—O在住 YA氏の件 〜破〜 —

 何もない。おかしい。

 確かに感じるのに、何もない。


 YAさんとの久々の食事会から三日、私とMちゃんは依頼されたNさん宅にいた。

 実際にYちゃんと向き合い、話をしたが、妙な感覚ばかりで、一向に実態が掴めない。そこにあるのに、ないのだ。

 まるで、空の箱のような、残り香のような、残像のような⸻

 おそらく、Yちゃん自身がどうこうしているわけではなく、その“名残”を残している何かが、悪さをしているのだろう。

 それにしても名残を残すほど、何かはYちゃんに固執しているということか。

「わたしが誰かを大切に想うと、頭の中とか、心の奥とか、体の中までざわざわしだすんです。いっぱい、誰かがいるんです。心臓もドキドキしだして、いっぱい心臓があるんです」

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中、隅で蹲るYちゃんはとても小さく見え、その表情には胸をギュッと締め付けられた。

 Yちゃんのお兄さんであるSさんから事前に聞いた話では、部屋に閉じこもってからはほとんど何も話してくれていないとのことだったので、私もMちゃんも、同席しているSさんは驚き顔ではあるが、一先ずは安心、といったところだった。

「Yちゃんの中に現れる誰かは、一人じゃないんだ」

「はい。たくさんいます。でも、一人なんです」

 どういうことなのか。

 錯覚か、誤認識か、もしくは⸻

「それは、たくさんいるうちの一人が、関わってくるってこと?」

「違います。たくさんいるのに、一人なんです。いっぱいなのに、一人なんです」

 いっぱいなのに、一人……そうか。

「引きずり出せるかもしれない」

 Mちゃんの言葉に、私は不安になった。

「いや、Mちゃん……」

「たしかにリスクはある。でも、姿を現すまで待ってたら、Yちゃんはどうなるの?」

 返す言葉が無かった。

「心配してくれてありがと。でも、私は大丈夫だから。ねッ」

 …………。

 今は、Mちゃんの笑顔を信じるしかない。

「……わかった。何かあったら、絶対助けるから」

「ありがと。でも、Yちゃん最優先だよ?」

「うん。任せて」

 MちゃんがYちゃんに視線を向ける。

「Yちゃん、今までの出来事はね、たぶん⸻ううん、絶対、Yちゃんのせいじゃないの。何かのきっかけで入り込んだモノが、悪さをしてる。そのモノを引きずり出して、対処すれば、Yちゃんが経験したようなことは、もう二度と起きない」

 Yちゃんの眼差しが胸を刺し、覚悟を強くさせていく。

「でもその中で、苦しかったり、悲しかったりするかもしれない。辛いことがいっぱい溢れ出てくるかもしれない。けど、私たちやお兄さんを信じて、向き合ってほしいの。目を逸らさず。そしたら必ず、助けられるから。絶対、助けるから」

 潤んだ瞳でひとつ、Yちゃんは頷いた。

「Sさんも強く、心を持ってください。Yちゃんを絶対、助けますから」

 はい、と緊張した声が聞こえた。

「じゃあ、いくよ」

 Mちゃんがそっと、Yちゃんの頬を両手で包む。

 ふぅ、とひとつ呼吸をし、Yちゃんの目を見つめた。


 ハテマゴヨトワ⸻


 YちゃんがまっすぐにMちゃんを見つめている。


 マラリタロゼド⸻


 呼吸が荒くなってくる。


 ガタエシモウシ⸻


 Yちゃんの瞳が突然、白くなった。


 タノミマケ⸻


  ウアアァァァァァ!!!!!!


 姿を現したか。


  来るナ! 近寄るナ!


「この子がよっぽどお気に入りみたいね。でも残念だけど、出てってもらうよ」


  ウルさイ! 出ていくもノカ!


「言うこと聞かないなら、力ずくで出てってもらうよ」


  デキるものカ! 我ワレはつながっていルンダ!


「繋がってる……?」


  渡さん! 離れろ! 傷つけるな!


「⸻?」


  私が……守らなければ……私の……責任だ!


「この声、まさか……」


  誰も寄るな……誰も関わるな……私の…………


  娘にッ!!!!!


「うっ……!!!」

 強く弾かれたMちゃんを抱きとめ、Yちゃんを見る。

 白くなった瞳は正常に戻ったが、その表情は悲しげで、天を仰ぎ、震えている。

 そして中空を見つめるその目からは、涙がとめどなく溢れ出していた。


「死別した?」

「はい。十六年前に」

「十六年前?」

 Sさんの言葉に耳を疑った。

 しかしあの声はたしかに⸻

「え……それじゃあお二人は……」

「異父兄妹、ということになります。誰がYの父親なのかは知りませんが」

 布団に埋もれ、静かに寝息を立てるYちゃんを見た。

「仕送りはあるんですよね?」

「ええ、そのようです。おかげで生活は困りませんでした。でも、俺は許せないんです。子供を作るだけ作って、金だけ渡せば責任をはたしていることになるのか。母さんだって、Yだって、寂しくて、辛かったはずです」

 “優しい子”、か……。

「なにか、事情があったのでは?」

「それにしたって手紙のひとつくらいは出せるはずです。それすらしないんですから、俺は納得できません。……いくら父親が違うことを知らないとはいえ、Yがかわいそうです。おまけにこんな……呪いみたいなこと……」

 これ以上、私とMちゃんは何も言わなかった。


 Nさん宅を一先ず後にし、私とMちゃんは聞き覚えのある、あの声の主のもとへと向かった。

 やるべきことをやらねばならない。


 真実を知り、“本当の依頼完了”とするために。

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