立検隊出動!

さいとうばん

Chapter.1 豊洲水産高等学校(前編)

 藤田真ふじたしんの真新しい制服に、桜の花びらが舞い落ちた。


 真は校舎を見上げる。豊洲の町に吹く風で、入学を歓迎する垂れ幕が揺れていた。

 変わった作りの学校だ。幅二百、奥行三百メートルほどの敷地の中央に、幅二十五メートルの水路が流れ、校舎とグラウンドを隔てている。

 そこが真が今日から通う都立豊洲水産高等学校──通称〈豊水トヨスイ〉だ。


 関東大震災の瓦礫を埋め立ててできた町──豊洲はかつて造船の町だった。

 タワーマンションやオフィスビル、ショッピングモールが建ち並ぶ今の豊洲からは想像できないが、町のいたるところにその痕跡は残っている。

 日本有数の重工業企業の本社が町の一画にあり、その他にも錨やエンジンのギアがオブジェとして町中に鎮座していたりする。


 町中に張り巡らされた水路もその一つだ。

 自動車が普及していなかった時代、物資の運搬は主に水運だった。

 この町に船員の養成学校が設立されるのも必然で、水路を利用して大正時代に開校したのが〈豊水〉であり、校外に出ることなく船舶の実習を可能にしている。


 歴史の古い学校だから、校風もどこか古風だ。男子の制服は詰襟、女子も紺一色のセーラー服で、洒脱な今の豊洲では少し浮いて見える。


 上下関係も他の高校に比べて厳しい。

 『一年は虫、二年は人、三年は神』とさえ言われている。

 もっとも真はさほど気にしていない。中学の三年間を柔道部で過ごした彼にとって、体育会系の上下関係は身に染みていたし、何より船員になるという夢の一歩を踏み出せるのだから。


 入学式が終わり、真は自分のクラスに向かった。

 今年の新入生は七十八人で、それぞれ二十六人ずつABCの組に分けられる。

 新はB組だ。


 女子が意外と多い。これは専攻の一つに食品科があるからで、そこでは調理師免許が取得でき、就職に直接結びつく。

 一方で海洋系大学への進学を目指す女子もいて、そういった子は養殖や海洋生物の生態を学ぶ水産資源科を専攻する。

 男子は航海科か技術科を専攻することがほとんどで、前者は操船や通信を、後者はダイビングや水中作業を学ぶ。いずれも卒業後はかなり高収入の仕事が期待できた。


 真は航海科を専攻するつもりだ。

 船舶免許を取得したあとどんな仕事に就くのかは漠然としている。

 いずれにせよ専攻を決めるのは二年になってからだ。

 それまでには具体的な目標も見つかるだろう……。


 クラスの担任が入ってきた。

 痩せた初老の男性で、顔には深いしわが刻みこまれている。

 今着ているスーツよりも作業服のほうが似合いそうで、実際に技術の教師だった。


「これから一年間、君たちの担任になる伊藤だ」低いがよく響く声で伊藤は言った。「みんなそれぞれ夢があるものと思う。これからの三年間、勉強して技術を身に着ければ、その夢は必ずかなう。それは私が保証しよう。

 だが三年はあっという間に過ぎる。夢破れて技術もないまま卒業していく君たちを見たくはない。そのためには厳しいことも言う。それだけは心に刻んでおいてくれ

 ──とまあ、多少脅かすようなことも言ったが、君たちは若い。遊びたいことも多々あるだろう。大いに結構。勉強も忘れないでくれというだけのことだ」


 真は身を引き締めて話を聞いていた。しかし隣の席の男子はどうだ。

 頬杖をつき、真面目に話を聞いているようには見えない。

 後ろ髪を伸ばし、サイドを刈り上げたマレット──世界一ダサい髪型としてギネスブックに認定されている──で、いかにも中学時代はやんちゃしていた雰囲気だ。

 こういう奴と関わり合って、時間を無駄にすることはしないと心に誓った。


「頭の固そうな担任だよなあ、おい」

 帰りぎわ、よりによってそのマレットが真に話しかけてきた。

「C組は担任が女だとさ。美人だってよお──ところでおまえ、どこ中?」

 真は地元の中学の名前を言った。

「マジかよ。結構遠いとこから来てんなあ! 俺は地元でよ、親父が豊洲市場で働いてんのよ──俺は片桐ってんだ。困ったことがあったら言いな。この辺じゃ顔が効くからよお」

