Untold

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燈のためなら蕐さえも

春原悠乃ハルハラ ハルノの両親は、悠乃が小学校に上がる前に離婚した。


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悠乃の父は守上スガミ神社を総本社にもつ系列社の神主だ。

彼は本来はお見合い結婚をするはずだったが、のちの悠乃の母親・真木子マキコは一目惚れから猛アピールを実行。

さらに付き合った彼に頼み込んで恋愛結婚を求め、それは実現された。


そののち二人は、双子の姉妹、悠乃ハルノ遼奈ハルナを授かる。


しかし努力だけでは神主の嫁はつとまらず、その役割は彼女のキャパシティには収まらず、

(医学的な診断は避けるが)

真木子はいわゆる適応障害の診断が出てもおかしくない状態か、あるいはそれよりもひどい状態になる。

起き上がることもままならず、家族の朝食も一族の女中に任せ、

一時は用を足すことも困難であったことから、おむつを必要とする暮らしをする。


これらは春原の家にとっても完全に想定外な状況だった。

春原の家や関連する神職の者達も彼女に対して、まずは自身のための休息を取るよう求めるが、真木子の両親は、子を持つ母親となった娘の様子を電話で知って激怒し、

その日のうちに彼女を実家へと連れて帰った。


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実家で暮らしなおした真木子は、その両親の態度により、手に入れた家族を失うことのイメージに囚われ、さらに発作としてパニックを頻出する。

心無い友人による表面的な共感と、娘の養育に対しても高い自尊心と自己愛を持つ

両親の強い勧めもあって、

「一度離婚をすれば旦那はわかってくれて、神職から離れることを受け入れてくれるだろう」という幻想的な結論を容認、

両親とともに春原の実家を訪れ、祖父母となった両親が離婚届を突きつける場面に

真木子も同席する。


さらに悠乃の母方の祖母が信じている、その正しさについての絶対的な自尊心から、

その場には悠乃と双子の妹である遼奈も同席させられる。

また離婚後の生活についても、母方の祖母は孫二人に母親を選ぶことを勧めた。


しかし悠乃は妹よりも早熟だったためか、彼女にとっては父方の家に残った方が生活上のメリットが大きいことを知っていた。

それというのも春原の家は守上村に極めて近い位置にあり、

悠乃自身守上学園への入学を望み、実現を楽しみにしていたからだ。


事実、悠乃の父親は守上神社の系列社の神主であることから、

悠乃と遼奈が学園に入学したのち、寮生活をする上で、

地理的にも経済的にも、そして将来的にも大きなメリットがあった。


だからこそ、悠乃は自分が母方の家に引き取られることを選び、

引き換えに妹が父方の姓を残すことを祖父母に認めさせた。


結果として離婚は成立し、悠乃の母も悠乃も春原の姓を捨てることもなく、

妹の遼奈だけは父親のもとで、悠乃は栄岐野の端にある母方の実家で暮らすことになり、

悠乃の母が思い描いた結果になることは決してなかった。


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これにより、悠乃は通い始めた小学校で、そののち探偵団の仲間となるギンジたちと出会う。


ただし、彼らとの初めてのタイムトラベル先で解決の中心人物となった悠乃は、

苦しんでいる他人を救うという「救済の構造」に大きなショックを受ける。

それゆえ、悠乃はたった一度でギンジたちとの活動からは離れたのだが、

この選択はやがて後悔に近い迷いを生み、探偵団の校内おたより活動を利用して

ギンジへ無記名の相談を出すことで、悩みに対する探偵団としての回答を求めた。


ギンジからの返事はささやかだったが、悠乃の質問はむしろタイムトラベル先で活動したギンジを、ひっそりと助けることとなる。


余談ではあるが、

そうしてギンジたちが数年間もの間、探偵団としての活動を続ける裏で、悠乃もまた独りで、ギンジたち以上に特殊な別の活動に身を投じなければならなくなる。

のちに彼女が手に入れた最初のギターは、その中で出会ったある人物から渡された

ものだった。


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一方そのころ、娘に中学への入学の時期が近づいてくるも、悠乃の母は相変わらず元夫への未練を続けていた。

