第11話:ノノ
一時間後、ようやく”お仕置き部屋”――そう呼びたくなる事務室から解放された。
井波さんの説教は恐ろしい。
感情をぶつけて怒鳴ってくれる方が、よっぽどマシだと思った。
淡々と、報告の遅延が起きた理由を聞いてきて、原因に私の非があれば、そこを理詰めしてくる。
私が、大男もといノヴァと戦闘になった経緯を話しても
『わざわざ正面切って戦う必要、あった? 相手の情報もまともにない、ほぼ初見でしょ? 尾行に気付いていたなら距離を取って応援を呼べたはずよ。何のために端末を持たせてると思っているの?』
と、ぐうの音も出ない正論をぶつけられた。
取調室のように矢継ぎ早に質問が飛ぶあの光景が、いまだに頭に張り付いている。
(悪寒が止まらなくて、パイプ椅子と太ももの間に手を入れちゃった)
二度と井波さんを怒らせないようにしよう。
ドロエットのみんなのためにも、何より、私の身を案じて夜もロクに眠らなかった井波さんのためにも。
事務室を出て、改めて更衣室に向かう。
ドアを開けると、琴葉さんと瀬奈がソワソワした様子で私を待っていた。
井波さんに何を言われたのか、興味津々といった顔だ。
「その様子だとこってり絞られたようだね~、みつりっち。かりなは何て?」
「報告はこまめに、接敵しても逃げなさい、戦うのは最終手段、もっとメンバーに頼りなさいって」
私達の組織は、社会の秩序を最低限保つために存在している。
表に出せない悪を、人知れず葬るのが役目。
無垢な人たちが日常を送れるように――それこそが、私たちの本当の仕事。
まさしく
しかし、それは間接的にこの街を統べる政府と軍警に逆らうことを意味している。
私たちは、彼らにしてみれば反乱分子という枠組みに当てはまる。
(少数精鋭の組織において一人でも戦力が消えれば、その後の活動に大きな停滞が生まれる。それが諜報員であればなおのこと。だから井波さんは私を心配した。そうなんだろう)
「なるほどね~、たしかに大事なことを言っている。け・ど、私が聞きたいのはそれじゃない。みつりっち、かりなは最後なんて言ってた~?」
「『私がどれだけ心配したか少しは分かってくれた?』って」
なんだか恥ずかしくて、目線をロッカーに移しながら話してしまう。
二人はというと、ニヤニヤしながらこっちを見続ける。
「愛されていますね~光里先輩ッ!」
瀬奈が、肘をグイグイと押し付けてくる。
屈託のない笑顔が、眼前に広がる。
「そうだよ~。今日だって、みつりっちがお店に来るの知ってるのに『まだかな~遅いな~』ってぼやいてたんだよ」
「そんな人が、尾行に気付かれて、連絡も取れず、そんでもって戦闘もしていたとか。いくら井波さんの心臓が強靭だからってもちませんよ。あ、もちろん私達も心配したし、怒っていますからね!」
「うんうん。まっ、とにかく無事でよかったよ」
二人は同じタイミングで首を縦に振った。
正直な気持ち、みんながそこまで心配してくれていたなんて思っていなかった。
まったく心配されないってわけではないけど、私としては、親が子の登下校を心配する気持ちと同じ程度だと考えていたから。
だけど、井波さんや琴葉さん、瀬奈それにみんなの反応を見て、これほどまでに私のことを想っていてくれていたことを知った。
これ以上ない喜びが腹の奥から飛び出してきた。
母さんと父さんは、私が命の危険にさらされたとしても、こんな風に動揺も何も示さないんだろうな。
むしろ、完璧な兄の弊害になる私が消えて清々するかもしれない。
そんなことを考えていると、更衣室のドアが静かに開き、優愛ちゃんが疲労困憊の様子で現れた。
しかし、その顔には自信があった。
「おっと優愛っち~、もしかして特定できた?」
「さすがに骨が折れました。これを見てください」
優愛はひらりとクリアファイルを広げる。
衛星から撮られた山林と荒廃した街の写真、芳賀の補填情報、『醜女』含むネームドグリムに関するもの、ここ一か月で彼らと一度でも接触が合った者たちの名前がずらっと並べられた書類。
どれもこれも、たった一日で集められる代物ではないのに……
刈谷さんと優愛のインテリジェンス能力は軍系の最新システムでさえ、優に突破するのか。
「光里先輩が仕掛けた発信機の信号は、山林地帯からこの夜煙区奥地の間で途切れました。恐らくこの範囲内に芳賀たちは潜伏しているでしょう」
優愛は赤ペンで目星をつけている箇所に丸をつけていく。
