Sec. 03: Solomon's Children - 02
相変わらず七三一号室の前には執行者が立っていて、レイたちを阻んだ。
彼は賢者の姿を認めるとわずかにたじろいだが、自らの職務を思い出したようで、すぐに唇を一文字に引き結び背筋を伸ばした。後ろ手に組まれた手に力を込めたのか、肩と腕が動く。
「いい度胸だ」それを見たローマンは不敵な笑みを浮かべた。「オレはただの友人としてクロフォードに会いに来たんだ。通してくれるだろ? 昨日は通してくれたのに、まさか今日は通さないなんて言わねえよな?」
有無を言わせないほどの圧に、執行者だけでなくレイまで怯んでしまう。
「弟子を連れているなら、話は別です。彼を死神に会わせないようにと、ハウエルズから言われています。どうか、ロード、お引き取りください」
「ほう?」
ローマンは片眉を吊り上げる。師であるクロフォードと同じ、表情の動きだった。
「オレの前で二度とその名を口にするな。アドラム。アイツは死神なんかじゃない」
「は……はい、ロード。申し訳ありません」門番は失言に顔を歪めた。
「で? レイをクロフォードに会わせないよう、ハウエルズに命じられたのか?」
「そうです。レイ・カレンは、捜査を撹乱しようとしているのだとかで」
「はあ?」思わず眉をひそめる。「僕が、捜査を撹乱?」
「はい。モナコまでの時間稼ぎをしている、と」
そんなはずがないと、目の前の彼もわかっているらしかった。アドラムと呼ばれた男は、辟易したようにため息を吐いていた。
まとめると、ハウエルズの主張はこうだ——キース・チェンバーズとカーリー・エディソン両名の誘拐または殺害の犯人は、クロフォードである。誘拐の場合は彼のトランクの内部で繋がっているという幻想域に監禁した、とされる。
そして彼の弟子であるレイは、いたずらな捜査で執行者を妨害し、本来の捜査を撹乱、船が目的地であるモナコに着き、クロフォードが逃げられるようになるまでの時間稼ぎをしている。
「オタクもおかしいと思ってるんだろう? なら通せよ。オレだけってことにしておけ」
「……内密にお願いしますよ」
はあ、と再びため息をついて、男はわきに避けた。ローマンは振り返ってレイに目配せをし、ノックを三回する。
「どうぞ」中から声がした。
それに従って、兄弟子が扉を押し開ける。レイは彼の後に続き、自分にあてがわれた部屋と全く変わらない室内へと、足を踏み入れた。最初に見えたのは、シーティングエリアで食事をとる彼の姿だった。
「……元気そうだな、お前」
レイは思わずそう呟いていた。
机の上には空の皿が所狭しと並べられている。まだ料理が残っている皿もあるがどれも山盛りなので、空になった皿の生前の姿もよく思い描くことができた。
健啖家、とかいうレベルじゃないだろう——レイは頭を抱えたくなった。犯人として拘束されているのに、これだけのルームサービスを要求できるなんて、図太いどころの話ではない。
「ん」彼は口元のベシャメルソースをナプキンで拭い、グラタンを嚥下した。「元気だよ。食事も美味しいし、特に不自由はない。両手が少し不自由なこと以外はね」
「
ローマンが率直に問う。ハウエルズの主張について聞いたか、という意味だろう。クロフォードはスプーンを置き、レイたちにソファへ座るよう促した。
「あまり」それから、残念そうに首を振る。「彼は私と話すのを避けているようだった」
「カーリー・エディソンが失踪したことについては?」
「二人目の被害者が?」
「そうだ。ハウエルズは、アンタがトランクの中に二人を監禁してると思ってる」
クロフォードはふっと鼻で笑ったのち、しばらく肩を震わせて笑い続けていた。それほど面白いジョークには聞こえなかったが、彼の琴線に触れるものがあったらしい。
「カレン、君はどう思っている?」
ひとしきり笑ったあと、彼はそう尋ねてきた。レイは鞄から手帳を取り出し、パラパラめくって思考を呼び起こそうとする。ハウエルズが、こうまでしてクロフォードを犯人だと決めつける理由。そして、浮かび上がってくる犯人の輪郭。