そして現状の娘の存在や共同生活の中に自分の未来を感じないまま、自身と元夫のみをイメージした理想的生活を夢に抱いていた。

それゆえ期待を込めて、娘の守上学園への入学手続きを進めてしまう。


しかし悠乃はギンジと絶対に離れたくなかったため、入学試験を白紙テストで提出し、面接の際も正直に両親の話と入学拒否の希望を伝えた。


当時の面接官は、それゆえになおのこと学園の寮への避難をうっすら勧めたが、

悠乃はやはりギンジの存在から、推奨を受けた提案を承諾することはなかった。


悠乃の出した成果が願望の達成にそぐわない事に一層の不満を募らせた母は、

自らは心身のさまざまな不調に対応しつつ、さらに子のある生活をさせられる母親

としての側面を維持する自身の努力の結果と比較することで、

さながら自慰的に、両親譲りの自尊心、あるいは虚栄心が日々増長し続けるという、エコーチェンバー的なサイクルの日常を送っていた。


数年会っていない遼奈についても、悠乃と比較する場合にためにのみ、そのイメージを利用していた。


悠乃は、母が祖父母から過剰に擁護される状況のなかで、

自身は母の期待あるいは妄想の達成の一役にさえ届かず、実現能力に乏しい自身を、その存在の劣悪さを共同生活圏内で耐え続ける毎日を送り続けている。


まもなく悠乃は、自己嫌悪を紛らわせるかのように、時折隠れて会っていた父親に対する憧れでもって、有名ブランドのミニギターを新たに買った。

そのことを家族やクラスメイトには一切知られたくなかったことから、

栄岐野中心部を境に実家から最も離れた反対側の区画を中心に、路上ライブ活動を

始める。

それは後に、悠乃と蒔乃愛音マキノ ラブネとの邂逅の場所となった。


やがて栄岐野市内で、日輪の座の事件が起こりはじめる。


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日輪の座はそもそも家庭を持つ女性たちが中心となって活動する、極めて普遍的な

ヨガサークルだったのだが、

はるか未来の別の惑星で軍事的なプロパガンダ活動の実践教育を受けた愛音たちにとって、ただその名称がなによりも好ましかっただけの団体を乗っ取ることは容易

だった。


ヨガサークルから、より活発な形式のヨガの導入と太陽礼拝のための登山活動を

経て、ヨガ要素を織り込んだダンスサークルへと徐々に移行。

そして地域的な活動からメディア活動へと発展させ、

やがて地下アイドル活動のビジネスをフロント企業に構えるカルト集団となった

日輪の座だったが、


ギンジ達の仲間は、ネット上に広がる噂を信じて、子供なりの興味本位と雑な正義感でその団体の活動拠点へ侵入。

彼らを助けるためには十分すぎるほどのギンジの「説明」によって、愛音たちは

日輪の座を離れ、組織は崩壊する。


しかし彼女らの超常的な科学技術の影響も作用して強い信仰を抱いた日輪の座の信者たちは、団体から離脱した愛音たちの存在以上に、

眩いほど心地よかったカルト的活動の終焉と、そこで培われた世界観、

過剰なまでに近い「他者との価値観の共有の距離感」の崩壊を受け入れることが

できずにいた。


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あるとき、放棄された日輪の座の存在へ参加していた知人を通して、その存在を

高瀬海緒タカセ ミオが知ることとなる。


高瀬は空白となった集団の新たな象徴的偶像を、学生時代のいっときを共に過ごした友人Nへと徐々にすり替え、さらにはその友人Nによって救済されたものたちを幅広く集めることで、高瀬自身が理想とする集団としての宗教法人・日輪の座を再度

立ち上げ、元信者の希望にも即した形で、徐々に団体の形態を再生・変化させて

いった。


高瀬が過去の日輪の座の活動を参考に、日輪の座の再生を実現するために最も重点を置いたコンセプトは「家庭を持ちながら、だからこそ孤独に過ごす同性達の協同感」

だった。

そうして誘われたうちの一人が悠乃の母親、春原真木子だ。


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真木子は、いまだ夢想した通りに人生が展開されない怒りと精神・肉体の不調と