「なるほど、アジトを複数個所用意しておけば七百人の大所帯でもその存在を隠せるってわけだ」
琴葉さんは書類を手に取った。
「警戒すべきは、ネームドたちだね……」
次々とページがめくられていく。
私も瀬奈も、琴葉さんの後ろから覗き込むようにしてそれを見る。
(
少し期待したけど、一筋縄にはいかないよね。
こっちの名簿リストには……
「その中に知っている名前があったら教えてください。その人物について調べますから」
「……これ何人分の名前があるの?(この分厚さから千人は軽く超えてると思うけど)」
「一万五千です」
「い、いちまんごせんッ⁉ そんな数の人間の名前がここに? そんなに調べる必要……ありますかね? 光里先輩は……」
「妥当な数字ね」
「だとうッ⁉ この数がですか?」
瀬奈が驚いた様子でこちらを見つめる。
「一人が一か月で二十人と顔を合わせるとする。職場、家族、買い物、電車、――なんでもいいわ。とにかく一言声をかければそれは接触に該当される」
「だから単純な計算で、七百人の場合は一万四千人と接触する……そんなに人と会いますかね?」
私は書類に記載された名前をながら読みしながら続ける。
「学校や職場みたいな否が応でも人と関わらなければいけない場所に通う人がいれば、買い物中に知り合いに遭遇して井戸端会議を開く人もいる。朝のコンビニで店員と軽く会話を交わす人だっている。知らない間に交流していることもある。むしろ、一か月で二十人なんて控えめな概算よ」
社会にいれば、積極的でなくても人とは必ずコミュニケーションをとる。
一か月で五十人くらいが、平均的なんじゃないかな。
瀬奈はようやく納得したように頷き、息を吐いた。
「でも一万五千人かぁ……今度は私たちの骨が折れますねぇ」
「言っても、優愛や刈谷さんほどではないでしょ。こうやって、見覚えのある名前があるか確認していけばいいだけ……だ……し……」
五枚目に差し掛かったところでページをめくる手が止まった。
目の前の文字列の一列に、見覚えがある名前を見つけた。
いや見つけてしまった。
だけど、この名前が載っているなんて、おかしい。
……ありえない。
(なんで、なんであなたの……あなたの名前がここに……)
信じたくないけれど、現実は確かにそこにあった。
「光里先輩? どうかしましたか?」
優愛の声かけで、我に返る。瞬きさえも忘れていた。
汗だ。
緊張で手汗なんてかいたことがなかったのに、指先に、紙の湿りが伝わった。
熱はないのに、全身が熱を帯びていくようだった。
自律神経が乱れ始めたんだ。
「あの、光里先輩、大丈夫ですか? 尋常じゃない汗出てますよ」
瀬奈が持っていたハンカチで額を拭いてくれる。
心臓の拍動がピークに達した時、私は口を開け、とある名前を指さした。
「優愛、この子のことを調べてくれない?」
「分かりました。差し支えなければでいいのですが、お知り合いですか?」
大きく呼吸をして、数秒その名前を見つめた後に顔を上げた。
「
私のかけがえのない友人。
彼女の名前を一度たりとて忘れたことはない。
黒い額縁の中で満面の笑みを浮かべる彼女のしわくちゃの顔、その前に置かれた白い花の数々、
それとは真逆に、あの場にいた人たちは全員黒い服に身を包んでいた。
あの子と河川敷を並んで歩いて帰ったこと。
図書室で勉強道具を広げるだけ広げて居眠りしちゃったこと。
駄菓子屋の外のベンチでアイスを交換っこしたこと。
そして、首をもぎ取られた彼女の遺体を発見したことも……
すべてが昨日のことのように、鮮明に思い起こせる。
「この子は、二年前に亡くなった子なの。だから、この名簿に名前が載っていて驚いちゃった。ただ、それだけだから」
私はそのまま急いで帰り支度を済ませ、改めて調査を優愛に頼んだ後、逃げるようにして退店し、帰路についた。
不自然に思われたかもしれない。
だけど、それでも良い。
変に何かを悟られるより、黙っている方が断然いい。
何よりバレて欲しくないことが守れるならば、どれだけ不審がられようとかまわない。
私は彼女と交わした使命を果たせればそれでいい。
「待っててノノ。あなたの分まで、私がやり遂げる。あの日交わした”この世から災いを取り除く”って誓いを……絶対に」
――あなたを殺したノーフェイスは地獄ですら足りない場所に落としてやる。
あなたの無念を、世界の未来と引き換えに、晴らして見せるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます