1-2 くちばしマスクの客
ようやく落ち着いて少し気が抜けた時、後ろからパチパチと手を叩く音がした。振り返れば、隣のテーブルにいた客が私を見ながら拍手をしている。
「若いのに大変だねえ」
くちばしのように鼻が突き出たマスクをつけて、彼はくぐもった笑い声を上げた。分厚い上着を着ているから体格はよくわからないけど、声は初老の男性に聞こえる。
「みんなメイドの格好をしているだけの、なんちゃってメイドですから。こうして私がまとめないとお客様をもてなすどころじゃないんです」
お見苦しいところを見せて申し訳ありませんと謝ると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「そうかね? 君達こそ、もてなされて当然だと思うがね」
「と、言いますと?」
「ここが天国と地獄の狭間である以上、君達も一度は現世で死んだ身なのだろう?」
「――……そうです、ね」
それは時々、耳にする質問だった。ただ、何度聞いても慣れることができない。
「私達が客で、なぜ君達は奉仕する側なのか? そこに何の違いがある?」
「それも、そうですけど……」
客のことばかりで私達は自分が死んでることまで気にしていられない。いや、いつも頭の片隅で感じてはいたけれど、考えないように避けているんだ。
私は再び口角を無理くり上げると、
「前世のことは覚えていません。なので、わからないですね!」
わざとあっけらかんと言ってみた。こういうのは煙に巻くのが一番。そのまま適当に話を変えようとした時、彼は姿勢を前のめりにして私に顔を近付けてきた。
「ふぅむ? それなら何らかの罪を犯したからとか? その年齢で?」
「いや、その……」
「だとしたら、ここは少女監獄だな。興味深い」
仮面から覗く底のない空洞に私は生唾を飲み込んだ。
ダメだ。全然引いてくれない。むしろ私の方が知りたいと怒鳴りたいけれど、ここで下手なことをするわけにもいかない。他のメイドの子に同じことを聞かれるのも嫌だ。
「私が死んだ理由は……」
しどろもどろにでっちあげようとした時だった。それまで穏やかだったピアノの音色が突然、転調した。激しいリズムを刻みだすやいなや、料理や話に夢中だった客達が顔を上げる。
「ライブが始まったぞ!」
「ライブ!?」
私も仮面の客から視線を離すと、大広間の奥にあるピアノへ目を向けた。ステージにあるグランドピアノは金髪のメイド――私の同居人が手の動きが見えないほどの速さで奏でている。
って、これはロックだ!
「ちょっと! 何弾いてるの、あの子!!」
あっという間にサビにかかると、客達が体を揺らしてノり出し始めた。忙しく駆け回っていたメイド達も踊り出して、あっという間にハロウィンパーティーからディスコに早変わりだ。
それというのも、この曲の旋律! 聞いているだけで体の底が熱くなってくる!
「き、緊急事態につき失礼します!」
マスクの客に頭を下げると彼を押しのけて、ピアノのある壇上へと走った。
彼女はピアノ奏者としては超一流だ。けれど、得意な曲は屋敷のムードとは程遠いヒップホップやロックミュージック。一度、ノリ出せば夜通しで誰も彼もを踊り狂わせられる。
「って、それはさすがに困るんだよ! このピアノバカ!」
客の隙間を縫って、やっとステージに登ると彼女はグランドピアノを弾きながら長い金髪をブオンブオン振り回していた。
やばい、化けもんだ。
「アニン! ピアノでヘドバンはやめろって言ったでしょ!」
すると、彼女は頭を振り回すのを止めて私に青い瞳をちらりと向けた。
「んなこと言ったって、湿っぽいレクイエムを弾くのはストレスがたまるんだよ! オーディエンスもみんなそれを望んでる! そーだろ、あんた達!」
「イエーッ!」
客達もグラスを片手に声を張り上げる。
「イエーッじゃないよ! 死んだと思ったらライブ会場だった、とかどこの冥界の入り口?」
「じゃあ、デスメタルでも一曲いっとく?」
「誰も屋敷に近付かなくなるって! 大体、出迎え含めてここをまとめてるのは私なの! 最後に後始末するのも私なんだよ! イッツミー!」
「オーケー、オーケー。わーかったよ」
彼女は「はぁー」と深いため息をつくと、鍵盤を叩く手を緩やかにした。激しいロックから、聞き慣れたクラシックに変わると大広間の喧騒も収まっていく。
客やメイド達が落ち着き出すと、私はグランドピアノの縁に肘をついた。
彼女の名前はアニン。私と同じくらいの歳の女の子だ。金髪で青い目に、透き通るような白い肌をしている。
「……ところで見てたの? さっきの」
「何が?」
「変な仮面の客に絡まれてた時の」
「いや、知らねーけど」
なんだ。もしかして、助けてくれたのかと思ったのに。
「わざとだったら今回は大目に見てあげたんだけど。というか、これ言うのも何百回目だけど、ロック禁止の理由覚えてる?」
「もう何千回と聞いたぜ」
「なるほど、覚えてないね」
私はアニンを軽く小突くと、壇上から大広間を見渡した。
どんなに雰囲気が陽気でも、ここは天国や地獄に行けずに迷い込んだ人達の世界だ。なら、彼らに聞かせるのは明日を夢見る曲じゃなくて永遠の眠りにつかせる子守歌のはず。
「想像して。ロックが流れるお寺なんてある?」
「あたしの曲はお経の代わりかよ。あの世の旅立ちには本人の好きな曲で送ってやろうぜ」
「だから、アニンの曲じゃ留まるばかりで送れないんだって」
この屋敷一の問題児は黙っていればフランス人形みたいでかわいいのに、ある意味天才でとんでもないバカなのだ。
「というかさぁ、曲を流せば成仏するもんなのか?」
「それも違う。もう一度、最初から私達の役割を説明しようか?」
気が滅入るけど、幽世の秩序を教えるのも私の仕事だ。私と部屋を同じにしてるのも、目を離すと何をしでかすかわからないからだし。
そのせいで彼女は“委員長に飼われてる不良”と呼ばれている。
……学校か、ここは。
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