老い、そしてままならない生活との中で混迷する生活を送っており、

高瀬が勧誘するうえで極めて都合のいい存在のひとりだった。


真木子もまた、新たな日輪の座のコンセプトによって救われるように、あるいは

「心理的走光性」ともいうべき生き様によって、

選民的な高揚感をもってして、本格的にカルト教団へとなりつつある日輪の座へと

入信する。


悠乃も母の行動を

「主婦間の交流に結構なお金を使う母親になりつつある」ものとして朧げに知って

いたものの、

外部の他者との交流を深めつつ、活動的な生活を送りはじめた母親を止める気には

ならなかった。


生活サイクルとしては真木子と家族でありつつも、極めて表面的な交流以外は選択的に避けて生活している悠乃は、

やがて入学した高校一年次の学祭でのステージに自薦し、一人弾き語りを行う。

その演奏と歌について校内での評判はそこそこだったが、特別な喝采もなく、

かといって無視されることもなく、

「理想的な普通」を求める悠乃としては、穏やかで最高の結果となった。


悠乃はそれまで自ら内面について、怒りっぽさや冷たさの理由を性格論として自身に結びつけていたが、

その点に対する養育環境の重要性や、自らに起きている身体的なフラッシュバック現象との関連性を知ることもないまま、

ほぼ自らの努力と主体的選択、そして出会いを起点に、理想的かつ希望的な段階を、

歌声をたった一人へと届けられたらいいなという、小さな望みの起点を手に入れた。


しかし、学祭での彼女の演奏は、好んでPTA活動をしていた日輪の座の信者である

一人の女性の目に留まる。

その情報は女性から高瀬海緒へ、そしてある種の目的を孕みつつ、悠乃の母親へと

伝わっていった。


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ある朝、悠乃は真木子から日輪の座の日曜集会で一度だけ演奏することを求められる。


