第9話 とんかつ

「たまにはさぁ、とんかつとか食べたいよねー。てか、誰かの手作り料理が食べたい」


 いつものように、私が帰り支度をしていると、タバコを吸っている成那さんが不意にそんなことを言ってきた。


「自炊したらいいじゃないですか。キッチン、綺麗になりましたし」


「……あまねちゃんは私の料理スキルを知っててそう言ってるの?」


「とんかつとかは無理かもしれないですけど、簡単なものなら作れるでしょう? カレーとか。ひとり暮らししてますし」


 流石に成人女性のひとり暮らしだ。普段しなくても、カレーとかそういう簡単なものくらいは作れるだろう。

 私も、ひとり暮らしを始めるまではできなかったけど、中学になってひとり暮らしを始めてからはある程度のものは作れるようになった。


 私がそういうと、成那さんは額を抑えて首を振った。


「あまねちゃん、私を誰だと思っているのかな」


「タバコが大好きな自堕落成人女性?」


「……そこまで言わなくても。まーでも、そういうわけよ。料理なんて、これっぽっちもできませーん。カップ麺は作れるけど」


成那さんが自信満々にそう言うから突っ込むのを止められない。


「カップ麺は料理じゃないですよ」


 そうか。成那さんは料理ができないのか。まあ、これでできたらそれはそれでびっくりだけど。


「でも誰かの手作り食べたいなぁ。外食とかじゃ無くて…。んー、お手伝いさんでも雇おうかな…」


 成那さんがぶつぶつ言っているから、私はある提案をする。


「作りましょうか? とんかつでも、なんでも」


 そう言うと、成那さんは驚いた顔をし、タバコを灰皿に押し付けて、こちらに近寄ってくる。


「え、え? あまねちゃんって、料理できるの? まぁ、できそうだよね…。でも、そんなの悪いよ」


「別に構いませんよ。嫌じゃないです。とんかつですよね。明日、来ていいですか?」


「…ほんとにいいの?」


「はい」


「じゃあ、お言葉に甘えて…。明日でいいよ」


「わかりました」


 成那さんはありがとうと言って、今日1番の笑顔で笑っていた。


 ♢


 次の日、スーパーに寄ってから成那さんの家に向かった。中に入ると、成那さんは落ち着きがなく立ったり座ったり、歩き回ったりしていた。


「なんでそんなにそわそわしてるんですか? 子供じゃないんだから」


「いや、そわそわもするよ! だって、誰かの手作り料理食べるなんて…2年ぶりくらいだもん!」


「そんなに前からカップ麺と外食の生活だったってことですか…」


 そう言うと成那さんは項垂れて、ベッドに座る。


 私はその姿を見て、買ってきたものをキッチンに出す。自分の家から持ってきたエプロンをつけて手を洗っていると、成那さんが近寄ってきた。


「なんか手伝う?」


「あー、じゃあ…」


 そして私は辺りを見渡す。

 油は…、心配だし任せられない。包丁だって、使えるのかなぁ。何を任せても心配な未来しか見えない。


「——…やっぱり大丈夫です。心配ですし。ていうか、役に立たないと思うんで座っててください」


 私がそういうと、成那さんはしゅんとしてベッドの方に戻っていった。


 ♢


 お肉に衣をつけて、油を火にかける。

 油が温まるのをぼーっと見つめていると、背後に影を感じて振り向き、見上げる。


「今から揚げるんでしょ? 見てていい?」


「いいですよ。油飛ぶかもしれないので、気をつけてくださいね」


 私は箸でお肉をつかみ、油の中に入れる。

 ジュワッという音と共に、香ばしい匂いが立ち込める。箸で優しく肉を返し、均等に火が通るように見守る。


 後ろをチラッと伺うと、成那さんが目を輝かせながらお肉を見つめていた。


 なんか、子供みたいだなって思う。わかりやすく落ち込んでる姿とか、そわそわして落ち着かないところとか、特に。


 私より10も年上なのに。

 そんな姿がなんだか面白くて、可愛くて、私はこっそり笑う。


「何笑ってるの?」


「笑ってませんよ。…ふふっ」


「やっぱり笑ってるじゃん」


 お肉は美しい黄金色に輝き始めていた。お肉を油から引き上げ、網の上に置く。ジュージューと音を立てながら、余分な油が落ちていく。


 とんかつをまな板に乗せ、包丁を入れる。サクッという音と共に、湯気が立ち上る。断面は、肉汁が輝き、食欲をそそる。お皿に盛り付け、千切りキャベツとレモンを添えて、ソースをかければ完璧なとんかつの完成だ。


「できましたよ。ほら、机片付けてください」


「わ、わかった!」


 成那さんは急いで机の方に行き、机の上を片付け始める。


 掃除した時、机の上も綺麗にしたはずなんだけどな。そう言いたかったが、小言を言っていてはキリがないので黙っている。


「はい! 綺麗になったよ」


 成那さんは机に向けて手を広げ、手をキラキラ振る。


「じゃあ、お箸とかコップとか持っていってください。料理は私が持っていくので」


 普段カップラーメンとペットボトルしかのらない机の上に、トンカツとサラダ、コップが並ぶ。


「うわぁ。美味しそう…」


「ご飯がないのが惜しいですね…。次はちゃんと用意しましょう。食べましょ」


 そう言ってベッドを背もたれにして床に座ると、成那さんがきょとんとした顔をしている。


「どうしたんですか? 食べないんですか?」


「あ、いや、食べる食べる」


 成那さんは私の隣に座る。


「「いただきます」」


 2人で一緒に手を合わせてそう呟く。


 成那さんはとんかつを箸で掴んで口に入れる。

 サクっ、という音が聞こえてきて、もぐもぐしている。


「美味しいですか?」


 成那さんはとんかつを飲み込むと、満面の笑みでこちらを向いて言ってくる。


「美味しい! 美味しい!! 超美味しい!!! 世界一美味しいよ。これ」


 成那さんまたもう一口食べて、顔を綻ばせながら美味しい、と呟いている。


 その姿を眺めていると、


「食べないの?」


 と口元にソースをつけた成那さんが尋ねてくる。

 私はティッシュを手に取り、成那さんの口元を拭きながら答える。


「食べますよ。ひとくち目は食べてるところを見てるようにしてるんです」


 箸を手に取って、とんかつを食べる。


 うん。ちゃんと美味しい。

 とんかつなんて、作るのすごい久しぶりだったけど上手くいってよかった。


「美味しい?」


 成那さんは小さく首を傾げてにこにこしながらそう聞いてくる。


「はい。美味しいですよ」


「よかった」


「なんで成那さんが得意げなんですか」


「確かに〜」


 2人で声を出して笑う。


「明日も作って欲しい〜。次はハンバーグかなぁ」


「図々しいですね…。自分で練習してくださいよ」


「えー…練習するかぁ…。あまねちゃん、食べてくれる?」


「焦げてても美味しいって言いませんよ」


「えー、美味しいって言ってよ〜」


 成那さんは唇を尖らせながら、少し不貞腐れたような顔をしている。


 キッチンの前で試行錯誤する成那さんを想像してクスリと笑う。


 焦げてても、塩と砂糖を間違えても、成那さんの作る料理なら美味しいんだろうな。なんでかわかんないけど、そんな風に思った。

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