「あ、ああ……俺は藤田。何かあったらよろしく頼むよ」

 真が調子をあわせると、片桐は上機嫌で帰っていった。

 何てこった。あのマレット、案外悪い奴でもなさそうだ。


 真はすぐ帰る気はなかった。これから三年間通う学校を見ておきたい。

 中央の水路と校舎は三メートルほどの堤防で仕切られている。

 向かい側のグラウンドとは橋でつながっていて、体育の授業は移動が大変そうだ。

 校舎と並んで室内プールがあり、さらにその奥に体育館。

 体育館の先で細い水路が左に分岐している。


 水路沿いに曲がると、体育館の裏に古い木造小屋があった。

 倉庫のように見えるが、洗濯機があるところを見ると誰かが住んでいるようだ。

 学校の管理人だろうと特に気にすることもなく進む。

 堤防の階段を上り、水路を眺めた真は目を見張った。

 ──一艘の黒いボートが係留されていた。

「……リブボート?」


 リジッド・ハルド・インフレータブル・ボート──通称リブボートは、浮力の高いゴムボートに、強度の高い硬質の船底を組み合わせたボートで、高い安定性と速度が求められる緊急救難隊や、軍や警察の特殊部隊でも採用されている。

 普段見かけることはまずなく、真も映画でしか見たことがない。

 真は堤防を下りてボートを覗いた。

 全長は六メートルほどで、船外機には一三〇馬力を示す数値が記載されていた。


「──そこ! 何をしてるの!」

 夢中でボートを眺めていた真は、いきなり怒鳴られて驚いた。

 声の主は堤防の上にいた。紺色のツナギを着た女子生徒だ。

 ショートボブの前髪から太い眉毛を覗かせて、真を睨みつけている。


「新入生? もう入学式は終わったでしょう。用もないのに勝手に──はっ?」

 その女子は突然怒鳴るのをやめた。

 深呼吸して胸に手を当て、ブツブツとつぶやき始める。

「アンガーマネジメント……一、二、三……」

 六まで数え終わると、急に小学生に言い聞かせるような口調になった。

「……ど、どうしたのボクゥ? こんなところにいちゃダメでしょお? 早くお家に帰らないと」

 不自然。気持ち悪い。

 精一杯の笑顔のつもりらしいが、口元が引きつっていて逆に怖い。

 こんな人と関わってはダメだ。すぐこの場を立ち去るに限る。


「すみませんでした!」

 真が一礼して校舎のほうに戻ろうとすると、ちょうど堤防に上ってきた男子と鉢合わせした。前髪が長く、整った顔つきで、女子と同じ紺色のツナギを着ている。

「どうした加藤。気持ち悪い声出して……ん? 一年か?」

 先輩らしい男子が真をジロリと見た。

 真がもう一度頭を下げて堤防を降りようとすると、有無を言わさぬ声で呼び止められた。


「おい一年。ちょっと来い」

「は、はい!」

 何か怒らせたかと背筋が凍る。恐る恐る振り向くと、その男子は意外にも笑いながら言った。

「リブボートに興味あるのか?」

「え……はい」

「そうか……乗ってみるか?」

「い、いいんですか?」

 男に手招きされるまま、真はリブボートに足を踏み入れた。


 思わずため息が漏れる。

 見るのも初めてなのに、まして乗れるなど思ってもみなかった。

 男子はコンソールボードにストラップをつけ、それをツナギの腰にあるリングに引っかけた。キルスイッチ──万が一転落した時はストラップが外れて、エンジンが止まる仕組みだ。


