【文豪麻雀小説】逆境無頼派 雀豪太宰治【第一回】

YOG

第1話「走れメロス」


※この物語はフィクションである。


 私は激怒していた。

「先生はいつもこうだ!」

 〆切が今日までだというのに、原稿を一文字も書かず賭け麻雀に興じているなんて、ふざけるにもほどがある。私は彼の居場所を突き止め、戦前からの古びた二階建ての一軒家に乗り込んだ。空襲を免れた薄暗い路地の奥、煙草の煙と牌の音が漂う場所だ。ガラス戸を乱暴に開けると、玄関にはガラの悪い男が立ちはだかった。

「おい、テメェ! 何モンだ!」

 無視して二階へ駆け上がる。ジャラジャラと麻雀牌が響き、汗と酒の匂いが鼻をついた。

「太宰先生! そこにいるんでしょう!」

 襖を開けた瞬間、牌を叩きつける音が炸裂した。

「――ツモ。九蓮宝燈」



 稀代の流行作家、太宰治がニヤリと笑いながら手牌を倒した。

 卓を囲む男たち――ダルマのような巨漢、カマキリのような瘦せ男、鼈甲眼鏡の男――の顔が一瞬凍りつく。だが、次の瞬間、ダルマが立ち上がり、太宰の襟首を掴んだ。

「テメェ! この手牌、デタラメじゃねえか!」

 ダルマの怒号とともに、太宰の華奢な体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。手牌をよく見ると、萬子の順子が不揃いで、九蓮宝燈などあり得ない。イカサマだ。

「先生! 何やってるんですか!」

 私が叫ぶと、太宰は咳き込みながら気怠げに笑った。

「やあ、君か。悪いな、ちょっとした遊び心さ。他愛ないお道化だよ。痛たたた……なかなか手厳しいね」

 聞けば、太宰はすでにこの賭け麻雀で大負けし、ダルマに多額の借金を抱えていた。ダルマの目は血走り、カマキリ男と鼈甲眼鏡がニヤニヤしながら見物する。

「おい先生とやら。出すもん出してもらうぜ。払えねえなんて言うんじゃねえぞ」

 太宰はふっと笑みを深め、ダルマの手を振りほどいた。

「分かった、分かった。こうしよう。今から仕事場に帰って原稿を書く。その原稿料で借金を返すよ。どうだ?」

「逃げる気か!」

 ダルマが詰め寄ると、太宰は私を指差した。

「逃げないさ。ほら、この若者を人質に置いていく。日没までに戻らなかったら、こいつをタコ部屋送りにでもすればいい」

「なんですって!?」

 私は絶句したが、太宰はすでに階段を降りていく。ダルマが私を睨みつけ、カマキリ男と鼈甲眼鏡がクスクス笑う。

「いいカモだな、こいつも」とダルマが唸り、私は椅子に縛り付けられた。 日没までの時間が刻々と過ぎる。部屋には牌の音と男たちの下卑た笑い声が響く。彼らは余興にサンマ(三人で行う麻雀)をしている。私の存在など気にもとめていない。

 私は太宰の『走れメロス』を思い出した。メロスは友を救うために走った。だが、太宰は? 借金と締め切りから逃げるために走っているのか?

「走れ、太宰!!」

心の中で叫びながら、私は彼の帰りを信じざるを得なかった。


 日没直前、階段を駆け上がる足音が響いた。太宰が戻ってきた。ボロボロの着物に汗と埃をまとい、息を切らしながらも、その手には原稿料の札束が握られていた。彼は卓の上にそれを投げ捨て、ダルマを睨みつけた。

「これで借金はチャラだろ?」 だが、太宰はさらに懐から別の札束を取り出した。

「妻の着物を質に入れた。これでもう半荘勝負だ。どうだ、ダルマ君?」 私は呆れた。この男、正気なのか? 借金を返したばかりなのに、また賭けに突っ込むなんて。ダルマは目を輝かせ、「いいカモだ」と高笑いしながら勝負を請けた。カマキリ男と鼈甲眼鏡もニヤリと笑い、牌が混ぜられる音が部屋に響いた。


 半荘戦が始まった。東一局、太宰は親番。いきなり東をポンし、ドラの赤五萬を絡めた高打点を狙う。手牌を覗くと、萬子と字牌が中心で、明らかに大三元狙い。だが、ダルマも黙っていない。索子の連番をチーしてピンフとドラで早々に聴牌。カマキリ男はチートイツを匂わせ、鼈甲眼鏡はタンヤオに赤ドラを絡めて手堅く進める。私は縛られたまま、卓の攻防に息を呑んだ。

