第33話 人形師行方不明事件Ⅶ
交流会当日。
「公爵様、そろそろお時間です」
バルドルフを迎えに来たのは燕尾服に身を包んだ黒髪の美しい青年だ、名前はノクシルといったか。
たしか息子セルジの執事兼補佐役として雇ったはずだ。
主な仕事はセルジの世話と補佐だが、あまりにも有能ゆえにバルドルフ自身も時折用事を言いつけていた。
「……わかった、すぐに行く」
答えながら、バルドルフは鏡の前に立ち、身なりを確かめる。
そこに写っていたのは、六十を過ぎ、疲労に覆われた男の姿。
(……いつの間に、これほど老け込んでしまったのか)
そう思った刹那、室内の明かりがふっと落ちた。
「っ!?」
先程まで傍らにいたはずのノクシルの姿が消えている。
慌てて声を上げようとした時、不意に鏡の中の己に違和感を覚えた。
『バルドルフ……』
「ひっ!?」
『バルドルフ……』
低く恨めしい声が、鏡の中から響いた。
短く悲鳴を上げた瞬間、ぱっと明かりが戻る。
「……公爵様?いかがいたしましたか?」
振り返れば、そこには怪訝そうな顔のノクシルが立っていた。
再び鏡を見れば、ただ怯えた自分の姿が映っているだけだ。
胸騒ぎを抱えたまま、バルドルフは広間へと足を運ぶ。
(……気をしっかり持て。疲労が見せた幻だ。交流会を成功させれば、こんな亡霊に悩まされることもなくなる……)
会場の広間には既に高位貴族たちが集まり、音楽と笑い声が満ちていた。
煌びやかなシャンデリアの光も、バルドルフにはどこか遠くの出来事のように思える。
「父上、どうかなさいましたか?」
息子であるセルジの声に振り向いたバルドルフは、胸のざわめきを押し隠すように小さく咳ばらいをした。
それでも視線の先に広がる光景に、どうしても違和感を覚えてしまう。
(……なぜ、もう宴が始まっている……?)
高位貴族たちは談笑し、杯を傾け、音楽に耳を傾け各々楽しんでいる。
さらに目を凝らせば、王太子までもが既に到着し、客人たちと親し気に語らっているではないか。
(おかしい……私は今しがた広間に入ったばかりだ。主催者である私を待たず、誰が勝手に始めさせたんだ?)
不快感を覚え、バルドルフはセルジに視線を向けた。
「……セルジ。主催である私がまだ来ていなかったのに、なぜ宴を始めさせた?」
「はい……?」
セルジは目を瞬かせ、まるで意味が分からないというように首をかしげる。
「父上は何を仰っているのです?三十分も前にご自分で広間にやってきて、堂々と開会を宣言なさったではありませんか」
「……なに?」
セルジの答えに、血の気が引いていく。
三十分前といえば、まだ自室で身支度を整えていたはずだ。
「馬鹿な……。そんなはず……!その時間、私はまだ部屋に――」
そこまで言いかけたところで言葉を止める。
王太子が笑みを浮かべて、こちらへ歩み寄ってきたのだ。
「これはこれは、ドルイゼル公爵。開会の挨拶はまことに見事でしたね。それに妹への贈り物もいただいてしまって。あのように精巧な人形をいただいたと知ったら、妹もきっと喜ぶことでしょう」
「……人形、ですか」
王太子とは面識はあるものの、こうして話すのは今日が初めである。
彼の妹である王女への贈り物を渡したことなど、もちろんない。
背筋に冷たい汗が伝う。
「ええ。あの双子の人形ですよ。全く同じ顔の物を作れるとは、公爵家が抱えている人形師はさぞ腕が立つのでしょう。ぜひ一度、お目にかかってみたいものです」
"双子"――その言葉が胸を抉った。
自分が最も忌み嫌わなければいけないもの。
そんなものを王女への贈り物に選ぶなど、あり得るはずがない。
思わず言葉を失うバルドルフをよそに、隣のセルジがにこやかに会話へ割って入った。
「父が王女に人形を?双子人形とは珍しいですね。ぜひ、私にも見せていただけませんか?」
「もちろんですよ」
王太子は軽やかに応じ、侍従に合図して箱を運ばせた。
ほどなくして運ばれてきた四十センチほどの箱を開けると、中に収められていたのは二体の男の子の人形。
瓜二つの綺麗な顔に、色違いの衣服。
その服を見た瞬間、バルドルフの胸を雷のような衝撃が貫いた。
(まさか……!)