 男子はエンジンキーをひねった。船外機が震え、排水管から水を放出させる。

「出航前に、船外機から冷却水が出てるのを確認しろ。出てなきゃエンジンが過熱してブッ壊れる。運がよければ漕いで帰れるが、悪けりゃ海のド真ん中で漂流だ」

 真はうなずいた。何もかもが新鮮な体験だ。


「ちょっと岡! 勝手にエンジンかけないでよ!」

 加藤と呼ばれた女子が渋い顔をした。男子のほうは岡という名前のようだ。

「うちの学校に来たからには、いつか船舶免許を取るんだ。今から教えといて損はないだろ。それが先輩の役目ってもんだぜ」

「う、うーん。先輩の役目か……」

 加藤は腕組みをしながら何かつぶやいていたが、やがて例の不自然な笑みを浮かべて言った。

「よかったわね、見つかったのが私みたいに気さくな先輩で。他の先輩ならこうはいかないわ。うちは上下関係が厳しいほうだから」

(自分で気さくとか言うのか)と真は思う。

「まあ俺も、ちょっと前に免許を取ったばかりだけどな」岡が言う。「ボートに関しちゃそんなに先輩でもねえよ。そういや、名前は?」

「あ、自分は藤田──」


 不意にかすれたような声がした。二人が腰につけているトランシーバーからだ。

『渡瀬だ。見つけたぞ。至急部室棟まで来い』

「加藤、了解」

「岡、了解……悪いな藤田、降りてくれ。仕事ができた」

 通信を終えた岡が苦笑いして言う。

 名残り惜しかったが、真はボートから堤防に降りた。


 加藤は船床にある収納からライフジャケットを引っ張り出した。

 普通のライフジャケットは黄色やオレンジの目立つ色だが、それは目立つのを避けるようにツナギと同じ紺色をしていた。

 ライフジャケットを着た岡はもやいを解き、操縦桿を前に倒した。

 VROOM!

 エンジンが唸り、あっという間にリブボートが遠ざかっていく。

 真は思わずあとを追わずにいられなかった。


 グラウンドは金網のフェンスに覆われていて、入口は正門すぐそばにある。

 部室棟は二階建て十二部屋の建物で、グラウンドの一番奥にあった。

 ボートを降りた加藤と岡は部室棟の一階、左端の部屋に近づいた。

 重いブーツを履いているにも関わらず、まったく足音を立てない。

 岡は裏手にまわり、裏窓の下で身をかがめた。


 加藤は正面ドアに顔を寄せた。室内から独特の臭いが漏れてくる。間違いない。

 加藤は深呼吸をすると、一気にドアを蹴破った。

 錆びついた蝶番とドアクローザーがはじけ飛び、ドアは室内に倒れた。

「全員動かないで! 立入検査隊よ!」


 突然蹴破られたドアと加藤の怒声に、部屋にいた男子がいっせいに立ち上がった。

 全部で三人、いずれも体格のいいものばかりが、紺色のツナギを着た加藤を見て青ざめた。

「た、立検……!」

 部屋には煙が充満していた。加藤は倒れたドアを踏み越えて部屋に入ると、出しっぱなしになっている洗面台の蛇口を止める。

 水に濡れたタバコの吸殻が流されずに残っていた。


 加藤は部屋を見まわした。廃部になったラグビー部の部室だ。

 放置されたジャージのすえた臭い。ボールの空気は抜け、しばらく使用された形跡もない。部屋の中で真新しいものといえば、片隅に放り投げられているいかがわしい雑誌だけだ。


 一番奥にいた男子がそっと裏窓を開け、何かを投げ捨てようとしている。

「おっと、そのまま、そのまま」

 窓の下から伸びてきた岡の手が、男子の手をつかんだ。

 細身の体からは想像もつかない握力に、男子の手からタバコの箱が落ちた。

「新学期早々、喫煙とはね」加藤はあきれたように言った。「先輩がこれじゃあ新入部員が来るわけないわ。廃部になるのも当然ね」

「──この野郎!」

 手前にいた男子が、加藤の足にタックルを決めた。一八〇センチの大男だ。


 ──が、加藤は微動だにしない。

 一六〇センチの女子を一歩も動かすことができない。

「何、セクハラ? ……ああタックルね。あんまりショボいから気づかなかったわ」

 加藤は男子のベルトをつかんで、あっさりと足から引きはがした。

「私はね、不良がラグビーで更生する、あのドラマが大好きなの。あんまりガッカリさせないで」

 そう言うと男子を壁に向かって思い切り投げ飛ばす。

 CRACK!

