月と太陽は互いに照らす
大谷 宗則
月と太陽-1
五月二十五日 晴れ
今日は朝から日差しの気持ちいい天気だった。玄関を出ると〝ヒュー〟と心地の良い風が吹いた。前髪を少し直して空を見上げた。街は通勤のついでにゴミ捨てをする会社員、自転車の前後に子ども乗せ、保育園に子どもを通園させる主婦、井戸端会議で盛り上がっている近所のおばさん。平日の朝はみんな少し慌ただしそうにしている。かくゆう自分も悠長に歩いて通勤している場合ではない。実は少し遅れてしまいそうなのだ。だが別に焦ってはいない、いや焦ってはいるのだが、遅れたとして大声でどやされることないと分かっているので、体が急いでいないのだ。だから「気持ち良い風だなぁ」などと口にし良い女ぶったことをしているのだ。
井戸端会議の横を通り過ぎようとすると、「あら、葵ちゃん。行ってらっしゃい」会議を中断しおばさんたちが挨拶をしてくれた。「おはようございます。行ってきます!」足を止めることなく挨拶を返し、駅へと急いだ。駅までは歩いて十分、そこから電車に乗って二十分ほど、でそこからまた歩いて十分くらいだから、合計約四十分。「九時からだから、、、」腕時計に目を向けると時刻は八時二十五分になろうとしていた。「あー、ダメだ。」そう思ったと同時に先ほどまで〝セッセッ〟と早く動いていた足は次第に〝スタスタ〟と落ち着いた動きに変わっていた。そこからは逆に清々しかった。いつもより少し遅いだけなのに同じ景色が違って見えてくる。車窓から見える看板も「あれ?あんな看板あったかな?」などと普段気付かないことにも気づくことができる。これはこれで良かったのかもしれないなと自分に言い聞かせ駅を出て、目的地に向け歩き始めた。
オフィス街の中にある小さなビル。ここの二階が目的地だ。腕時計を見ると九時二十分。見事に遅刻だ。「なんて言われるかな?怒られるかな。普段大きな声を出す人じゃないからそこまで」いざ到着すると少し怖くなってきた。一応社会人として一般常識は心得ているつもりなので、遅刻が良くないことは分かっている。というか社会人でなくても分かっているだろう。
白い鉄製の扉を前にして、少し〝タジタジ〟していると〝ガチャッ〟と扉が開いた。「うわぁっ!」それと同時に変な声が出た。「うぉ」扉を開けた人物も驚いていた。それはそのはずだ。まさか扉の向こうに女性がうろうろとしているなんて思わないだろう。
「今日はちょっと遅かったな」スリーピーススーツを着た男性が扉のそばに立っていた。背はおそらく、170センチ後半で〝スラッ〟とした体形に見合った着こなしをしている。
「あー、あははっ。ちょっと色々ありまして、、、おはようございます。壬生さん」
壬生誠士郎。個人事務所を開設している男性。聞こえはいいが、何でも屋みたいな感じになっている。もちろん法外なことは一切しない。浮気調査から買い物代行まで、些細なことでも請け負ってくれる。壬生自身が納得した仕事しかしないと言う厄介なところはあるが、彼が納得さえすれば基本的にどのようなこともしてくれる。
「色々ねぇ。まぁ、言い訳はあとから聞くとして」壬生は彼女の横を〝するり〟と抜け、階段を降り始めた。
「壬生さん、どこか行くんですか?」
「んー、ちょっとコンビニまで」
「コンビニ?何か用事でも」
「用事が無い人はあんまりコンビニには行かへんやろ。朝ごはんでも買いに行こうかと」
「それもそうか。」朝ごはん、朝ごはん、ご飯、おにぎり、パン、、、
『あっ!』
「おいっ、急に大きい声出すなよ」壬生は肩をすくませていた。びっくりしたのだろう。
「私も行きます。」
「えっ?なんで?」
「私も朝ごはんを、、、」
「あー、なるほど、大体分かった。扉の表示札を外出中に変えて鍵閉めといて」
「はーい、先に降りていていいですよ」〝チラッ〟と階段を見ると彼はもういなかった。(そういうところあるよね)鍵を閉めて階段を降りると壬生は階段下で待っていた。自分が降りきると同時に壬生は歩き始めた。
「壬生さんはどこのコンビニ派ですか?」
「無派閥」壬生はこちらを見ることなく答えた。
「えっ、面白くないなぁ。」うだうだと話しかけているとすぐに到着した。オフィス街ということもあり、近場にコンビニなどのお店は多い。
