第6話 おだやかな日常

 斎藤美智はずっと脚本家になりたかった。

 高校時代からずっと脚本を書き続け、シナリオ養成講座も受講していた。それでもなれない。

 一体何が足りないのか。

 才能か、タイミングか、縁か―― それとも努力か。

 大学を卒業して早や五年。そろそろ正念場に差し掛かっている。

 

 そんな中、美智がが雑誌のフリーライターとして出入りしている出版社の編集者から、面白い話を聞いた。


「ねえ、美智ちゃん。こんどアーク・フィルムズが新人脚本家のコンテストをするんですって。あんな大手でもネタ不足なのかしら? 」


 アーク・フィルムズは、急速に成長している総合コンテンツ企業。ここで賞を穫れば、一気に仕事が来るかもしれない。


 これは逃しちゃいけないチャンスだ。とピンときた。年齢的にもラストかもしれない。

 私の十年間の全てを注ぎ込もう。

 美智はそう思った。


 コンテストへの応募は、彼女にとってまるでこの十年間の集大成のような挑戦だった。

 挑むテーマは「青春」。


 美智の描く青春は、高校生らしい華やかさや軽やかさとは程遠く、淡く切ない想いだった。

 思春期の心の内面の揺らぎやもどかしさを、細やかに、時に長々と書き込んだ、まるで小説のような脚本だった。


 舞台設定を指示する柱には、光量にまでこだわって書いた。

 感情や動作を表すト書きも、演技のや細かな感情にまで指示した。

 きっと映像化されることがあったら、現場で嫌われるんだろうな、と苦笑しながらもキーボードを叩く美智の手は止まらなかった。

 

 やり過ぎだろうと後悔はしない。

「私にしか書けない物語」がある。そう信じているから。




「書けた…… 」


 応募締め切り数日前に、やっと納得のいくまで書き上げた。

 たかだか50ページの脚本なのに、半月もかかってしまった。

 その間、文字通り寝食を忘れて執筆に向かった。半年前から付き合い始め、同棲を始めたばかりの恋人の真一には迷惑をかけたが、応援してくれたのが救いだった。


「美智ちゃんの夢だもん、思う存分書いてよ。食事とか家事は何もしないでいいから」


 そう言って、真一はデリバリーの食事やハウスキーパーを雇ってくれた。

 美智にとってそのやり方は、そこはかとない違和感はあったものの、それ以上に申し訳ない気持ちがあったので、素直に感謝しながら書き続けた。




◆◇◆◇◆

 



 投稿から二ヶ月。待ちに待った結果発表の日。クリックする指がかすかに震える。

 隣には真一がしっかりと寄り添っている。


「大丈夫。美智ちゃんは頑張ったんだから」


 震える美智の手の上に、優しく真一の手が重なる。

 

 意を決して、特設サイトのページを開く。

 そこには―― 複数の名前。

 そして美智の目に飛び込んできたのは、『朱井ソフィア』ーー 美智のペンネームの名前がしっかりと記されていた。


 あった。

 鳥肌が肩から指先まで走って抜けた。

 胸が震えて、熱くなる。

  

 獲ったのは、『奨励賞』。

 残念ながら大賞ではなかったものの、まだ上があるということ。これは伸びしろと前向きに受け取ろう。


 隣で一緒に見ていた真一が、零れそうな笑みで美智に抱きつく。


「おめでとう! 美智ちゃん! 」

 

「ありがとう! 真一さんのおかげ……です! 」


 僅かに声が震える。

 この人の応援があったから獲れた。感謝しかない。

 

 やっと、夢の入り口に辿り着いた。

 これまでの十年間が報われた気がした。

 

 目元が熱い。

 気付くと美智の瞳は濡れていた。




 発表から一週間後。

 当選直後にメールが来て、受賞式に招待された。

 美智はあまり乗り気ではなかったが、真一が「せっかくの機会なんだから、ぜひ行くべきだよ」と言うので、参加することにした。


「え? これ着るの? 」


 ラベンダー色のラメ入りドレスを見て、美智は少したじろいだ。まるでディズニーのプリンセスのような出で立ちだ。


「やっぱりこれぐらいがいいんだよ」


 真一は嬉しそうに生地の手触りを確認している。


 今日はレンタルドレスの店にやって来て、受賞式に着るドレスを二人で選んでいた。

 真一はまるで結婚披露宴で着るようなファンシーなドレスを次から次へと持ってきては、美智に試着させようとしている。


「いや…… さすがに」


 美智は苦笑いしながらそれらを全部返して、結局は紺色に金糸が織り込んであるノースリーブのマーメイドラインが美しいワンピースを選んだ。


「うーん、地味じゃない? 」


 美智とすれば肩も下半身のラインもモロ出しの精一杯派手な服のつもりだが、真一は不満そうだ。


「もう、いいの。私が着るんだから」


 美智は名残惜しそうな真一を置いて、黙って注文書に書き込み始めた。




 参加した受賞式は夢のようだった。

 有名な脚本家や映画評論家、プロデューサーなどが多数参列していた。そんな中、スポットライトを浴びて壇上にあがった時は、クラッチバッグを持つ手が震えていた。

 多くのカメラが美智たちに向けられて、目が眩むほどに眩しかった。


「皆さんの今後の活動予定は? 」


 司会の見たことのある女子アナウンサーがマイクを向けてきた。

 美智はフワフワと舞い上がってろくな受け答えもできず、「これからも書き続けたいです」としか言えなかった自分が恥ずかしい。

 大賞受賞の男性はきちんと、「映画の原作を書きたい」とはっきりと言っていたのに。


 その後の立食パーティでは、いろいろな人に声を掛けられたけれど、誰が誰だかほとんどわからず名刺だけが手元に残った。

 シャンパンを飲んでいても緊張で全く酔わずに、帰宅してから一気に目が回ったのは笑い話だ。




 真一は受賞式の美智の写真を見ては、何度も「綺麗だよ」と褒めてくれた。

 シンプルだけど真っすぐな彼の言葉がくすぐったい。

 久しく忘れていた自尊心がむくむくと起き上がってくるのが、自分でも分かっていた。


「映像化もしてくれるかもしれないんですって」


「そりゃすごい。もう作家先生になっちゃうよ」


 真一は目を丸くして驚く。


 それはそうだ。

 この間までボサボサ頭のトレーナー姿で原稿を書いていた売れないフリーライターが、シンデレラのように一夜で変身するんだから。


―― これで少しは真一さんの横にいても、おかしくないかな。


 真一は外資系コンサルタント企業に務めるビジネスマン。給料だってかなり稼いでいる。

 美智はこれまで少し気遅れしながら付き合ってたが、これからは少しは堂々としていられるかもしれない。

 それが嬉しくて、二人の夜もいつもよりほんの少しだけ積極的になったりしていた。


 美智の人生は、もしかしたらこの時が一番穏やかだったのかもしれない。

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