔力を刃状に収束させ、一気に巻き付くものを断ち切る。

 黒いレンガの城壁へ叩きつけられるように落下した俺は、そのまま土煙を上げて着地する。


 城壁の上から、柔らかな声が降ってきた。


「きみぃ……ちゃんと正面玄関から入ってきてよ〜。警備兵をわざわざ減らしておいたのに〜」


 声の主は、ひとりの青年。

 白銀の髪を肩に垂らし、指先でカードを弄ぶように回している。目は細められ、笑みを浮かべていた。


「お前は……誰だ」


 青年は芝居がかった仕草で胸に手を当て、恭しく頭を下げる。


「名乗ろう。私はヨシカゲ。魔王様に仕える最後の四天王にして――次代の魔王となる者だよ」


 その言葉に、空気が一気に張り詰める。

 四天王……最後の一人。つまり、ここを突破しなければ城の奥へは進めない。


「……なら話は早い」


 俺は地を蹴った。


 ――天転契約・跳躍!


 一瞬で間合いを詰め、首を狙って突撃する。

 しかし。


「ふぁ……」


 ヨシカゲの姿が掻き消えた。

 残像すら残さず、空気だけが揺れる。


「こっちこっち!」


 声だけが、四方八方から響く。


 ――ドスッ!


 腹部に衝撃が走った。いつの間にか背後に回られ、蹴りを食らったのだ。


(……はやい! いや違う……これは!)


 視界の端にチラつく影。次の瞬間には別の場所で笑うヨシカゲ。

 動きが速すぎるのではない。これは――幻影。


「アハハハ! ほらほら、どうしたのかな? 本体を見つけなきゃ、一生この影遊びで終わっちゃうよ」


 挑発する声が木霊する。


 ――なるほど。分身に攻撃をさせて、俺の思考を一瞬止めさせる。そうすれば本体を見失う。まさに幻惑戦法。


(ならば、こっちも一瞬で見抜く!)


 ――天転契約・天女神視付与。


 発動時間はわずか一秒。

 その一秒間だけ、女神の視界を借り受け、全ての幻影を無視して真実を見抜く。


 世界が反転する。

 数えきれぬ幻影が霧散し、一人だけが残った。


(……いた!)


 俺は迷わず駆け出した。

 ヨシカゲの本体めがけ、一直線に――。


「へぇ……そこに来るか」


 ヨシカゲの笑みが深くなった。

 幻影の仮面を破った俺を見据え、愉快そうに舌なめずりする。


「やっぱり、きみ……ただの侵入者じゃないね」


 その声に、ぞくりと背筋が震えた。

 ここからが本当の死闘だ――そう告げられた気がした。

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