第35話:未踏破領域の主
戻ってきた悠真の顔には、普段の余裕が消え、緊張の色が浮かんでいた。
「部屋の中央で、水晶の巨人が眠っていた。高さは10メートル以上。周囲の水晶柱と共鳴するように、微かに脈打っている。下手に刺激すれば、部屋全体が敵になりかねない。おそらく、あれが『クリスタル・タイタン』だ」
その具体的な報告に、二人は息を呑んだ。
「ネットの掲示板で見たことがあります。詳しい情報はほとんど載っていませんでしたが、とにかく硬くて巨大だという話でした」
「ああ。だからこそ、万全の状態で挑む必要がある」
悠真はマジックバッグから栄養ドリンクと携帯食を取り出した。
「あと5分休憩しよう。体力を完全に回復させてから挑む」
三人は扉の前に腰を下ろし、最後の準備を整えた。悠真は剣の状態を確認し、美琴は魔力の循環を整え、紗夜は装備のベルトを締め直した。
「必ず『生命の花』を手に入れる」
紗夜が小さく、しかし決意を込めて呟いた。
「ああ、必ずな」
「きっと大丈夫よ」
悠真と美琴が力強く頷いた。短い休息を終えた三人の表情には、不安よりも強い決意が宿っていた。戦士としての鋭い緊張感を纏いながら、三人は覚悟を決め、巨大な水晶の扉を押し開けた。
扉の向こうに広がっていたのは、ドーム状の巨大な広間だった。天井からは巨大な水晶の鍾乳石がいくつも垂れ下がり、床からは筍のように水晶柱が突き出している。まるで巨大な宝石の内側に入り込んだかのような、幻想的な空間だった。
そして、広間の中央。身長10メートルはあろうかという巨人が、ゆっくりと立ち上がった。
ゴゴゴゴ……。
地響きが、足元の水晶を微かに震わせる。その巨体は、この洞窟の水晶そのもので構成されていた。無数の水晶の結晶が組み合わさってできた体表が、周囲の光を乱反射させ、その正確な輪郭と距離感を狂わせる。あれが、この階層の主、水晶の巨人「クリスタル・タイタン」だった。
戦闘は、巨人の一動作で始まった。タイタンが両腕を掲げると、その腕が瞬時に変形する。無数の鋭い水晶の破片が形成され、次の瞬間、マシンガンのような速度で広範囲に撃ち出された。死角のない、全方位への弾幕の嵐。
「シールド・ウォール!」
美琴が咄嗟に防御障壁を展開する。半透明の光の壁が三人の前に現れ、降り注ぐ水晶の弾丸をことごとく弾き返した。バチバチと火花のような音が連続し、障壁に細かい亀裂が走るが、完全に貫通される前に弾幕は止んだ。
「側面から行くわ!」
弾幕が止んだ一瞬の隙を突き、紗夜が動いた。風のような速さでタイタンの側面に回り込み、その足首にミスリル製の剣を叩きつける。しかし、
キィン!
