第 5 話  レオ、本家へ行く

翌朝、薄っすらと東の空が白み始める頃、レオは祖父のレイと共に目を覚ました。窓から差し込む朝の光が、部屋の中をやわらかく照らしている。

「レオ、まだ寝ていていいんじゃぞ?」

レイの優しい声に、レオは布団の中でもぞもぞと動いた。寝ぼけ眼で祖父を見上げながら、小さく欠伸をする。

「む〜まだねむい……じぃじ〜、また、どこかいくんでしょ?」

レオは、眠たげに目を擦りながら問いかけた。レイは苦笑いを浮かべ、レオの寝癖で立った髪を優しく撫でる。

「今日は朝食を食べてから一緒に出かけるんじゃぞ?」

その言葉を聞いた瞬間、レオの眠気は一瞬で吹き飛んだ。茶色の瞳が輝き、布団から勢いよく身体を起こす。

「……え!じぃじといっしょ?どこいくの?」

レオの突然の変化に、レイは微笑ましそうに眼を細めた。しかし、次に口にする言葉には、わずかな重みが含まれていた。

「儂と一緒にお出かけじゃ……本家にな」

「ほんけ?なにそれ?」

レオは首を小鳥のように傾げ、純粋な疑問を浮かべる。その無邪気な表情を見て、レイの心に複雑な感情が湧き上がった。

「な〜に、ただの顔合わせじゃ……」

「かおあわせ?」

「お前と年の近い子らに挨拶をするんじゃよ……」

レイの表情は穏やかだったが、心の内では様々な懸念が渦巻いていた。


(本当はレオを本家に連れて行きたくないが……そうもいかん。下手をすれば反感を買う。今まで病弱だと言って済ませてきたが、もうそれも限界じゃ……本来なら生まれてすぐに会わせなければならなかったからの……ちと心配じゃ……儂でさえも入ることが困難な場所だしの……)


レイは無言でレオの頭を撫でながら、思案にふけっていた。レオはその感触がくすぐったいのか、目を細めて幸せそうに笑う。

「ぼく!ちゃんとあいさつできるよ!」

レオの自信に満ちた声に、レイは現実に引き戻された。

「ん〜……?じゃぁ、儂にも教えてくれんかの?」

「うん!……キッ!!はじめまして!レオです!なかよくしてやってもいいぞ!!」

一呼吸置いた後、レオは眉間に皺を作り、祖父を睨みつけるような表情で手を差し出した。その威圧的な態度に、レイは驚愕した。

「……………………れ、レオ……それは誰から教えてもらったんじゃ?」

「えっ?このあいさつちがった?じゃぁ……レオだ!よろしくな!!かな?」

今度はベッドの上で腕を組み、ふんぞり返りながら言うレオに、レイは言葉を失った。

「レオや……それは誰から教えられた?」

「む〜……これもちがうの?わかった!……よびよせるとはいいどきょうだ!ほうびになをおしえてやる!こうえいにおもえよにんげんめ!」

「レオ!もう良いわ!!全部違うぞ……お前はどこでそんな言葉を……っは!精霊か!?精霊なのか!?」

レイの慌てた様子に、レオは不満そうに頬を膨らませた。

「えぇ〜、ぜんぶちがうの〜?」

「全部違うな……誰かに教えてもらったのか?」

「んん〜……ちがうよ?おしえてもらってないよ?みただけ。みんながにんげんとしゃべるときはつよくでなさいって……あっ、そうか!もっとつよくいえばよかったんだね?」

「レオや!ちょっと落ち着きなさい……初対面の人にそんな口調で喋ったらいかんぞ……」

「そうなの?しょたいめんのひといがいはいいの?」

「それもいかん……まずは挨拶からじゃ……レオはいつも挨拶しているじゃろ?」

「うん!おかあさんがひととしてのじょうしきだっていってたもん!」

レオの素直な返答に、レイは安堵の表情を見せた。

「レオはちゃんと覚えておったか?……いや、言わんで良い。いいか?ちゃんと覚えるんじゃぞ?『はじめまして、レオ・ウィリアム・スパナです。よろしくお願いします』……と言うんじゃ……よいな?」

レオは真剣な表情で祖父の言葉を聞いていたが、いざ復唱してみると……

「はじめまして、れお〜うぃりやむ、すぱにゃです?よろしくおねがいします……なまえうまくいえないや」

舌足らずな発音に、レイは苦笑いを浮かべた。

「……む〜……さっきよりマシになったからよしとしよう……」

そう言いながら、レイはレオの頭を優しく撫でる。レオはその間も一生懸命に復唱を続けていたが、名前の部分だけはどうしても上手く言えないらしく、困ったような表情を浮かべていた。

