Sec. 04: They - 03
ポスターセッションのブースを離れ、レイはローマンと連れ立ってエレベーターに乗り込んだ。二つ上の階に着くと、レディ・モルガン・スクエアというラウンジに向かう。発表が行われているから人はまばらで、秘密の話し合いをするにはもってこいだった。
「とりあえず、整理しましょう。頭がこんがらがってきちゃって」
「ああ、賛成だ」
卵形の背もたれを持つカウンターチェアに腰を下ろし、レイは一息ついた。座面のクッションはふかふかで、控えめな照明が多く使われた室内と相まって高級感が漂っている。ローマンはバーカウンターの内側にいるスタッフにコーヒーを二つ頼んでくれた。
レイは茶色の革表紙の手帳をカウンターに広げる。すぐにコーヒーが用意され、深煎りの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
まずは、事件のあらましから。
六月十八日、交霊学派の教授であるキース・チェンバーズが式海の一部を残して失踪。
六月十九日、夫の付き添いで乗船していた給仕であるカーリー・エディソンが、同じく式海の一部を残して失踪。
チェンバーズの部屋には紅茶が二つ淹れられていたため、誰かが彼の部屋を訪れていたのは間違いない。殺人も考えられたが、現場において魔素の濃度が変動していないため、肉体の構成式は魔素に還元されていないことになる。つまり、肉体は破壊されていない。イコール、殺人事件ではなく誘拐事件である。
船内は既にくまなく捜索された。結果、どこにも二人の姿はなかった。よって考えられる方法としては、ゲートを通じた幻想域への連れ去りであり——船内でそれが可能なのは、魔法使いであるクロフォードと、妖精と契約している幹事、アデライン・ハウエルズのみ。
クロフォードには動機がないが、ハウエルズはチェンバーズとの学術的意見の相違のほか、カーリーの夫スチュアートとの不仲が確認されている。動機がある、と言える。
「問題は、ハウエルズがやったって直接的な証拠がないってことですね……」
現状、レイたちは状況証拠しか握っていない。犯行を起こした可能性があるのはハウエルズだが、彼女が二人を連れ去ったという決定的な証拠——術式の残痕や目撃証言——は一つもない。手詰まりだ、とレイはため息を吐いた。
「現場に戻ってみるか?」
「うーん……」思わず唸る。現場には何もないだろう。「ロードは、どうお考えですか?」
「オレはクロフォードと違って探偵じゃねえから、そうだな……まずはこの事件が本当に『失踪』なのか、あるいは『殺人』なのかから考えてみるのはどうだ?」
失踪か、殺人か。それは先ほど事件を整理したところでローマンとも確認したことだ。魔素の濃度が変動していない以上、この事件は殺人ではない。
形而下のものとして実体をそなえる構成式は、物質を失い式だけになると時間をかけて魔素へ還る。大気中の魔素濃度は通常、酸素と同等である。これが変動していないということは、肉体を消滅させられたわけではないということ。
「体が消し飛んだわけじゃないんだから、失踪じゃないんですか?」
レイは訳がわからなくなって、そう呟いた。
「ロードは……先生が犯人だと?」
肉体が滅びれば、構成式は魔素へ還る。逆に構成式を破壊すれば、肉体は崩れ去る。
構成式を『改竄』するでも『創造』するでもなく、直接『破壊』できるのは、世界で唯一——クロフォードだけだ。だがレイの兄弟子で、クロフォードの友人であるローマンが、まさか彼を犯人扱いするなんて。中立なのは、建前だけだと思っていたのに。
「そうは言ってないだろ」レイの声が震えていたことに気づいたのか、ローマンは笑って肩をすくめた。「可能性の話だ。式核に触れなくても、やりようはあるからな」
「そうなんですか? どうやって……」
人間の肉体をどうこうするには、式核に触れる資格が——魔法使いであることが、前提条件となる。レイはそう信じていたし、そう習った以上のことは知らなかった。
「たとえば、人間の構成式は式海、式幹、式核の三位一体を成してる。ありえない話だが、式幹がごっそり消失させられたとしたら、式核に触れられずとも人体は崩れる」
ローマンはコーヒーを飲みながら答えてくれた。一日目の特別講演で、壇上に立ったときの声色に似ていた。講義をする教授のようにも思える。
「もっとも、その『ごっそり消失させられる』っつーのが難関だ。なんせそんな大規模な魔術行使、現代の現実領域じゃほぼ不可能だからな」
「どうしてです?」
「普通の魔術師が一日に生成できる魔力を十とするだろ。もちろん個人差はあるが——で、仮に基礎的な魔素変換を用いて、チェンバーズみたいな六十超えた人間の式幹を、丸ごと魔素に変換するとする」
レイはコーヒーも飲まず真剣に聞いていた。ローマンの人差し指が、構成式を示すように幅を持たせて立てられる。右手の親指と人差し指で式幹の幅を表した。
「これを変換するのに必要な魔力量は、百だ」
生物の構成式は、生きれば生きるほど長く、また複雑になっていく。これは記憶や記録が蓄積されていくからであり、歳をとった魔術師ほど、暗示を含めた魔術にかかりにくい理由でもある。
「ついでに言うと、百の魔力を保有してられるほどキャパのある魔術師は滅多にいねえ。この船にいるとしたら、
「じゃあ……」やはり、クロフォードなのか。
「それはわからん。ただ、アデラインがやったって証拠が出てこなかったら、誘拐じゃなく殺人に切り替えてみるのもいいんじゃないか? チェンバーズやカーリーを、わざわざ監禁する理由もないだろ」
ローマンはスーツの袖から覗く右腕のスマートウォッチで時間を確認すると、コーヒーを飲み干して席を立った。レイもつられて時計を見る。そろそろディナーの時間だ。思ったよりも議論が白熱したから、意識が逸れていた。
「夕飯、一緒に食うか?」
「あ——はい、ありがとうございます」
夕食はフルコースなので、レストランで食べる場合には正装が求められる。レイは手帳をまとめて同じく席を立ち、バーテンダーにごちそうさまと声をかけてラウンジを出た。時間が迫っているからか、レディ・モルガン・スクエアには人影がなかった。
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