タバコの煙と夜明けの部屋
やちつ
第一章 タバコの煙に包まれて
第1話 夜の繁華街
目を覚ますと、さっきまで熱を分け合っていた相手は隣にいなかった。
代わりに窓が開いていて、ベランダに人影があった。
私は床に転がっていたワンピースを拾い上げて、下着もつけずに袖を通す。
ベランダに出て、繁華街を眺めながらタバコを吸っている彼女に声をかける。
「わざわざ外に出なくてもいいんですよ。もうそろそろ外で吸うには寒い時期になってきてますよ」
すると、タバコを片手に彼女は振り返り私を見て小さく笑った。
「…ごめん、起こしちゃった? あまねちゃん、よく寝てたから」
「いえ、お構いなく」
私は彼女の隣に立ち、街を眺める。
キラキラ光る看板や、夜になっても絶えることのない人。
繁華街から離れた私の家からは見ることができない景色。
私は隣にいる彼女を盗み見て、彼女が手にしているタバコを見る。
彼女——
「……タバコって、美味しいんですか?」
「吸ってみる?」
私が尋ねると、成那さんはタバコの箱をこちらに差し出してくる。
私がそれを一本取ろうとすると、成那さんは箱をヒョイっと私の手の届かないところへあげてしまった。
「未成年でしょ? 駄目だよ」
成那さんは灰皿にタバコを押し付けると、部屋に戻っていく。私はその背中を見つめながら、彼女と初めて熱を分け合った日のことを思い出していた。
♢
「こちら生2つで〜す! ごゆっくりどうぞ〜」
知り合いの居酒屋で6月からバイトをし始めて、早3ヶ月。最初こそ不安でいっぱいだったものの、今ではすっかり慣れてお客さんとお話する位の余裕がやっとできてきた。
「やっぱりあまねちゃんはかわいいわねぇ。学校でも、モテるでしょう?」
「それが全然〜。恋人欲しいですよ〜。加藤さん、いい人紹介してくださいよぅ」
「えー? こんな40代のおばさんに聞いてもいないわよ」
忙しいけど、やりがいがあるし、こんな風に常連さんとお話しするのはとても楽しい。
「あまねー、ちょっときてー」
「は〜い」
お店の奥から私を呼ぶ声が聞こえて常連さんに別れを告げて、キッチンに戻る。
「佐野さん、どうしました?」
店長の
「ちょっと買い出し頼んでもいい? ちゃんと発注したはずなのに足りなくてさ」
「全然いいですよ〜。行ってきますね」
私は佐野さんからメモをもらい、近所のスーパーに向かった。
♢
スーパーで食材を買い揃え、店に帰る途中、私は道端で膝を抱えて座り込んでいる人を見つけた。
夜の繁華街では、珍しい光景ではない。
スルーしようと思ったが、その背中がお店の常連さんと似ていたから、声をかけた。
「五十嵐さん? なにしてるんですか〜〜?」
「———え?」
声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。真っ赤に腫らした目。
天真爛漫、という言葉が似合う、明るい五十嵐さんが泣きはらしている姿を、私は初めてみた。
「え、どうしたんですか?」
「あまねちゃん、話聞いてくれるのー? 優しいねぇ」
鼻声で鳴き声の五十嵐さんは、へにょへにょな笑みを浮かべている。その笑顔も、その声もどれも辛そうで見ていられない。
「聞くとは言ってないです」
反射的にそう返す。だって、泣いている五十嵐さんなんて、どう扱っていいかわからない。
「えぇ〜そんなぁ〜ひどいよぅ」
抱きついて、えぐえぐと泣き始める。
正直ちょっとめんどくさくて、引き剥がそうとしたけど縋るように泣いている五十嵐さんを見ているとそんなことできなくて、固まってしまう。
いつもお店で見ていた明るくて元気いっぱいで、彼氏の惚気を楽しそうに話している五十嵐さんと、目の前の崩れた姿が結び付かなくて心が痛む。
「……話は聞きますから。とりあえずここから離れましょう? お店まで行きましょう」
そう言うと、五十嵐さんはわかった、と言って素直に立ち上がり、私の後ろを着いてくる。
五十嵐さんは歩いている途中でもポロポロと涙を流し始める。
ちゃんと着いてきているか何度か後ろを振り返りながら、ぼんやりと思う。
———これ、めんどくさくなるなぁ。
私はひとつため息をついて、店に向かっていった。
♢
店について、五十嵐さんをカウンターに案内する。カウンターだったら佐野さんが話聞いてくれるかもしれないしね。
私は五十嵐さんの注文を聞き、バックヤードに戻る。
「成那ちゃん、どうしちゃったのかしらね。いつもはすっごく元気なのに…」
