第8話

男子寮一階、108号室。

ぎぃ、と扉が閉じられると、急に喧騒が遠ざかり、三人だけの空気が流れた。


「……結構、広いな」


和樹が荷物を床に下ろし、十畳ほどのフローリングに二段ベッド二つのシンプルな造りを見渡す。

壁は新しく塗られているが、ところどころに古い傷や落書きの痕が残っていた。テレビやドレッサー、クローゼットなどの必要最低限の家具は揃っており、中央には丸い大きめの机が置かれている。

窓からは暮れかけの空が覗き、校庭のざわめきがかすかに聞こえてくる。


「一階なのは気に入らないけどね~」


靴を脱いで軽やかに飛び込んだのは瞬。

鏡を取り出し、前髪をくるりと整える仕草まで一分の隙もなく絵になる。


「まぁ…思ったよりは快適そう。ん~、悪くない悪くない」


そう言いながら二段ベッドの下段に腰を下ろし、ポンと掌でベッドを叩いた。


「……」


その後ろから、すり足で音も立てず美治が続く。

体をすぼめ、荷物を抱きしめるようにして足元を気にしながら入ってきた。

視線は床とベッドを行き来し、誰とも目を合わせようとしない。


和樹はその様子を見て慌てて笑顔を作る。

「清水和樹。えっと、よろしく!」


瞬が間髪入れず、「僕は菊池瞬。瞬って呼んでー!」とベッドの上でバウンドしながら明るい笑顔を見せた。


美治は前髪の陰からおずおずと顔を上げ、「は、榛名……美治です。よろしく」とぎこちなく零す。


「いや声ちっさ!せっかく同じ部屋なんだから、仲良くしよ~よ!」


瞬はケラケラ鈴が転がるように笑いながらポフン、とベッドに背中を沈めた。


「いや、その…おれ…実は勉強も実技も全然で…組高に入れたのも…奇跡みたいに…思ってて…」


美治はそう紡ぎながら、言葉が途切れるたびに肩が小さくすぼんでいく。


「…あー、そういう感じ?」


瞬は一度深く呼吸をしてからゆっくりと上体を起き上がらせ、先ほどまでの笑顔をスッと引いて美治を見つめる。


「お願いだから、足引っ張んないでよね」


「なっ……!」


和樹は絶句した。


――この流れで、よくそんな棘のある事言えるな…!?



「アンタが自信ないのは、どうでもいいけど。僕に迷惑かけないで」


「ちょ、言い過ぎっていうか思いやりなさすぎっていうか…仲良くしようよ…!瞬くんも言ってたじゃん!」と和樹が咄嗟に止めに入る。


榛名は無言で青ざめている。


――そりゃそうだ、ここまで感じ悪いこと言われたら俺でも言葉失う…!この空気、なんとかしないと…!


和樹が頭をフル回転させてこの窮地を切り抜ける策を巡らせている間にも、瞬のアクセルは止まらない。



「そっちもさ、いい子ぶるのやめてくんない?班の功績になるんだよ全部。落ちこぼれ一人のせいで、僕たちの成績も落ちるんだよ。いいの?それで」


キレッキレの瞬に、和樹は小さく喉を鳴らした。


確かに、組高は個人よりも班での行動に対する評価に重きを置いている。それぞれ長所があるように、短所もある。それをどのように補い合い、高めあい、任務を遂行するか。そのチームとしての総合力が実戦では重要だからだ。


和樹が返す言葉もなくうろたえていると、「…ご、ごめん…」と美治が床へと視線を落とした。


「い、いやいや、組高受かったんだし!そんな思いつめないで!実力なんてまだ分かんないよ!」和樹は無理やり笑顔を作って必死にフォローを入れる。


「…」


「…」


誰も言葉を発さず、地獄のような空気が流れていく。


――神様、助けてください。


和樹は心の中で神に祈った。神を呼び出すのは、賞味期限切れのクリームパンで食あたりを起こし、トイレで腹を抱えながら祈って以来だった。


コンコン、


ノックが響き渡り、和樹の「は、はい!」という返事の後にノブが回る。


「お邪魔しまーす。荷物置けたら寮のルール説明するから、また玄関ホールに…」


少しだけ開いた扉の隙間から重い髪を垂らして覗いた平戸が、少年三人が向き合って沈黙している空間に言葉を止めた。


「…うーわ、すっごいね空気。何、お通夜?」


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