第51話 車での送迎
絵麻は玄関へと向かった。
もうここへ来ることはほとんどないかもしれない。
ふとそう思ったが、名残惜しさの欠片もなかったことにも気がついた。
「絵麻さん」
呼び止められ、玄関ドアの手前で足を止めて振り返る。
「ありがとうございました」
健一だった。晴れやかな顔をしている。
「期待以上でしたね」
絵麻が答えると、追いついてきた健一はさらに笑みを大きくした。おそらく自分も同じような顔をしていたのだろう。
「ええ。行きましょう」
二人で邸を出て駐車場へ向かう。レオは昼食会が終われば休暇だと伝えてあるため、帰路の運転は絵麻自身がする。健一はこのまま実家へ帰ると言うので、それならばと駅まで送ってあげることにした。
「あの二人の表情、傑作でしたね」
二人きりの車内。今のタイミングとしては、これ以上ないほど最適な相手と言える。不義をした姉弟の婚姻者であり、離婚を突きつけたばかりの者同士だ。
「はい。あんな姿は見たことがありませんでした」
「ええ。想像通りではありましたけど。清澄は清香さんがいなければ何にもできない木偶の坊ですもの」
「清香さんは相手を責めるだけですからね」
二人は同時に吹き出し、お互いの配偶者の狼狽した様子を思い出して笑った。
「社長ご夫妻はお気の毒でした」
健一は言った。
「構いませんわ。こどもたちを可愛がり過ぎたからこその結果ですもの。大人になれば親に責任はないなんて言いますけれど、さすがにそのレベルは超えていると思います」
「確かに、我が子二人が関係を持つなんて、ゾッとする話ですよね」
「そうですわ。それに大人になってからの話じゃないですもの。おそらくですけど」
いつから関係を持っていたかはわからないが、子どもの頃から今に至るまでベッタリなのだから、お互いに二人以外の相手はいなかったように思う。
「何もかも絵麻さんのおかげです。証拠を揃えてくださったり、最後のあの一押しも。絵麻さんがいたからできたことです。本当にありがとうございました」
「ずっと以前から疑っておりましたから、遅いくらいですわ」
「いえ。疑念だけで行動には移せずにいましたから」
自分こそそうだ。ずるずると2年も結婚生活を続けていたのだし、それまでも、20年以上もの間婚約者であり続けていた。破棄などいくらでもできただろうに。
今思えばバカだったと思う。こんなにあっけないことだったのに。何をぐずぐずとしていたのだろうと。
思いにふけっていたら、健一も押し黙ってしまったので、絵麻は話題を変えることにした。
「実家へ帰られて、そのまま戻られるんですか?」
「はい。もう荷物もまとめてあります」
「まだ離婚は済んだわけでもないのにいいんですか?」
「ええ」健一は笑った。「別居というやつでも十分です。引越し業者も予約してあるので、二度とあの家には戻りません。あ、搬出のときに立会はしますが」
「じゃあ会社も?」
「はい。辞表は既に提出してあります。実は上司や同僚には既に事情を伝えておりまして、離婚を切り出す前に社長たちの耳には入らないようにとお願いしておりました。みにさま理解してくださり、応援までしていただいて、引き継ぎも無事に終えることができました。本当にいい方たちばかりでした」
意外にも行動力のある人物だったらしい。ぐずぐずとしているように見えていたが、こうと決めたら別人のようだ。レオの評価も頷ける。
「実は昨夜は送迎会だったんです」健一は続けて言った。「ですから、思い残すことは何もありませんね」
そう言ってまたにこやかに笑った。
「では、本当にありがとうございました」
車を降りたあと、サイドウィンドウを覗き込みながら健一は言った。本当にこのまま帰郷するつもりだったらしく、手にはバッグ一つだけだ。
「朋子さんによろしくお伝えください」
「はい。是非一度遊びに来てください」
「じゃあ、飲みに行きましょうとも伝えておいて」
「わかりました」
健一は笑顔で去って行った。
駅へと向かう背中を見送ったあと、絵麻はバックミラーを今一度見た。やはり動く気配はない。それを確認し、車から降りて後ろの車へと向かった。
進藤家の実家を出てしばらくして気がついた。駅につくまでの間、1台の車がピタリと後ろについてきていたのである。
清澄でなければいいがと思い、もしくはナンパか犯罪者でなければいいと、戦々恐々としていたのだが、なんてことはなかった。
「なにしてんのよ」
助手席側から車内を覗き込み、運転席に座るレオに声をかけた。
「いかがされたのですか?」
いかがしたのはおまえのほうだ。休暇にしたうえに、健一を送り届けるための運転も頼まなかったというのに、これでは意味がない。
「あんた、暇なの?」
「職務です」
「休暇にしたでしょ?」
「……必要ありません」
仕事熱心なことだ。せっかくの好意もレオのまえでは無駄らしい。
「じゃあ、家へ戻るわよ」
「承知致しました」
絵麻は車に戻り、自邸へ向けてハンドルを切った。
走行中、Bluetoothでスマホを繋げて音楽を聞いていたのだが、しばらくして突然コール音が鳴った。
車載モニターには、父からの着信だと表示されている。
おそらく昼食会の件に違いない。母と二人で父を置いて出てきてしまったので、それを咎められるか、それとも事実確認か。
長くなるかもしれないと肩を落としつつも、電話を受けない選択肢はなく、絵麻は受話ボタンを押した。
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