五十嵐さんのボロボロな姿を見た佐野さんが、ポツリとつぶやく。
「佐野さん、愚痴聞いてあげてくださいよ〜。私じゃ聞けそうにないです…」
私がそうしゅんとしながら伝えるけど、佐野さんは五十嵐さんが注文したレモンサワーをささっと作り、私に手渡す。
「まあまあ、拾ってきたのはあまねなんだから。あまねが責任を取って聞くこと! 賄い豪華にするからさ」
佐野さんはパチンとウインクをして、私の背中を押す。私は佐野さんに3秒くらい視線で訴えたが聞いてもらえず、私は仕方なくカウンターに向かう。
「五十嵐さん、大丈夫ですか? これ、レモンサワーです」
「ありがとうねぇ、あまねちゃん」
「いえ、ごゆっくり」
私がそのままその場を離れようとすると、五十嵐さんが私の腕を掴む。
「話きいてよ〜」
私が渋々五十嵐さんの隣に座ると、佐野さんがサイダーを持ってきてくれる。
しばらく五十嵐さんはレモンサワーをちびちび飲んで、ずっと黙っていた。
どのくらい経っただろうか。私のサイダーが半分くらいなくなった頃、五十嵐さんがポツリと呟いた。
「…………彼氏にね、フラれちゃったの」
だろうな、と思った。
いつも楽しそうに彼のことを話していたから、相当好きだったんだろう。私よりずっと大人で、綺麗で、余裕があると思っていた人が、恋ひとつでこんなに壊れてしまうなんて。
「すごい好きだったの。幸せだったな。プロポーズされててね。私、何か駄目だったのかなぁ」
そう言うと、五十嵐さんはまた涙を流す。
どれだけ泣いても枯れない彼女の涙に、彼女の想いの強さを窺える。私は慰めることも、相槌を打つこともできなくて、ただサイダーの氷をストローで突く。
高い背丈、長い足、ふくよかな胸、整った顔、艶々の長い髪、明るい性格。
同性から見てもわかる。かなりの優良物件だ。
本当に、どこを見てフッたのかわからないくらい。
プロポーズをされた、と言っていたから、彼だって五十嵐さんのことを愛していたんだろう。
五十嵐さんは次はビールを頼んで、ぐびぐび飲んでいる。私もサイダーのおかわりをもらいにバックヤードに一度戻る。
サイダーをコップに入れて戻ってくると、五十嵐さんは左手の薬指にはまった指輪を眺めていた。
小さなダイヤモンドがついたそれは、おそらく婚約指輪だったものだろう。
「あまねちゃんはさぁ、彼氏いる?」
「いません」
私が即答すると五十嵐さんは、そんなに即答しなくても、と言って笑った。
いないものはいないし、溜めたって変わらないのだから別にいいと思うのだけれど。
「あれ? でも2ヶ月前くらい、恋人と喧嘩したって言ってなかったっけ?」
突かれたくないところを突かれて、少し痛む。
「それで、フラれて、別れました。遠距離だったんですけど、私のことが…その、信用できないって言われたんです」
私は嘘でも、本当でもないことを言う。
本当は信用できないって言ってフラれたんじゃなくて…。
それ以上考えようとして、辞める。
あの人のことを考えたって、時間は戻らないし涙が出そうになるだけ。
だから、ってわけじゃないけど五十嵐さんの気持ちが痛いくらい伝わってくる。2ヶ月前の私、いや、今の私もあの人にフラれた痛みを引きずっている。
私はサイダーを一気に飲んで、また五十嵐さんの話に耳を傾けた。
♢
2時間くらい経っただろうか。
五十嵐さんはすっかり酔い潰れて、涙はいつのまにか止まり、アルコールの力でご機嫌になっていた。
「話聞いてもらえるなんておもってなかったからぁ〜、成那さんはうれしいなぁ〜!」
ここまでご機嫌ならいいか、とほっといてバックヤードに戻ろうと何度か試みたけど、毎回抱きついてきてなかなか戻れずにいた。
これ、いつまで続くんだよ……。
そう思っていると、佐野さんが言う。
「あまね、悪いんだけどさ、成那ちゃんを家まで送ってあげてくれる? ここからすぐだからさ。今日はそのまま上がっていいから」
「ええ…?」
「えぇ〜あまねちゃん、送ってくれるのぉ〜? やーさーしーいー」
私の困惑とめんどくささをよそに、五十嵐さんはフラフラ立ち上がって、フラフラ歩き始める。
「ちょ、危ないですよ」
私は五十嵐さんを支えて歩き始める。
後ろを振り返ると、手を振りながら笑う佐野さんの姿があった。
明日、絶対言ってやるんだから。
私は佐野さんを一度睨んでから、店を後にした。
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