第44話 昼休みの面会

 レオは宣言通り探偵の真似事をしているようだった。昼夜問わずにふと邸から消えて、執事業務のときは戻ってくる。絵麻に支障がないようにはしてくれているが、睡眠時間は足りているのかと少し心配になる。熱心でありがたいとは思いつつも、気を使ってあまり呼びつけないようにしていた。

 桐谷とも連絡を取り合っているようで、桐谷が生田から聞き出した智也の会社や浮気相手、交友関係など、彼の素行調査をするのに十分な情報を得られたようだった。

 詳細は個人情報だからと教えてくれないものの、浮気の証拠集めは順調らしい。DVに関しても、絵麻たちの証言があるし、通報したときの調書や、入院時の診断書などが使えるから十分だそうだ。しかし今回の件とモラハラに関してだけは、早苗の証言が必要なため、現段階でできることはないと言っていた。

 

 数日ほどしたのちに、早苗からメールが届いた。

 翌日には意識が戻っていたらしく、精密検査などで忙しくしていて、ようやく落ち着いてきたらしい。

 タブレットはWi-Fiオンリーだと言っていたからどうしたのかと聞くと、実母から借りたスマホだと言う話だった。


 サカ☆カササギ[また絵麻さんにお世話になってしまったみたいだね。ありがとう。影谷さんにも今度改めてお礼を言わせてください]

 EMA522[よくなってよかったわね。体調はどう?]

 サカ☆カササギ[もうだいぶよくなって、売店とか行ったりできるよ。でも念の為に退院は来週になった]

 EMA522[退院が決まったんだ]

 サカ☆カササギ[そう。前回みたいに早く家事をしろって智也に言われるかと思いきや、ゆっくり入院すればいいって言ってくれて、びっくりだよ]

 浮気相手を自宅に引き入れているからだろうけど、そんなことを早苗に言えるはずがない。しかし、それに対してどう考えているのかは気になる。

 EMA522[それって、怪我させたお詫びの気持ちからなのかな?] 

 サカ☆カササギ[違うと思う。浮気相手でも家に呼びつけてるんじゃないかな?]


 絵麻は驚いた。今回はほだされて再構築の方向へは行っていないらしい。

 EMA522[本当?]

 サカ☆カササギ[智也に頼んでも着替えを持ってきてくれないから、両親に頼んだんだけど、アパートに入らせてもらえないらしい。怪我のことだけでもカンカンなのに、まさか浮気じゃないよなって激怒してる]

 EMA522[つまり、あの怪我は旦那さんなの?]

 サカ☆カササギ[そうだよ。昼休憩のときに来て、殴って出ていったから、こんなに大怪我をしたのは知らなかったみたい。出ていった姿を見たあとの記憶がないからわからないけど]

 話を聞くと、再構築を後悔し始めていた早苗は、最近あまり従順ではなくなり、言い返すようになっていたらしい。あの一件以来暴力を振るわなくなっていたから、油断していたとも言っていた。

 智也が出勤したあとタブレットを持ち出そうと隠し場所へ行くと、そこになかったそうで、智也にバレたことにすぐに気づいた。

 しかし、智也からの仕打ちはモラハラだったのではないかと気づき始め、離婚さえ視野に入れていたから、それを示唆するようなメールは残しておくべきではないと考えて、送受信の度に削除していたらしい。だから見られたのは待ち合わせのメールだけだった。

 ただ、それだけでも智也の怒りを買うには有り余るほどだった。

 サカ☆カササギ[削除しておいてよかったよ。見られてたらこんなんじゃ済まなかったかも。殺されてたかもしれない]

 文章の終わりに絵文字があり、冗談のように書かれてあるが、本人もヒヤリとしたに違いない。実際に智也に対面した今となっては、絵麻も冗談だとは受け取れなかった。

 