甲高い金属音と共に、手首に痺れるような衝撃が走る。剣が弾かれたのだ。
「しまっ……!」
攻撃が通じなかったことに紗夜が一瞬怯んだ、その隙をタイタンは見逃さなかった。巨大な腕が、薙ぎ払うようにして紗夜に迫る。回避が間に合わない。
「危ない!」
絶体絶命の瞬間、悠真が紗夜の腰を抱えて、強引に後ろへ引き寄せた。二人の体を、タイタンの腕が紙一重で掠めていく。轟音と共に背後の水晶柱が粉々に砕け散り、その凄まじい威力を物語っていた。
初手の攻防で、三人はタイタンの異常なまでの硬さとパワーを思い知らされた。しかし、本当の脅威はそこからだった。
タイタンの胸部、ちょうど心臓がある位置の水晶が、一際強く輝き始めた。そして、その中央にあるコアから、極太の熱線が放射される。空間そのものが歪むほどの熱量を帯びた光の奔流が、悠真たちに迫った。
「避けろ!」
悠真の叫びと同時に、三人は左右に飛び退いた。彼らがいた場所を、一瞬遅れて熱線が通過する。背後にあった巨大な水晶柱が、まるで飴のようにぐにゃりと溶け落ち、蒸気を上げて消滅した。その恐るべき破壊力に、三人とも息を呑む。
さらに絶望的な光景が、彼らの目の前で繰り広げられた。先ほど紗夜が渾身の一撃で与えた、ごく僅かな傷。その傷口に、周囲の水晶柱から光の筋がいくつも集まっていく。すると、傷は瞬く間に修復され、元通りになってしまった。
「自己修復能力……!?」
「しかも、周囲の水晶からエネルギーを吸収してる……!」
攻撃してもすぐに再生されてしまう。圧倒的な破壊力と、鉄壁の防御力。そして、無限とも思える再生能力。三人の間に、初めて焦りの色が浮かんだ。このままでは、ジリ貧になるだけだ。
「一旦退くぞ!」
悠真の指示で、三人は巨大な水晶柱の影へと後退した。タイタンはすぐには追ってこない。まるで、侵入者たちの絶望を楽しむかのように、その場でゆっくりと佇んでいる。
「どうしますか、悠真さん。あんなの、どうやって倒せば……」
紗夜の声には、焦燥が滲んでいた。
「弱点はあるはずだ。落ち着いて考えよう」
悠真は冷静だった。彼は先ほどの戦闘の光景を脳内で再生する。熱線が放たれた胸のコア。自己修復の際にエネルギーが供給されていた周囲の水晶柱。
「……おそらく弱点は胸のコアだ。そして、自己修復を止めるには、エネルギー源になっている周りの水晶柱を破壊するしかない」
「でも、あのコアは分厚い装甲で守られています」
「なら、その装甲をこじ開けるまでだ。作戦を変更する」
悠真の瞳に、強い光が宿った。
「俺が奴の注意を引きつける。その間に、美琴はタイタンがエネルギーを吸収しようとする水晶柱を、先回りして魔法で破壊してくれ。紗夜は、関節部を狙え。自己修復が追いつかないほどの速度で、足首や膝を執拗に攻撃し続けろ。あの巨体を支える基盤を破壊し、動きを鈍らせるんだ」
それは、三人の能力を最大限に活かした、極めて高度な連携を要求される作戦だった。しかし、今の彼らなら実行できる。三人は互いの顔を見合わせ、力強く頷いた。
作戦が開始された。
「こっちだ、化け物!」
悠真が雄叫びを上げて、タイタンの正面に躍り出た。彼が担うのは、パーティーの「絶対的な囮」。巨人が振り下ろす拳を、悠真は紙一重でかわしていく。その動きは、まるで猛牛をあしらうマタドールのようだった。轟音と共に地面が砕けるが、悠真の体には掠りもしない。
悠真がタイタンの注意を完全に引きつけている、その間に。
「そこね! フレイム・ランス!」
タイタンが自己修復のためにエネルギーを吸収しようとした水晶柱に、美琴の炎の槍が突き刺さる。タイタンがエネルギーを得るよりも早く、その供給源を的確に破壊していく。
そして、紗夜が舞った。タイタンの足元を、影のように駆け抜ける。彼女のミスリル製の剣が、足首や膝の関節部、その僅かな隙間を、自己修復が追いつかないほどの速度で、何度も、何度も斬りつけていく。一撃は軽いが、その執拗な攻撃は、確実に巨人の巨体を支える基盤を蝕んでいった。
三人の完璧な連携が、ついに戦況を覆し始めた。
紗夜の攻撃によって、タイタンの動きが目に見えて緩慢になっていく。美琴の妨害によって、自己修復もままならない。悠真を狙う攻撃も、徐々にではあるが、精彩を欠いてきていた。
「今よ! 二人とも、時間を稼いで!」
美琴が叫んだ。彼女は後方で古代樹の杖を天に掲げ、最大火力の魔法の詠唱を開始する。膨大な魔力が彼女の周囲に渦を巻き、杖の先端に眩い光が収束していく。
「行かせない!」
「任せろ!」
悠真と紗夜が、美琴を守るようにタイタンの前に立ちはだかる。暴れ狂う巨人の猛攻を、二人は満身創痍になりながらも、必死に食い止めた。
そして、ついに美琴の魔法が完成した。
「貫け! コンバージェンス・レイ!」
収束された光の奔流が、一本の巨大な槍となって放たれた。それは、寸分の狂いもなくタイタンの胸部に着弾する。
バリイイイイイン!
