第 10 話 蠱毒の儀式
薄暗い部屋に響く椅子から崩れ落ちる音。
——ドサッ、ドササ、ドサッ——
レイモンド以外の者たちが、まるで操り人形の糸が切れたように椅子から崩れ落ちた。レイは目を見開いて三人に駆け寄る。幸い、かろうじて息はしていた。
「あぁ、少し眠ってもらっただけだから……いても邪魔だしね……」
レイモンドの声は、いつもの威厳に満ちた調子ではなく、どこか病的な響きを帯びていた。
「……ねぇ、レイ……蠱毒って知ってるかい?」
「コドク……『器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする』という、他国で用いられている呪術だと聞いておりますが……」
レイの声には警戒心が滲んでいた。長年魔法使いとして生きてきた経験が、この状況の異常性を察知していた。
「ふふ……じゃぁ、このことも当然レイも知ってるよね?……近年才能豊かな子供が中々恵まれてないって……」
レイモンドは仄かに笑う。その笑みには、狂気の影が宿っていた。
「えぇ、都市では有名かと……」
「そうだろう?私の代ではやっと子宝に恵まれてね……目に入れても痛くないとはこのことだね。……あぁ、ここまで言えばレイも当然わかるよね?」
「……私の孫もその中に入ってますからね……」
レイは苦虫を噛み潰したような顔をした。彼の白い髭が僅かに震えている。
「君は察しがいいから孫が産まれた時も見せに来なかったもんね……」
「ご謙遜を……孫を、親元から引き離すのは野暮というものでしょう?」
レイは微笑むが、その目には何の感情も見えなかった。長年の経験が培った、感情を隠す技術だった。
「でも、ウチの子は運がいい……より良い魔力を保有した子らが分家に産まれた。トール、ディロス、アーガン、ディ、他にも歳の近い子供を呼んだ……とくにディはいい……その次が、トールだね。まぁ、ついでにスパナ……君のところの孫も呼んであげたよ?誰が最後に残るだろうね?楽しみだよとても……私としては、誰でもいいんだ。私の息子に凝縮された蜜を与えるんだから……」
レイモンドは机に肘をつき手を組んで不敵な笑みを浮かべた。その表情からは、もはや正気の人間のものとは思えない狂気が溢れ出していた。
「なぜそこまでするんですか?同じ身内ではないですか?」
「身内?はっ!!バカバカしい、ウィリアム家にはもともと分家なんて必要がないんだよ。この頃分家が、魔力保有数の大きい子らがよく産まれるね?それを知ってどんな気分か知ってるかい?どんなに惨めか君にはわかるかい?直系の子らは魔力保有数が格段に低い……それはなぜか?分家がいるからだよ?私の息子が魔力が少ないのは君達の子らが魔力を奪っているからさ……それは取り返さないとおかしいよね?もともと私の息子の魔力なんだから……」
そう言うとレイモンドから溢れる濃い瘴気が辺りを漂い始める。それは、古代の邪悪な存在が放つ異質な暗黒の力だった。アウリシェルの森で封印の石の近くにあった瘴気と魔力の痕跡は、今漂うこの瘴気と同じ性質を持っていることが、レイにはすぐにわかった。
レイは目を瞑り感情が爆発するのを抑えるために一呼吸した。
「やはり…アウリシェルの森にあった指輪は、以前おぬしが持っていた指輪と似ておった…おぬしは……闇に心を侵食されてしまったか…」
レイの声には、深い悲しみが込められていた。
「……そんなに思い悩んでいたんですね……心を壊すほど」
「……レイ……頼む——私が正気を保てるあいだに……殺してくれ——」
泣き笑いのような表情を作りながら、レイモンドは瞬時に理解したレイに懇願した。その瞬間、彼の中に残っていた人間性が最後の叫びを上げていた。
「ですが、貴方はウィリアム家当主だ。他の者が黙っていないでしょう。……それは貴方の個人の願いですか?当主としての命令ですか?」
「……わかった。……ウィリアム家当主レイモンドが命ず、私を殺せ」
「……御意に」
レイは胸に片手を当て静かに答えた。その姿には、長年仕えてきた主への最後の忠義が込められていた。
最初は分家にも魔力を保有する子供が産まれるのは嬉しかった——
本家以外に強い魔力を保有する子がいなかったから——