 東二局、太宰の動きが大胆になる。カマキリ男の捨てた白をポンし、国士無双を匂わせる捨て牌で場を攪乱。だが、ダルマが巧妙に応戦。七巡目でリーチをかけ、三・六索の両面待ちで太宰の当たり牌を封じる。太宰は焦れたように煙草をくゆらせ、「君たち、なかなかやるじゃないか」と呟くが、目は鋭い。

 結局、ダルマがタンヤオ・ドラ一で3900点をツモ上がり、太宰の点棒を削った。 東三局、太宰の配牌は散々だ。萬子二枚、筒子五枚、索子四枚、字牌二枚。形にならない。だが、彼は平然とツモを重ね、十巡目でリーチ。待ちは二・五筒の両面。ダルマが安全牌の九萬を切った瞬間、太宰が「ロン!」と叫ぶ。

 ピンフ・リーチ・ドラ一の5200点直撃。場が一瞬静まり、太宰がニヤリと笑う。だが、点棒はまだダルマが圧倒的にリード。

 南場に入り、ダルマの勢いは止まらない。南一局、ダルマは赤ドラ三とタンヤオで8000点をツモ上がり、太宰との点差をさらに広げた。カマキリ男はチートイツを崩し、鼈甲眼鏡はドラを重ねて静かに満貫を狙う。太宰の手は震え、煙草の灰が卓に落ちる。

 南二局、太宰が起死回生を狙う。配牌で東と南を二枚ずつ持ち、字牌を集める動き。だが、ダルマが容赦なく圧をかける。ダルマのリーチに太宰は追い詰められ、安全牌を切るしかなくなる。カマキリ男が捨てた七索をダルマがロンし、7700点。点差はさらに広がる。

 南三局、太宰は再び攻めに転じる。筒子の暗刻を二つ作り、ドラの赤五筒を握りしめる。だが、ダルマのピンフとドラ二の満貫リーチに押され、結局流局。場はダルマのペースに完全に支配された。 オーラス、南四局。太宰は大きくリードを許し、ダルマがトップを独走。ダルマの高笑いが部屋に響く。最後の一巡。

「ハハハ! 太宰、テメェの負けだ! また借金地獄だな!」 その瞬間、太宰が静かに牌をツモった。

「ツモ」

 彼の声は静かだが、まるで雷鳴のように場を切り裂いた。手牌が倒され、男たちの目が凍りつく。 「海底の四暗刻単騎。字一色。大四喜。トリプル役満」 卓に並んだ牌は圧巻だった。東、南、西、北の四つの暗刻と、単騎待ちの白。海底牌でのツモ上がり。だが、私の目は別のものに釘付けだった。太宰の着物の袖口から、わずかに覗く予備の白牌。イカサマだ。ツモる直前、彼が袖から白を仕込んだ瞬間を、私は見逃さなかった。点数は跳ね上がり、太宰は一気にトップに躍り出た。ダルマの顔は真っ青、カマキリ男は牌を握り潰し、鼈甲眼鏡は眼鏡を外して呆然と卓を見つめた。 太宰は立ち上がり、煙草に火をつけながら言った。

「じゃあな、諸君。楽しかったよ。グッド・バイ」

 札束を懐にしまい、太宰は私を縛る縄を解き、階段を降りていく。私は呆然とその背中を見送った。


 夜の路地を歩きながら、私は思った。太宰治の生き様は、まるで綱渡りだ。イカサマで九蓮宝燈を偽り、妻の着物を質に入れ、四暗刻単騎を袖牌で仕込む。命を軽視し、物語を紡ぐように賭けに興じるその姿は、彼の小説そのものだ。だが、この無謀さ――命を賭けたイカサマと、強者を挑発する態度――が、いつか彼を破滅に導くのではないか。そんな予感が、私の胸を締め付けた。 「走れ、太宰。だが、どこまで走れるんだ?」

私の呟きは、夜の闇に溶けていった。

(了)




※以上、麻雀小説「雀豪太宰治」でした。

いかがだったでしょうか。太宰治と麻雀?って思われるかもしれませんが、彼は最初の心中事件のあと、病院で麻雀を友人らと行い、叱られた、というエピソードが残っています。

ギャンブルのイメージはありませんので、そこは私の創作となります。

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