 石膏ボードの薄い壁に大穴が開き、男子は隣のサッカー部の部室に飛び込んだ。


「ああっ! やっちゃった……!」

 加藤が恐る恐る穴の向こうを覗くと、用具が散乱する中で男子は痙攣していた。

 その隙に、もう一人が部室を飛び出してグラウンドへ逃げた。窓際にいた一人は、窓を跳び越えると岡を振り払い、部室棟の裏を全力で駆け出していく。

「あっ! もう、何やってるのよ!」

 加藤は非難する目で岡を見た。

「俺はおまえと違って、荒っぽいのは苦手なの。いいから追うぞ」

 そう言うと岡は裏から逃げた男子を追った。

 加藤はグラウンドへ逃げたほうを追う。


 岡が追う男子は元ラグビー部だけあって、さすがに足が速い。

 岡をぐんぐん引き離していく。

 もう少しで裏門に到達しようかという時だった。

 BLAM!

 轟音とともに目の前の地面が爆ぜた。

 思わず尻餅をついた男子の頭上から、泥と枯葉が降り注ぐ。

 木陰からツナギの男が姿を見せた。

 サングラスで表情は読めず、高校生と言われればそう見えるが、成人と言われても違和感のない、妙な貫禄のある男子だ。

 金属の筒を抱え、筒から伸びたパイプは背中の大型タンクに接続されている。


「渡瀬隊長!」ようやく追いついた岡が言う。

 渡瀬は腰を抜かしている男子に近づくと、手にした金属の筒を突きつけた。

「あまり世話を焼かせるなよ」渡瀬が言う。「こいつはインパルス消火銃といってな、空気圧で水の弾丸を撃ち出す、フルパワーなら車のフロントガラスも割れる代物だ──で、どうする? おとなしく職員室まで来るか、それとも──」

「わ、わかった! 勘弁してくれ!」

 男子が音を上げた。岡にうながされるまま立ち上がり、とぼとぼ歩き始める。

「さて、もう一人のほうは……」

 渡瀬はグラウンドに目をやった。


 真はやっとのことで、リブボートが停まっている水路の端にたどり着いた。

 橋を渡ってグラウンドの入口へと向かう。

 そこに一八〇センチを超える大男が猛スピードで突進してきた。

 真に向って拳を振り上げる。

「てめえっ、どけーッ!」

「うわーッ?」


 ──真の体は自然に反応した。

 身をかがめてすり足で体を反転させる。大男を背中で受け止めると同時に手首をつかみ、腰を跳ね上げて前方に投げ飛ばした。

 小学生のころから続けてきた柔道の成果だった。

 BUMP!