「なので、レオや、今日は遊びに行ってはいかんぞ?よいか?」

「うん!」

「レオも着替えておいで。服は多分エレナ……母さんが用意してくれるじゃろう」

「うん!……おかあさん!」

レオは元気よく返事をすると、母親を探しに部屋を駆け出していった。その後ろ姿を見送ってから、レイは深いため息をついた。


「ふぅ……ベナルよ……」

すると、足元から、くぐもった低い声が聞こえてきた。

『ここにいるぜ』

「レオのあの言動は誰を真似たものじゃ?」

『俺らの誰かだろうな』

「ほぅ……俺らってことは、お前も入っているのか?」

『当たり前だろう?だが、俺の真似はしなかったがな……

「ベナルがおって何をしておるんじゃ!」

『俺は【護衛】としか聞いてないが?』

レイの抗議に、ベナルは悪びれる様子もなく答えた。

「どう聞いても、あれは好戦的な挨拶をされておるようだが?」

『そうか?俺的には普通だったが』

「あれが精霊の挨拶なのか?」

『お前ら人間は、精霊に話しかけられること自体稀だもんな……人にも十人十色という言葉があるように、精霊も個々にあるぞ?普通に挨拶してる奴もいたしな』

「言われてみれば、儂でさえもベナル以外とは話したことないな……ところで、ベナル……随分砕けた喋り方じゃな……」

『あぁ?悪いか?お前にレオのせいでバレたからな。今更猫をかぶるのもない……面倒だ』

「別に良いがの……それで、ベナル、頼みがある」

『レオの【護衛をしろ】だろ?』

「うむ。本家は何かと物騒なのでな……いつも以上に気を引き締めておくれ」

『言われるまでもない。あそこは瘴気のたまり場だ。何かの拍子に別空間に引きずられかねない』

「まぁ、本家自体がある意味別空間なものじゃな……」

レイの表情に影が差した。本家への不安が、彼の心を重くしている。

『レオの力はどう誤魔化すんだ?』

「そうじゃな、レオにはこれを下げさせるつもりじゃ」

そう言うと、レイは机の引き出しに向かい、小さな巾着袋のお守りを取り出した。革紐が通してあり、首から下げられるようになっている。

『それは……』

「儂の制作オリジナルの、レオ専用お守りじゃ……中は魔力を抑える護符と、人に詮索魔法を弾くよう呪いまじないをかけた宝石に一度だけの効果として守護の魔法をこれでもかと付与してみた…おかげて作るのに苦労したわい…」

『それで誤魔化せるといいけどな……』

「まぁ、なんとかなるじゃろう?レオも無意識のうちに魔力の放出を抑えているみたいじゃしの……」

『魔力を抑えてる?俺にはそう見えないが……』

「精霊たちだからわかる範囲なのかもしれんな?まぁ、それもお守りを持たせるから感知も無理になる」

その時、廊下からエレナの明るい声が響いてきた。

「お父さん、レオの準備できたわよ。それと早くご飯食べてね?レオはもう食べてるから」

「おぉ……」

呼ばれてレイは慌てて準備を済ませ、朝食を食べにリビングに向かった。



朝食を終え、いよいよ出発の時が来た。玄関先で、エレナが心配そうにレオの身なりを整えている。

「では、行ってくるよ」

「いってきま〜す」

レオの屈託のない笑顔とは対照的に、エレナの表情には不安の色が濃く浮かんでいた。

「はい。行ってらっしゃい……レオ、じぃじの言うことをちゃんと聞くんですよ?」

「うん!」

レオは曲がっていた帽子を正しい位置に戻しながら、元気よく返事をした。朝食中、母親のエレナは口が酸っぱくなるほどレオに注意事項を言い聞かせていた。

エレナは心配だと言わんばかりにため息を吐きながら、レイに向き直った。

「お父さん、レオをよろしくお願いね?目を離すと何をしでかすか分かったもんじゃないのよ……」

その言葉には、母親としての深い愛情と不安が込められていた。

「重々気をつける……儂の使い魔も傍につけるしの……おぉ、そうじゃった。レオや」

「な〜に?」

レオは帽子の紐が気に入らないのか弄っていた手を離し、祖父に首を巡らせた。

「これを首から下げておきなさい。見えないように中に入れておくんじゃ……よいな?」

「なにこれ〜?」

レイはレオの帽子を取り、小さな革紐を通した巾着袋を首に下げる。レオは不思議そうに巾着袋を弄り始めた。

「お守りじゃ……レオを守ってくれるぞ。あぁ、これ!レオ!中身を見てはお守りの効果がないぞ!」

「ふ〜ん……わかった〜」

そう言うとレオは帽子をかぶり、身を翻して庭を走り出した。

「こらっ!!レオ!お母さん言わなかったっけ?」

エレナは腰に手を当てて怒鳴った。その声にレオは慌てて立ち止まり、しょんぼりとした表情で戻ってきた。

「ご、ごめんなさい……おかあさんのいったことちゃんとおぼえてるもん!」

「よろしい!いい?じぃじの傍から離れてはダメよ?」

レオは走ってエレナの元へ駆け寄り、エプロンの裾を握って謝った。それを見てエレナは顔を綻ばせ、しゃがんでレオの頭を撫でた。

「……レオや、そろそろ行こうかの?」

「うん!……おかあさん、いってきます」

エレナに抱きつき挨拶をして、レイの手を握る。レオはチラチラ振り返り、エレナが見えなくなるまで手を振っていた。

「心配せずとも良いのじゃぞ?」

「うん……ねぇ!ぼくがちゃんとあいさつしたらおともだちになってくれるかな?」

レオの純粋な期待に、レイの心は痛んだ。本家の子供たちが、果たしてレオを受け入れてくれるだろうか。

「レオや……そうじゃな……なれると思うぞ」

「うん」

レオは正面を向きながら、祖父とつなぐ手をぶらぶら揺らした。その無邪気な姿に、レイは複雑な思いを抱いていた。

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