幼き日、母が兄と自分に特別に仕立てたのだと言って着せていた服。
『双子なんて迷信だ、僕がバルドルフを守るから!』と笑っていた兄。
そして、あの日血に染まり二度と並んで立つことができなくなった兄。
「あ……あ、あ……」
震える唇から声にならない呻きが漏れた。
そんな彼の狼狽に気が付かず、王太子は柔らかく人形の髪を撫でる。
「実に素晴らしい出来です。妹の手にはもったいないほどに。王城の宝物庫に飾ってもよいくらいです」
「それは光栄です。作り手の人形師も喜ぶことでしょう」
セルジと王太子が穏やかに交わす言葉も、バルドルフの耳には入ってこない。
「……父上?大丈夫ですか?」
セルジが異変に気が付き、心配そうに声をかけてくる。
「今日の準備も大変でしたし、無理せず休んでください」
「セルジ殿の言う通りです。顔色が悪いですし、少し休憩されては?」
王太子にまでそう言われ、バルドルフはなんとか表情を取り繕ってうなずいた。
「……少々疲れが出てしまったのかもしれません。申し訳ありませんが、少し外の空気を吸ってまいります。殿下は引き続き、交流会をお楽しみください」
恭しく礼をして、バルドルフは一人広間を後にした。
人気のない廊下に出ると、大きく息を吐く。
胸の鼓動はまだ荒く、背中を伝う汗は乾く気配を見せない。
(……落ち着け。あれはただの人形だ。私が動揺する必要など、どこにも……)
そう自分に言い聞かせながら顔を上げた瞬間、心臓が凍り付いた。
「……っ!」
廊下の先に、それは立っていた。
年老いた自分と瓜二つの姿を持ちながら、どこか若々しさを残した男。
生きていれば、まさに今の自分と同じ年齢になっていたはずの、双子の兄。
「あ、兄上……!?そ、そんなはずっ……!」
バルドルフの脚は震え、腰が抜けて床に崩れ落ちてしまう。
その男は無言のまま、一歩、また一歩と近付いてきた。
「く、くるな……!し、仕方なかった……!俺たちが双子で生まれてしまったから……!俺のせいじゃないっ!!来るな、来るなあぁっ!!」
悲鳴に似た叫びが廊下に響き渡る。
その声は広間にも届いたらしく、背後にある扉が開いてセルジや王太子、さらに数人の招待客が駆けつけてきた。
「父上! どうなさったのです!?」
「公爵様、今の悲鳴は……!」
しかし彼らの目に映っているのは、錯乱して座り込んでいるバルドルフの姿だけ。
「……亡霊が……!そこに……!」
震える指先で廊下の闇を指さす。だが、そこには誰の姿もなかった。
先程まで兄らしき男が立っていたはずの場所は、その痕跡すらない。
「……父上?」
「何を……おっしゃっているのです、公爵様」
セルジとノクシルが困惑を装いながらも、わずかに視線を交わす。
王太子もまた、不安げに眉をひそめた。
やがて駆け付けた招待客たちの間に、ひそひそとした声が広がっていく。
「公爵は幻でも見たのか……?」
「息子の一人を監禁してる、なんて噂もありますしな。正気を失ってしまわれたのでは?」
「ご高齢ですし、そろそろ当主を交代された方がよろしいのかもしれませんね」
「領民たちにも噂が広がっているようですよ」
「まあ、それは困りましたわね。このままでは、我が家も付き合いを考えねば」
この日、バルドルフが晒した失態は瞬く間に貴族社会に広がり、ついには王室から『当主交代』の命が下されるまで、収まることは無かった。
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