 きれいな弧を描いて大男は地面に叩きつけられた。


「あっ! す、すみません!」

「っつう……て、てめえ一年か……?」

 大男は真を睨みつけたが、全身が痺れて立つことができない。

 真は自分のしたことに焦った。

 どう見ても上級生だ。ただで済まされることではない。

「君、大丈夫? ケガはない?」

 加藤が駆けつけてきた。

 地面に伸びた大男と真を交互に見つめて感心したように言う。

「柔道? まあ、そこそこの腕じゃない」

「……」

 真はむっとした。これでも初段だ。

 先輩とはいえ、女子に軽く見られるようなものではない。


 そこに岡と渡瀬もやってきた。銃のようなものを手にしたサングラスの男と、肩を落として歩かされている二人の大男に、真は目を丸くする。

「それにしても、派手にやってくれたな。また会長に怒られるぜ」

 倒れている大男を見た岡が、渋い顔をして加藤に言う。

「わ、私じゃないわよ! その子がやったの!」

 加藤は真を指さした。

「君が……?」渡瀬は意外そうに真を見た。「それはすまなかった。迷惑をかけたね」

「い、いえ……」

「ほら行くわよ」

 加藤が片手で大男を軽々と立ち上がらせる。

 三人の大男を引き連れてグラウンドを出ていこうとする加藤たちを真は呼び止めた。

「あ、あの……あなたたちは?」

「私たちは、この学校の立入検査隊よ」

「立入……検査隊?」

「風紀委員のようなものかな。この学校では昔からそう呼ばれている」渡瀬が答える。

「それじゃあ、私たちはこいつらを職員室に連れてくから。君も早く帰りなさいね」

 加藤は手を振りながら言った。

 その表情はどこにでもいる十六歳の少女と変わらなかった。


 翌日、立入検査隊の三人は生徒会室に呼び出されていた。

 生徒会長の石橋は三年の女子だ。

 三人をメガネの奥から睨みつけ、怒りを抑えた口調で彼女は言った。

「──まず最初に、部室のドアを蹴破る必要があったのか聞きたいですね」

「時間がかかると証拠を隠滅される可能性があります。早急なエントリーが必要でした」直立不動の姿勢で加藤が答える。

「では、部室の壁を壊したのは?」

「あ、あれは、壁が薄いからで……」

「隣のサッカー部から苦情が来てます! 修繕だってタダじゃないんですよ!」

 石橋の忍耐は早くも切れた。

「それに、あの……インパルス何とかだって、持ち出す必要がありましたか?」

「タバコを吸ってたんですよ。火事になる可能性がありましたし」しれっと渡瀬が言う。

「あの銃で脅したそうじゃないですか! 生徒の親御さんからお叱りの電話がありましたよ!」

「ダセえな。不良気取りのくせに、親に言いつけたのか」

 石橋の鋭い視線が飛んできて、岡は口を閉じた。


「──確かに、この学校に立入検査隊が組織されたころ、学校は荒れていたかもしれません」深呼吸して石橋は続ける。「窓ガラスが割られたり、廊下をバイクで走ったり……そんな生徒相手なら多少は手荒な手段も必要だったでしょう。でもそれは何十年も前の話、私たちが生まれる前の話です! 今は時代が違うんです!」

 あまり感情のコントロールがうまくないな、と加藤は思った。人のことは言えないが。


「時代が違っても、問題を起こす生徒はいますよ」渡瀬は言った。「ニュースをご覧なさい。毎年のようにいじめや犯罪に巻きこまれた学生の話題がある」

「それでも、あなたたちのやりかたは度が過ぎるんです! はっきり言います。これ以上問題を起こすようなら、隊の解散をPTAに訴えます。あの金食い虫のボートも没収ですからね!」

 石橋は含み笑いをしながら、最後に言った。

「──もっとも、立検に入隊する生徒は毎年減っていますからね。このまま自然消滅しそうですけど」


「生徒会長の言うことももっともだ。今年も一年生を入隊させないと、隊の存続が危ない」

 生徒会から解放された渡瀬が言った。

 立検の三人は、真が目にした校舎裏の木造小屋にいた。もっとよく見ていたら、陽に焼けて消えかけた〈立入検査隊本部〉の看板を見つけたかもしれない。

 入ってすぐが待機部屋で、中央のデスクではトランシーバーが充電されている。

 錆びたロッカーがあり、ホワイトボードには水路を含む学校周辺の地図。

 裏口に通じる狭い廊下に流しとトイレ、その向かいに備品倉庫と仮眠室があった。


「解散してこの建物が撤去されたら、俺は住むところがなくなる」渡瀬はため息をついた。

「よくこんなところに住めますね、家賃タダとはいえ。俺だったら一日中学校にいるなんて絶対に嫌ですけど」狭い室内を見まわして岡が言う。

「岡みたいに豊洲に部屋を借りるなんて、うちの家計じゃ無理だ」

「俺は家から追い出されたようなもんですからね、そんぐらい出してもらわないと。その点、加藤はいいよな。実家が隣駅だし。家族も仲よさそうだし」

「わ、私だって本当は一人暮らししたいんですよ。親が許してくれないだけで」

 加藤が口を尖らせる。自分が子供扱いされているような気がした。


「そのことはともかく、誰か見つけないとな──ボートが好きで、格闘技の経験があれば、なおいい」

「ボートが好きで……」

「格闘技の経験がある……?」

 岡と加藤は顔を見合わせた。

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