いずれ産まれてくる私達の子供の手助けをして欲しかったから——
セツナと一緒に祝福した——
だが、待てど暮らせど子は産まれなかった——
自慢の両親になり得る自信があったのに——
その間も分家の子供が産まれる——
私の魔力よりも強い力を秘めて——
何年も……何年も……子は産まれず——
セツナが先におかしくなった——
二人で乗り越えようと励ましあい——
やっと産まれた可愛い我が子——
分家と比べるとあまりにも少ない魔力の保有数——
魔力は伸ばすことなどできない産まれ持った神からの祝福——
私は初めて神が憎いと思った——
産まれて本当に嬉しかったのは本当——
だが、同時に落胆も湧いたのも本当——
それでもいいとそう思っていた——
あの日までは——
可愛い我が子はとても弱かった——
魔力も体力も弱く頻繁に体調を崩した——
なぜ我が子が……と嘆いた日もあった——
原因は古の呪い——
『アビス・サーヴァンツ』と呼ばれる古代の邪教集団による呪術——
相手のわからぬ者に可愛い我が子が呪われていた——
それを知ったとき私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた——
【憎いか?】
声が響いた。それは人のものではなく、深淵から這い上がってきたような異質な音だ
った。
あぁ……憎い、可愛い我が子がなぜ——
【救ってやろうか?】
救う?可愛い我が子を呪いから開放してくれるのか——
【我には造作もないこと】
お前の話に耳は傾けない——
【望め……我を受け入れろ】
いけない……お前の力なんて必要ない——
【我がその憂いから救い出してやろう】
いらない……必要ない——
【望め】
私は守るべき者がいる。お前の思いどおりにはならない——
【お前の守るものなんて最初からない】
おかしなことをいう——
【お前のツガイはお前なんて愛していない】
そんなことわかってる——
【なら教えてやろう……お前の言う可愛い我が子を呪ったのは】
言うな……これ以上聞きたくない——
【お前のツガイだ】
な……に……っしまった——
その瞬間、レイモンドの心の防壁が崩れ落ちた。深い絶望と憎悪が彼の心を支配
し、古代の邪悪な存在が侵入する隙を作り出してしまった。
【ははぁ!揺れたな?隙ができた……我がお前を喰らう!!】
っく……そうはいく……か——
【もう遅い!我はお前の中に入った。お前の闇をくらう。お前の体ももらう】
お前の好む闇を作らなければいいだけのこと——
【どうだろうな?我は勝てる戦しか手を出さない。お前の周りには既に種を蒔いてい
る】
どういうことだ——
【そのままの意味だ。我が予言してやろう……もって五年だ】
お前に私の体はやらない——
【じゃぁ、我はお前の中で寝て待つとするか……闇を喰らい続けてやる】
そうはいかない……負の心を抱かなければいいだけのこと——
【どんな些細な負の感情も我の餌になる……お前は逃れられない】
アイツの言う通り、私の周りには既に芽が出ていた。それは私ではどうしようもないほどまで膨らんでいた。私が気を抜いた時も侵食しようとしてきた。夜もまともに眠れずに……
多くの医師、魔法使いに掛け合ったが手遅れだと言われた。絶望した。その間もどんどん侵食してくるアイツに恐怖すら覚えた。もうだめだと思った。
お前に……
レイの存在を思い出すまでは……レイ……私は時々正気を失っていたみたいだ。気づいた時、いつの間にか両手に血が付着していた日はとても恐ろしくてね……でも、君の声を聞いていたら安心できたんだ。
君のそばはとても落ち着くし、アイツもなぜかその時だけは侵食してこなかった……今思うとできなかったんだと私は思う……それに、君の孫はすごいね。僕の中にいるアイツの正体を瞬時に確認し、見ていたんだ。
アイツも萎縮するほどのね……初めて感じたよ……将来が楽しみな子供に会えた。嬉しかったんだ。私は……そしてレイ……君には感謝してもしきれないよ。
——ありがとう——
私を殺してくれてありがとう——
もうダメみたいだ……うまく口も喋れないな——
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