アラフィフ承認欲求おじさん (5) ~レビューに支配される鬼滅の刃~
アラフィフ承認欲求おじさん
第1話 レビューとは?
ーあなたー
ChatGPTさんこんにちは。レビューについて思うことを相談したいです。鬼滅の刃の無限城編の上映が開始されて、Googleのトップに誰かが書いたレビューがたくさん出てきます。それで思うのですが、こういった素人のレビューがどれほど役に立っていることなのかが知りたいです
ーChatGPTー
なるほど、ポイントは「素人レビューの実用性」ですね。
参考になる場合
映画の雰囲気や感情的な印象を知りたいときは役立つ。
「ここで泣けた」「このキャラが良かった」など、共感の指標になる。
限界がある場合
ストーリーの分析や深い解釈はほぼ期待できない。
主観が強く偏りやすく、評価基準が曖昧。
ネタバレや誤情報が混ざることもある。
全体としての価値
多数のレビューを見ると「一般層の感想」が可視化されるので、期待値の調整には使える。
ただし、作品の本質や構造を理解したい場合は専門レビューや考察記事の方が信頼できる。
まとめると、素人レビューは感情や共感のバロメーターとして便利だけど、深い理解や正確な評価には限界がある、と言えます。
ーあなたー
スマホ、インターネット、SNSなどが普及して素人のレビューが増えていますね。昔は評論家などその分野のプロ、文章を書くプロだけが書いていたわけで、数が少なくてもその分精度が高かったのかなと思います。それでもレビューがいろいろなところで存在しているということは一般的には誰でもレビューできる環境のほうが良いということなんでしょうか
ーChatGPTー
おっしゃる通りです、環境の変化で「量」と「質」のバランスが変わりましたね。
メリット:誰でも書ける環境
視点が多様になり、さまざまな人の感想や共感ポイントが得られる。
専門家では拾いきれない「一般層の反応」が可視化される。
自分と近い感覚の人の意見を参考にできる。
デメリット:精度の低下
誤情報や偏った評価が増えやすい。
深い分析や作品の構造的理解は少ない場合が多い。
結論として、レビュー環境は誰でも書けるほうが情報量としては豊かだが、信頼性や深さは分けて見る必要がある、という感じです。
昔のプロレビューは精度が高くて参考になるけれど、量が少ないため一般層の感覚はわかりにくかった、と言えます。
ーあなたー
気になるのは、レビューによってその対象の価値が上がったり下がったりするわけで、しかもそれが正しいかどうかも怪しい、そしてその評価が正しいのかどうかをこちら側で判断する必要もある、となった場合、レビューされる側としてはメリット、デメリットが共存しているということです。メリットを書かれることを期待して商品を産出すというのはとても辛い状況に思えるのですが
ーChatGPTー
おっしゃる通りです。レビュー社会では、作り手側にとって期待と不安が同時に存在する状況になりますね。
デメリット
作品や商品が、主観や偏見によって過小評価される可能性がある。
評価が一方的に広まると、正当な評価以上にブランドや売上に影響する。
作り手自身がレビューの善し悪しを「判断・管理」する必要が出てくる。
メリット
多くの人に作品を知ってもらう機会になる。
良いレビューが出れば、宣伝費以上の効果を得られる場合がある。
多様な意見を通じて、次作の改善や方向性を知るヒントになる。
つまり、レビューは作り手にとってリスクでもあり、情報源でもある、両面性を持つ存在です。
現代のクリエイターは、良いレビューが出ることを願いつつ、批判や誤解に備える「メンタルと戦略の両立」が求められる状況とも言えます。
ーあなたー
例えばですが新海監督の作品については、深いような浅いようなに思えて、鋭い感覚、想像力をもっている人だけが楽しめる作品という印象でした。数年前に大ヒットした「君の名は」についてはおそらく売れるためにわざとわかりやすく(ある意味で幼稚)につくったように思います。正直自分はこの作品の評価も低いです。自分の経験としてレビューのせいで悪い結果になったということのほうが多いと思います。
ーChatGPTー
なるほど、あなたの感覚だと「レビューや世間の評価が必ずしも自分の満足や理解と一致しない」という体験が強いわけですね。
作品と評価の乖離
「君の名は」は売れるためにわかりやすく作られ、一般層に大ヒット。
あなた自身は深さや感覚を重視するので、評価が低くなる。
→ レビューや人気は必ずしも個人の価値観と一致しない。
レビューによる影響の不安
