第三章:指先の記憶

第三章:指先の記憶

その日から、遥と会うために毎日駅に通った。

少し早めに仕事を切り上げ、コートの襟を立てて電車を降りる。

ロータリーの先、いつもの場所に彼女は立っている。

初めて話した日と変わらない笑顔で、何も覚えていないようで、

それでも、俺の顔を見て言った。

「なんだか最近、あなたに会うのが楽しみになってきたよ」

それだけで胸が詰まった。

彼女は**“今のこの瞬間”**を、ちゃんと大切にしてくれている。

「ねえ、寒くない?」

遥がポケットから小さなカイロを取り出す。

俺の手にそっと触れさせると、彼女の指先がかすかに震えていた。

「……手、冷たいね」

「うん、でも不思議。あなたに触れると、あたたかくなるの」

彼女の声は、真冬の空気のなかでもやわらかかった。

ほんの数秒、手を重ねただけなのに、

そのぬくもりは何年も前から知っていたような気がした。

まるで、忘れられた記憶が、指先から戻ってくるように。

遥の瞳がふと揺れた。

そして小さく呟いた。

「……ごめんね。なんでか、涙が出そう……」

それが何の涙なのか、まだ彼女は知らない。

だけど、俺は確信した。

——遥の中に、俺たちの記憶は、ほんの少しずつ残っている。

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