甲高い破壊音と共に、ついにコアを覆っていた分厚い水晶装甲が、粉々に砕け散った。内部で不気味に脈打つ、弱点のコアが剥き出しになる。
最後の力を振り絞り、タイタンが暴走した。防御を捨て、残された全てのエネルギーを込めた渾身の一撃を、目の前の悠真に叩きつける。
「させるか!」
悠真はその巨大な拳の軌道を冷静に見極め、最小限の動きで身をかがめた。轟音と共に拳が頭上を通過し、タイタンは攻撃を空振りした勢いで、大きく体勢を崩す。
その一瞬の隙を、紗夜は見逃さなかった。
彼女は近くにあった、背丈ほどの水晶柱を駆け上がった。そして、その頂点から天高く跳躍する。その姿は、まるで重力から解き放たれたかのように、優雅で、そして力強かった。
(千夏……!)
妹への想いを、その一撃に乗せる。落下速度を利用して加速した彼女の剣が、剥き出しになったコアの中心へと、深々と突き立てられた。
ピシリ、とガラスにヒビが入るような、小さな音が響いた。
次の瞬間、甲高い破壊音が広間全体にこだました。紗夜の剣が突き刺さったコアが、内側から眩い光を放ち、砕け散る。
それを合図に、タイタンの全身に亀裂が走り始めた。体表の水晶は輝きを失い、灰色に濁っていく。やがて、その巨大な体は、形を保つことができなくなり、キラキラと輝く光の粒子となって、内側から静かに崩壊していった。
◇ ◇ ◇
巨人が完全に消滅し、広間には再び静寂が戻ってきた。後に残されたのは、疲労困憊でその場に座り込む三人の探索者と、巨人がいた場所にできた、小山のようなドロップアイテムの山だけだった。
「……やった、のか?」
悠真が、まだ信じられないといった様子で呟いた。
「ええ……やりましたね、私たち」
美琴が、安堵のため息をつきながら応える。三人は互いの顔を見合わせ、そして、こらえきれずに笑い出した。
しばらくして、三人は立ち上がり、ドロップアイテムを確認しに向かった。そこには、Aランクの魔石が一つ、Bランクの魔石が三つ。そして、タイタンの心臓部だったと思われる巨大な「水晶の心核」など、見たこともないようなレア素材が大量に散らばっていた。
だが、その中央に。数々のきらびやかなアイテムの中で、ひときわ淡く、そして温かい光を放つものが一つあった。
それは、純白の花びらを持つ一輪の花だった。花びらは絹のように柔らかく、内部から生命の息吹を感じさせるような、温かな光を放っている。
美琴は祈るように目を閉じ、鑑定スキルを発動させた。脳裏に流れ込む情報。それは、たった四文字の、しかし何よりも重い言葉だった。彼女はゆっくりと目を開け、震える声で告げた。
「……見つけました……生命の、花です」
その言葉を聞いた瞬間、紗夜の全身から力が抜けた。
「やった……」
歓喜の声が、か細く漏れる。
「やった……! やったあああ!」
彼女はその場に泣き崩れた。これまでの苦労、不安、そして妹への想い。様々な感情が一度に込み上げ、涙となって溢れ出す。悠真と美琴は、そんな紗夜の肩をそっと抱きしめ、その喜びを分ち合った。
長かった戦いの果てに、彼らはついに、千夏を救うための、確かな希望を手に入れたのだった。
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