第41話 渦巻く悪意



「おい、時間だぞ」


 ――影の一人の太い声が、沈黙を破った。


「……そうですね。それでは始めましょうか」


 冷静に応じたのは美しい女の声の影だ。彼女の指先が、蝋燭の灯をなぞるように動く。


 蝋燭の明かりが、ゆらゆらと壁を舐めるように揺れている。


 そこは地上から遠く離れた地下の広間――古びた石造りの円天井の下に、七つの椅子が囲むようにして円卓が据えられていた。


 しかし、そこに座しているのは六つの影のみ。ひとつ分の席は空のままだ。


 闇の奥に潜む気配がざわりと動く。


 湿った空気がわずかに震え、ろうそくの炎が細く絞られた。


「……一人、欠けていますよ」


 影の一人が低く問いかける。その瞳は血のように赤く光った。


「構うな。奴は今、別の準備をしている」


 影の一人が淡々と答える。


「ふん、また人間どもを弄んでいるのか。性根の腐った遊びだ」


 影の一人が鼻を鳴らし、椅子の背にもたれた。


「何人死んだところで今はもう関係ないわよ。早く話を進めましょう」


 影の一人は指を組み、艶めいた笑みを浮かべる。


 円卓の中央には一枚の地図が広げられている。その地図の上には聖都――人の信仰と秩序の象徴とされる、巨大な都市の名が刻まれていた。


 幾筋もの赤線がそこへ収束し、やがて一点へと交わる。


「十五日後の満月……時期としては申し分ない」


 影の一人が呟く。


「潮の巡りも良い。あの夜なら、欠片の共鳴は最高潮に達するはずです」

「それに聖都は祝祭の準備に浮かれている。警戒など皆無に等しい」

「クハハ、やはり人間は愚かだな!」

「…なんだと?」

「なんだ、やるか?」


 最初に沈黙を破った影が笑い、拳で卓を叩く。その音がやけに重く、乾いている。


「やめろ!今我々は争うべきではない!」


 影が声に、かすかな怒りが混じっていた。


「百年前の戦を、連中は勝利と呼んで悦に浸っている。だが、我々にとっては――屈辱以外の何ものでもないだろう」


 続け、影の一人の握り締めた拳の爪が卓を削った。


 黒いマントの影が立ち上がる。


 炎に照らされた横顔に、かすかに角が覗いた。


 その双眸は、闇よりも深い赤で輝いている。


「聖都の神など、偽りの象徴にすぎぬ。人間どもが自らを正しいと信じるための偶像だ」

「好き勝手言いおって…儂が教皇になった暁にはまずは貴様らを殲滅してやろうか」

「私はどっちでもいいけど、面倒事に巻き込まないでよね」


 集まってはいるものの彼らの目的はバラバラのようであった。


「落ち着け。欠片は全て揃った。あとは――器を用意するだけだ」


 その言葉に、場の空気が一瞬だけ静まり返った。


 蝋燭の炎がぱち、と小さく弾ける。


「器……まさか、人の身を使うつもりか?」


 影の一人が眉をひそめる。


「それが最も確実だ。神は信仰を糧とする。聖都ほど信心深い者たちが集う場所は他にない」

「ふん、皮肉な話だ。己の信仰で、自らの終焉を招くとはな」


 六人の影は互いを見渡し、それぞれが異なる表情で口元を歪める。


 ある者は冷笑を、ある者は恍惚を、ある者はただ沈黙を――。


「……さて、では次に彼女の件だ。しっかりと遠ざけたのだろうな?」

「あぁ、抜かりない。これで聖都にいる聖女は四人。我々でも対処できる実力だ。だが、イレギュラーがいる」

「イレギュラー?」


 影の言葉に、他の影が不思議そうに聞き返す。


「『聖女の父』新たに聖人となったエイルという男が聖都にくる。理由は不明だが、面倒だ。殺せる者は?」

「なら、俺がやるぜ」

「ならば問題はないな。それでは、十五日後の夜――全てが整う」


 再び沈黙。


 そんな沈黙の中、蝋燭の光が、ひときわ強く燃え上がる。


 そして、まるで聖都の未来を予言するかのようにその火はふっと消えた。


 その時には、六人の影はどこにもなかった。


 ──残されたのは、空席のままだった七つ目の椅子。 静寂の中、その席の前の空間がふと歪む。


 まるでそこに、誰かが座っているかのように。


 小さく、冷たい風が吹き抜けた。 その風は、確かに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る