 早苗に、証拠集めの調査をしていることを説明した。レオが筆頭となり桐谷も協力してくれていることも。

 早苗の意思確認なく始めてしまったことなので、咎められても仕方がないと思っていたが、彼女は驚きつつも感激しているようだった。

 とはいえメールだけでは本音かどうか読み取れない。やはり面と向かって反応を見なければ。

 そう思い、見舞いへ行ってもいいかを伺ってみた。

 

 サカ☆カササギ[むしろ暇してるから来てくれると嬉しい! あ、でも桐谷さんは連れてこないでね]

 

 一も二もなくという調子で快諾してくれた。それならば早速明日はどうかと提案し、承諾の返事が来た。

 しかし、なぜ桐谷の名が出たのだろう。あの日会う約束をしていたから絵麻が誘うと考えたのだろうか。

 不思議がりながらも、桐谷は連れて行かないが、レオは連れていくことにした。

 早苗に関する調査を実際にしているのはレオだから、本人から説明させたほうが早いと考えたからだ。


 翌日になり、お昼すぎに病室へ向かった。明日から相部屋へ移るそうだが、今日までは個室らしい。

 面会の旨をナースステーションで伝えて、部屋へ向かったところ、ドアの前でレオに手を掴まれた。

 説明もなく、来た道を戻るように引きずられていく。

「なによ」

 その足取りは小走りに近く、院内で歩くにはマナー違反ギリギリのレベルだ。

「じゃあ、また明日」

 声がして後ろを振り返ると、早苗の病室から見覚えのある男性が出てきたところだった。

 

 レオはナースステーション付近の電話コーナーに入った。

 絵麻を先に押し込み、ドアを閉めてガラス窓から廊下の様子を見ている。

「あれって、早苗さんの旦那さん?」

「お静かに願います」

 絵麻も見ようとするも、その電話コーナーは幅が狭く、小柄なレオでも立ちふさがると何も見えない。

 そう、驚くほどの狭さなのだ。閉所恐怖症なら耐えられないのではと思うほどの空間で、横幅は一人が限界。縦幅も椅子に座ったら何も出来ないような広さだ。まさに通話するだけの部屋。こんな空間に二人も入ったら満員電車にいるかのようだ。

 当然ながらそんなものに乗ったことはないものの、そのレベルだろうと思うほど、レオとの距離が近い。

「行った?」

 だから早くここから出して欲しい。

 他人とこんな距離にまで近づいたことなど、ゼロと言っていい。清澄ですら、あのおざなりなキスをしたとき以外はここまで近づいたことはない。

 不快ではないが戸惑ってしまう。何やら身体が熱いし、息苦しい。おそらく間近にいるせいでレオの体温が伝導し、密閉されてるせいで酸素が足りないからだ。

 レオは柔軟剤やトリートメントなどの香料のあるものを使っていないのだろう、素のままの石鹸の香りがやけに鼻につく。

「もういいんじゃないの?」

 30分は経過したのではないか。そう思うほどやたらに長く感じる。

「はい。おっしゃるとおりかもしれません」

 いつもの抑揚のない声を聞き、なぜかホッとした。焦る気持ちで背中を押そうとして、手を引っ込めた。触れるのにためらいを感じたからだ。

「参りましょう」

 レオはようやくドアを開けてくれた。

 しかし、なぜか再び手を握られる。

「放してよ」

 抗議するも、レオは無視してキョロキョロとしながら歩き出した。

 もしかしたらまだ智也の存在を気にしているのかもしれない。

 待合室でやりあったことで、絵麻に危険があると考えているのだろう。電話コーナーに隠れたのも、そして今手を握っているのも、それが理由だと思う。去ったはずが今一度現れた場合に備えている。それはわかるものの、わかったからといって構わないわけじゃない。

「手を繋いで歩いたのなんて初めてなんだけど」

 小声で抗議した。両親や影谷と、記憶も朧げな時期に繋いだことはあったかもしれない。しかし大人になってからは誰とも繋いだことはない。腕に手をかけるとか、階段を降りるときに支えてもらうとかそんなレベルだ。