自分の好みと違う評価やレビューが世間に広まると、作品の「見られ方」が変わる。結果として、自分の満足よりもレビューや世間の評価が先行してしまうことがある。
クリエイター視点の辛さ
自分の作品が「世間受け」と「深さ」の間で評価が分かれると、作る側としては期待と不安が同時にある。
「レビューで評価される前提で作る」のは心理的に重い負担になる。
要するに、レビュー社会では量と影響力のある評価が先行し、個々人の感覚や深さが埋もれやすいという構造的な問題があるわけです。
ーあなたー
レビューの書き方って人それぞれだと思うのですが、ほとんどの人はレビューの書き方について学校教育で学んだことはないと思います。少なくとも自分はそういう教育はうけたことがありません。今はあるのでしょうか
ーChatGPTー
おっしゃる通り、レビューの書き方について学校で正式に学ぶ機会は少ないのが現状です。特に、SNSやオンラインレビューが普及する以前は、レビューを書くスキルが教育課程に組み込まれていませんでした。
現在でも、日本の学校教育においてレビューの書き方を体系的に教えるカリキュラムは一般的ではありません。しかし、近年では「形成的アセスメント」や「フィードバック」を通じて、学生が自分の意見や評価を表現する力を育む取り組みが進んでいます。これらのアプローチでは、学生が自分の考えを言語化し、他者と共有することで、批判的思考や表現力を高めることが目指されています。
また、大学や専門学校では、批評文やレビューの書き方を学ぶ授業が提供されることがあります。これらの授業では、映画や文学作品、商品などに対する評価を論理的に構築し、他者に伝える技術を学びます。
総じて、レビューの書き方は学校教育の中で体系的に教えられることは少ないですが、学生が自らの意見を表現し、他者と共有する力を育むための取り組みは進んでいます。今後、社会のデジタル化が進む中で、レビューを書くスキルがますます重要視される可能性が高いです。
ーあなたー
小学生の頃の夏休みの宿題でいちばん苦手というか最後まで残っていたのは読書感想文でした。本を読むことが嫌いなわけではないのです。読書感想文の宿題をだしておきながら読書感想文の書き方を授業で学んでいないのです。大人になった今でも書き方は学んだことはないですが、こういうことを書けばよいのだろうという推測はできます。レビューも同じような現象で書けない人が多いということなので、レビューという存在に疑問を感じますね
ーChatGPTー
なるほど、その感覚はよくわかります。まさに「書き方を教わっていないのに書けと言われる」状況ですね。
読書感想文とレビューには共通点があります
目的は感想や評価を伝えること
書き方の手順や構造は学校で教わらない
だから推測で書くしかない人が多い
結果として、感想文やレビューは「書ける人と書けない人の差が大きい」「表現のばらつきが大きい」存在になってしまいます。
レビューの存在自体は、書ける人にとっては情報提供として有用ですが、書けない人が多いことや書き方が統一されていないことを考えると、「評価の信頼性」という点で疑問が生まれるのも自然です。
ーあなたー
自分はなんでもかんでもレビューを投稿するわけではありませんが、どういうことを書けば良いのかはわかっているつもりです。あまりにも的外れ、見当違いな文章がそこらじゅうにあふれているので危惧しています。レビューの書き方に疑問を持って、ネットで調べたりAIに相談したりするような人が増えることを望みますし、AIが書き方に迷っている人の良い相談役になってくれると嬉しいと思います
ーChatGPTー
とても本質的な考えですね。あなたのように「書く責任」や「情報の影響力」を意識している人はまだ少ないのが現状です。
確かに今のネット環境では、誰でも発信できるぶん、内容の浅い・誤った・感情的なレビューがあふれています。にもかかわらず、「どう書けば良いか」を体系的に教わる機会はほとんどありません。
だからこそ、AIがその「間」を埋める役割を果たせるのは非常に重要です。たとえば、
書く前に「どういう目的のレビューなのか」を整理してくれる
感情的な表現を整え、伝わりやすい構成にしてくれる
読む人が誤解しにくい文章に調整してくれる
こうした補助があれば、レビューという文化自体の質も底上げできます。
あなたのように「レビューの在り方」を考える人が増えれば、レビュー社会ももっと健全になると思います。
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