真木子の持つ元夫への復讐にも似た執心と病的な不調、腫れ物にでも触るような

祖父母による異常な過保護、

その孤立した日常を経て、現在のカルト教団での浪費活動に至った経緯から、

真木子がその娘や両親に対して異常な尊大さを、信ずるべき正しさとして隠さずに振る舞うことは、ある意味当然の帰結ともいえる。


悠乃は、真木子による暴力的ヒステリーの被害を避けるため、その日曜集会での演奏を渋々と受け入れた。

ただし悠乃にとって守るべきものだけは守るために、路上ライブは知られないようにしつつ、普段歌っている自分の歌は決して歌わないように、

そして若干の変装をしながら。


さらに、思いのこもっていないありていの曲を一朝一夕で書き下ろし、

その曲だけは自宅で、実際はあくまで自宅のみでの練習する理由を得た。

そうした悠乃の様子を見ると、真木子の胸中には自尊心が満たされるような高揚感が訪れ、経験したことのない正当感を伴う、世界から肯定されているような気分に

なった。


やがて当日が訪れた。


悠乃の訪れた日曜集会の会場には、かつて愛音のアイドルビジネス活動を経験して

いた者も多かったため、

悠乃の予想とは裏腹に、宗教的な印象のない雰囲気のまま演奏会を終えてしまった。

最悪なことに、過剰な絶賛も不快感もない会場での経験がゆえに、

以降も悠乃は、日曜集会での演奏の要求に半年ほど応え続け、断われずにい続けて

しまう。


やがて悠乃は真木子の言いつけで、日輪の座における太陽洗礼─入信の儀式─を

受けさせられることとなる。

この頃には真木子のヒステリーは表面上落ち着いていたものの、悠乃は彼女の

要求をその場で直接断ることによる発作の再発を、その原因を自らの選択の失敗

として、なにより忌避していた。


そして数年前の守上学園での入学面接の経験も相まって、真木子に直接伝えることは

悩みつつも、日輪の座の人々になら直接伝えられると考えた悠乃は、

ひとまず真木子に付き添い、別の信者が運転する車に同乗して、宗教施設へと向かった。


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施設に近づくと車は地下の駐車場へと入った。

車を降りた三人、悠乃と真木子、そして別の信者は、施設へと入るエレベーターに

乗る。

それはかつて、同集団の活動基盤の準備に超常的な科学技術を使用していた愛音が

用意した、異様なまでに高品質なエレベーターだった。

搭乗する三人に一切の振動を感じさせないまま、早く、そして静かに地下深くへと

降りてゆく。

まもなくエレベーターの扉が開くと、信者と真木子に続いて悠乃もエレベーターを

降りた。


目の前にある通路の片側はコンクリート打ちっぱなしの壁、

もう反対側は崖から海を、時間さえ合えば日の出も日の入りも眺められる、一面

樹脂製の壁になっており、

通路幅の狭さの割に、爽快な開放感を感じるつくりだと悠乃は感じ、

建物の構造的には不可解なほどに心地よく響く自然な波音を聴いて、その建築技術に感動していた。


そして通路のわずか5mほど先には別の部屋への引扉があった。


エレベーター脇に立っていた真木子が悠乃の後ろで中へと戻り、無音で閉じるエレベーターに乗って上の施設へと向かったことに気づかないまま、

そのまま信者の後を歩く悠乃は、ある予想していた。


おおよそ扉の向こうの部屋の中に教団の偉い人か、何かそれに当たる人物がいて、

そこで海外ニュースで見たような水をあびる洗礼なのか、煙を浴びせられるとか、

なにかそういうことが行われるんだろう、などと。


信者が重そうな金属製の引扉を開けて部屋に入り、そのあとに続いた悠乃が目にしたのは、全面がコンクリ打ちっぱなしの240平米の巨大な部屋と、やけに細い数本の柱、部屋の中央に置かれた真っ白いバスタブと洗面器、水色のかなり大きめな

バスマットと、その上に折り畳まれて置かれた数枚のバスタオルだった。

悠乃がその広さに唖然としていると、後ろから「教主様がご寵愛くださいます」という声と、引き戸が閉まる音が聞こえた気がした。


振り返ると扉は閉じており、部屋の中にはもう悠乃しかいなかった。


悠乃がまずとった行動は、眉間を押さえ、脱力するようにしゃがみ込み、うめくような鼻声をもらすことだった。

そして自身の認識のあまりの甘さをなじり、想定していた以上にその人生が致命的に

壊滅的だったことを、その身をもって知った。


体感時間としては2分ほどだったが、実際は15分ほど経ったあとに悠乃は立ち上がり、中央に置かれたバスタブに近づくと、洗面器の中に見つけた剃毛用の剃刀を

素早く手に取り、

バスタブの周辺と排水溝の周り、そして施錠された引扉と壁周辺をくまなく調べた。


高校の教室の数倍はある広めの地下室にもかかわらず、部屋の探索は極めて簡単に終わり、唯一の金属製のドアが施錠されていることだけを悠乃は確認した。


それ以上なにも思いつかない自身がパニック状態にあると気づいたものの、もはや

その状態はどうにかするものでさえないと認め、

ハッとして父親から渡されていた携帯電話を取り出した。

電波がいずれの場所でも交信出来ない完全な密室である事実について40分ほど

かけて丁寧に確認すると、壁にもたれたまま、悠乃は室内の探索をやめた。


そのまま父方の祖父からもらった手動巻きの腕時計の分針が一周するまで座り込み、

次の一周を、その次の一周を待つべきか、すべて受け入れるべきか逡巡した。


2分後、悠乃は中央のバスタブに歩き出し、そこへとたどり着くと靴と靴下を

脱いだ。

そして置いてあったタオルを雑に咥え、着衣のままバスタブの湯の中に飛び込んで、

タオルを奥歯で噛み締め、バスタブ全体を2枚のバスタオルで覆い隠し、両足と肘とでバスタブの内壁を力一杯押し付けると、

剃毛用に用意されたソレをさらに強く握り締めて、使用した。


こうした悠乃の選択は彼女によるものではなく、崩れゆく足場を飛び移り続けるような日常を過ごした拠り所によって、其れが普遍的価値をもつ行動にすぎないのだと、

彼女が導かれ続けられたゆえに他ならない。


翌日の新聞には、市内の砂浜に上がったひとつの遺体について事件性はないと明記された、極めて小さな記事が載っただけだった。


彼女の妹の遼奈もまた、

姉によって母親と母方の祖父母との交流を奪われた怒りだけを抱きながら、

のちに誘われた守上学園高等部のアイドル研究会所属にて、電脳部部長からの外部依頼を受けて、

後にアッシュ・ミソロジアとなるデザインの素体モデルを務める青春時代を過ごしたが、姉によって助けられた事実を知ることは、最期までなかった。


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Continues with "Flowers 'n Blossoms"

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