「初めてではありません」

 レオが何かを言った。

「何?」

「17年と108日前に絵麻様が手を引いてくださいました」

「は?」

 そのとき病室の前に到着し、17年と108日ぶりらしい手は離れた。

 レオは何かを訴えるかのように視線をくれている。

 絵麻は目的を思い出し、ドアをノックした。

 

「早苗さん? 絵麻です」

「どうぞ」

 顔の熱は冷めたはずだ。しかし念の為にと、深呼吸をしてからドアを開けた。

「わ! もしかして影谷さん?」

 早苗はベッドにいて、身体を起こしていた。頭にはネットが巻かれ、左側の目元と頬は青紫色に腫れている。見るも痛々しい。

 本人の気持ちを慮り、気にしていない素振りで歩み寄った。

「そうよ。あ、これコーヒー」

 絵麻はベッドへ近寄り、『カフェ・モンパルナス』の紙袋を手渡した。

「ありがとう! 早速飲みたいところだけど病室じゃ無理だね」

「一応セットも持ってきたわ」

「なになに?」

 目を丸くした早苗に、さらに紙袋を手渡した。

「コーヒーミルとコーヒーメーカー。あとフィルターも。これで足りる?」

「嬉しすぎ!」

 早苗は飛び上がるようにしてベッドから出て、電源を探し始めた。

「私がセッティングします」

 レオが早苗に手を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 早苗は視線を避けるように顔をそむけ、おずおずと手渡した。


 レオはセッティングを終えて、水を買いに出た。冷蔵庫にあるからという早苗の遠慮を、絵麻は制した。

「それ使ったら買いに出なきゃいけなくなるじゃない。だったらあいつに行かせたほうがいい」

「てか、執事っておじさんくらいの年の人だと思ってた」

 既にレオはこの場にいないのに、早苗は声をひそめて言った。

「もとは父より年上の執事だったのよ。あいつは息子」

「え! 親子二代なの? すごいね。しかもめっちゃイケメンだし」

 早苗の返答を聞いて驚いた。これまで美醜の物差しでレオを見たことなどなかった。

「でもキモくない? じっと見てくる目が怖いのよ」

 今やそんなふうに感じていないが、返答に困ったため軽口を言う。

「何言ってんの? 全然キモくないよ。例の同僚とは系統が違うけど匹敵するレベル。モテるんじゃない?」

「はあ?」

 頭をぶつけたせいで、脳に後遺症が残ったのではないだろうか。

「大丈夫? 痛みとかある?」

「あ」早苗は人差し指を突きつけてきた。「頭が変になっていると思ってるな」

「そういうわけじゃないけど、さすがに生田さんに匹敵するってのは言い過ぎじゃない?」

「え?」

 早苗がきょとんとしたとき、レオが戻って来た。

「絵麻様、スターウォーズのビックリマンチョコがありました。買い占めて参りました」

「本当?」

 集めていたのに、もうほとんど店舗では見かけない。絵麻は嬉しくなり、立ち上がってレオの手からビニール袋をひったくった。

 そこにはパッと見て10個は超える数のビックリマンチョコがあった。

「他に在庫があるかどうか、聞いてから帰りましょう」

「伺いましたが、それで全部だそうです」

「なんだ」

 がっかりだ。

 しかし気を取り直し、袋からミネラルウォーターを取り出して早苗に向き直った。

「これ、コーヒーメーカーに入れればいいの?」

 しかし、早苗はきょとんとしたまま呆然としている。

 目が合っているのに心ここにあらずな感じだ。

「どうしたの?」

 絵麻は聞いた。

「生田さんの名前なんて教えたっけ?」

「え?」突然なんだろう。「言ったわよ。あの、メールで名前を確認し合うときに……」

 言いかけて絵麻はハッとした。

 レストランで見かけた程度で、レオと比較したことに違和感を覚えたのだろうかと。

「絵麻さん、もしかして生田さんと話した?」

 あまりに自然にその名を口にしてしまったせいもあるだろう。

 早苗のその声は確信しているようだった。

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