「僕は……ハウエルズが怪しいと思う。チェンバーズが失踪してから、お前を確保するまでの判断が早かった。不自然に見えるくらいに」
ハウエルズは、チェンバーズの構成式の残骸を見た途端に他の可能性の全てを排除し、クロフォードを拘束した。不可解なほど素早い動きだったように思う。まるで、初めからそうしようと決めていたかのように。
「それと、彼女はお前を……魔法使いを、万能だと思い込みすぎてるように見える」
魔素の濃度という動かぬ証拠を提出したレイに対して、彼女は「クロフォードは魔法使いだから、依然として第一容疑者になりうる」として解放を拒否した。あれは正しいが、ハウエルズの魔法使い神話の信奉者ぶりは目に余る。神と同等に、
「あと、お前を除いて、この船で幻想域に繋がってるのは彼女が契約してる妖精だけだ。そこを深掘りされないように立ち回ってるって感じだった」
チェンバーズとカーリーの失踪が殺害ではなく誘拐であったとして、まず海に飛び込んで自ら陸を目指しているという可能性はありえない。ここはケルト海と北大西洋の狭間だ。魔術で、波に陸まで運んでもらうというのは、一般的な魔術師が一日に生成可能な魔力を考えると不可能である。
あらかじめ別の船を用意しておくのも不可能だろう。もしそれが可能なら、少なくとも乗客に目撃されているはず。レイは時おり自室のバルコニーに出て外を眺めていたが、夜間でもそれらしき船影を見たことはない。
クロフォード以外に犯行が可能で、最も犯人の輪郭に近いのは、ハウエルズだ。レイはそう確信していた。むしろ、彼女が犯人である証拠を集めなければ、とさえ思っていた。
「なるほど。ローマン、君は?」
聞き手に回っていたローマンは突然話を振られて、意外そうにクロフォードを見やる。
「オレか? そうだな……ハウエルズはチェンバーズと仲が悪かった。カーリーの旦那のスチュアートともちょっとしたいざこざがあったはずだ。レイの推理にも一理ある」
「それだけか?」
「ああ。頭脳労働はおまえの仕事だろ、そう真剣に考えてねえよ」
ふんと鼻を鳴らしたローマンに、クロフォードは微笑んでみせた。
ハウエルズとチェンバーズに因縁があったというのは、これまでにも聞き及んだことがある。具体的にどの程度の仲の悪さで、殺害にまで発展するほどのものなのかは、レイはまだあずかり知らぬところであるけれど。
スチュアートとハウエルズも不仲だったのなら、妻のカーリーに矛先が向いてもおかしくはないか。スチュアートは第一線の魔術師で、実戦に応用できそうな魔術理論にも深く通じているだろう。
一方でカーリーは給仕であり、現在も魔術的な環境に身を置く夫と比べると、どうしても実戦には劣る。殺害を狙うなら、どう考えたってカーリーのほうだ。エディソン夫妻の仲の良さからすれば、因縁のあるスチュアート本人を殺すよりも、妻を殺したほうが深い絶望を与えられもするだろうし。
レイはローマンの口から出た情報を手帳に書き留め、ハウエルズから聞き出せるだろうか、と思った。彼女はレイを相当に警戒している。レイの隣であるクロフォードの部屋に入れるなと命じたほどだ、自分の交友関係について、よりにもよってレイに尋ねられたら、どう爆発するかわかったものではない。
ならば、他の人間に代わりに聞き出してもらうべきだろう。この船に乗っているレイの知り合いは、クロフォードを除けば藍鍾尤とローマンだけだ。二人ともレイと行動しているところを見られているだろうから、あまり上手くいかないかもしれなかった。
だが、やってみるしかない。ハウエルズが最も犯人に近いのなら、彼女が犯人であると裏付ける証拠を集めなければならないのだから。それを集めようとして、彼女が犯人から遠ざかるならそれでもいい。現時点では、アデライン・ハウエルズだ。なにせ彼女にしか動機がない。
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