店内に入ると壬生はカゴを手に取りスタスタと商品棚へと向かった。今のコンビニはとても進化したと思う。特にスイーツはすごいと思う。魅力的な商品が多くて困ってしまう。いやいや朝からスイーツは少々ヘビーだからやめとこうと自制心が働く。おにぎりは決定だな、海苔がパリパリしてないタイプが良い。パリパリも良いが、しっとりには大人の雰囲気がある。「壬生さんは何をチョイスしたのかな」目を向けるとカゴにはあんパンとレモンティーしか入っていなかった。本日、朝のスタメンを決めたところで壬生が寄ってきた。彼は手に持ったカゴをこちらに向けている。
「何ですか?あっ、まさか遅れたから私に奢らすつもりですね。はいはい、分かりましたよ」手を伸ばしカゴを手にしようとすると〝ペチン〟と軽く手を叩かれた。
「ちゃうわ。それ入れろって意味」
壬生さんは時々こうして関西弁が出る。普段もまぁまぁ語尾やイントネーションは関西なのだが、目上の人や初対面の人にはそこを抑えては話しているのだろう。だがときより意味が分からない単語がある。例えば、自分自身以外のことでも【自分】って言うし、【片付けといて】は【なおしといて】、【捨てといて】は【ほっといて】今となっては分かるようになったが、初めの頃は「このファイルなおしといて」と手渡されたファイルの少し破れた部分をテープで直していると、「あれ、まだなおしてないやん」と言われ「今やってます」と言って二人の間で時間が止まってしまったことがある。すぐに壬生さんから意味を教えてもらい、今ではある程度分かるようになった。
「えっ、良いんですか?」
「今回だけ」
壬生はそう言ってレジに向かった。どこに隠していたのかエコバックを取り出し、商品を入れてもらっていた。
「ゴチになります」店を出てすぐにお礼を言った。
「はいはい、というかこれ朝ごはん?」
「えっ、はい。変ですか?」
「変というか。多くない?おにぎり、クリームパン、ミニクロワッサン、野菜ジュース」
「多くないですよ。壬生さんが少ないだけです。」
「いや、多いって、多分食べす、、、」
「じゃないです」言い切る前にさえぎった。
「でも、」
「せいッ」彼の右腕に〝シュバッ〟とパンチを繰り出した。
「いたっ!えっ?」壬生の目はこれでもかというくらい丸くなっている。
「それ以上はダメです。」彼女は少し頬を膨らませ〝ムスッ〟とした顔をしている。
「分かった、うん。健康的だね。うん。」壬生は攻撃を受けた右腕を労わるようにさすっていた。
事務所に戻ると扉の前に男性が立っていた。年齢は四十代くらい、少し〝よれっ〟とした黒いスーツを着ている。待ち人であることは明らかだ。
「あー、良くないな」壬生は〝ボソッ〟と小さく口にした。そして、葵の肩に手を乗せ、小声でつぶやいた。
「朝ごはんと肩パンの借りを返す時が来たな」その声は本当に小さく、街の雑音にほとんどかき消されて大部分が聞き取れなかった。
「はい?なんですか?」(この人はなぜ急に小声で話すのだろう)
「バッ、おま、声が大きい」壬生は動揺している。
「急に何です?はっきり言ってくれないと聞こえないです」葵は声の大きさを変えることなく返事をした。階段下でこんなやり取りをしていれば、当然扉の前にいる男性にも聞こえている。男性はこちらに振り向き「あっ」と声を出すと同時に階段を下りてきた。
「おはよう、葵ちゃん。」男性は気分の良い挨拶をしてくれた。
「おはようございます。」
「誠士郎は?どこに行った?」
「えっ?どこってさっきまで私と一緒に」振り向くと先ほどまで隣にいた壬生の姿は忽然と消えていた。
『逃げたな』二人は同時に口にした。
「すみません、すぐに連れ戻してくるので、事務所で待っていてもらえますか?鍵はお貸ししますので」
「分かった、でも居場所分かるのか?」
「はい、大体は、五分くらいで戻るので」葵はキーケースから事務所の鍵を外し男性に手渡した。男性はそのまま、鍵を手にして階段をゆっくりと上がっていった。
「壬生さん、諦めましょう。事務所に行ってもらったので逃げられませんよ」
「・・・」
葵は事務所があるビルと隣のビルの隙間に向かって歩き始めた。
「子どもですか?」
室外機の裏には壬生の姿があった。こちらを見る目はとても丸いが黒目は真っ黒だ。コントラストは一切なく死んだような目をしている。
「犬かよ」
「犬じゃないです。ほら行きますよ」壬生の袖を掴み、〝クイッ〟と引っ張る。
「えー、いや、」袖を〝グイッ〟と自分に引き寄せ抵抗した。
「嫌って」(本当にこういう時は小学生みたいなことばっかりするのはなんでなんだろう)
「仕事しないと」
「仕事はするよ。もちろん。でも、あっち系の仕事はあかん」
「あっち系って、裏社会の仕事じゃないですよ。むしろホワイトな方かと」
「あれは白じゃない、【グレー】。黒寄りのグレー」
「グレーってそんな。とりあえず行きますよ。このままだと埒が明かないので、壬生さんもずっと事務所に戻れなくなりますよ」
文言がもはや、駄々をこねる子どもをあやす親のようだ。数分の押し問答の末、ようやく壬生が動いてくれた。
「はいはい、分かった、行きます。やります。しますよ」
しぶしぶ動く壬生の背中を押しながら、「さすが、壬生さん。行きましょー」(子供だなぁ)
事務所に入ると男性は応接用の椅子に〝どしっ〟と座っていた
「おー、誠士郎。元気にしてたか」男性は右手を軽く上げて挨拶した。
「まぁ、ボチボチです。で、何の用ですか。川上さん。ここは警察署でも交番でもないので刑事さんが来られるような場所ではないですけど?」
「おいおい、そんな怪訝そうにするなよ」
「そうですよ、壬生さん。まずその袋を渡してください。」
壬生は左手に持っている袋をスッと葵に手渡した。「やったー、やっと朝ごはん食べられる」
葵は嬉しそうに自分のデスクに向かい、商品を机の上に並べ始めた。「何から食べようかな」
かたや壬生と川上は机を間にして対峙していた。
「で、今回の件だが」
「ちょい待ち、川上さん。僕はまだ『やります』なんて言ってないですよ」
「えっ、忙しいのか?」
「暇そうに見えますか?」
「みぶぅすぅぁん、うひょはらめれす」クリームパンの袋を手にしているので、その口にはクリームパンが詰まっているのだろう。
「口の中の食べ物が無くなってから喋りなさい。川上さん、嘘じゃないですよ。別件もあるので」葵に体を向けることなく注意し、川上との会話を続けた。
「大丈夫ですよ、川上さん。別件って言っても急ぎの用件は無いので」
「だってさ、誠士郎。優秀な助手で良かったな」
「はぁ、燃費はすこぶる悪いですけどね」
「んー、みぶぁふぁん」彼女の右手にはおにぎりが見えた。
「だから、行儀悪いな。」
「で、話を戻して良いか」
「あー、もう。はいはい。どうぞ、どうぞ。」壬生は右手を〝ひらひら〟とさせ、椅子に座りなおした。
「現場は被害者の自宅で起きたんだがな。まぁ、結論から言うと警察は殺人と見ている。被害者の死因も頭部を強打されたことが原因だから確実だろう」
「なるほど、じゃあ、あとは凶器と犯人を捜すだけで事件解決。頑張ってください。」
壬生は椅子から立ち上がり、出口を指さした。
「待て待て、頼むよ。あんまり時間が無いんだ。」
「でも、そこまで捜査が進んでるなら、もう少しでしょ。日本の警察は優秀ですから、大丈夫です。それに一般人の僕ができることなんてないですよ」
「そんなこと言うなよ。」
「だって、川上さんが持ってくる仕事は厄介ごとばっかりですもん。もうちょっとファンシーな仕事無いんですか?」
「ファンシーな仕事って。お前の口からそんな言葉が出てくるとは」川上はクスクスしている。
「そもそも、ここで一から十まで話すつもりですか?」
「現場に行くのは嫌だろ?」川上の眉を歪んでいた。
「嫌です。が、話を聞いただけで解決できるほどの頭脳をあいにく持ち合わせてないので」
「分かった、今なら行けると思うから、一緒に乗ってくか?」よし来たと言わんばかりに川上は勢いよく立ち上がった。
「大丈夫です。」壬生はきっぱりと答えた。
「俺は少し川上さんと出るから」自分の荷物をまとめながら葵の方を見ると、ショルダーバックをかけて準備万端な姿が映った。
「一緒に行くつもり?」
「もちろん、助手ですから」葵は胸を張り、誇らしげにしている。
「えっ、でも」川上さんの方を見ると、「本人が良いならどうぞ」という感じだった。(止めて欲しかったのになぁ)
「というわけで行きますよ、壬生さん」
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