ヒカルの庭と、おむすびの穴

柊野有@ひいらぎ

第一章 

01 水の中のこと。


 その日、私はママに小さな声で言った。

「プール、習いに行きたい」

 友だちが数日前に池に落ちて、泳げないと死んじゃうかもしれないって思ったから。


 私はミチル。矢田部やたべミチル。今年、小学校一年になった。

 小学五年のお兄ちゃんと、お父さん、お母さんと団地に住んでいる。

 お兄ちゃんがいるおかげで、友だちもたくさんいるし、少しとおくまであそびに行っても許してもらえる。


 いつも遊びに行く公園には池があって、ぐるりとさくら紅葉もみじの木が植えてある。

 こいがいたり、ザリガニりができたりする。


 アメリカザリガニはりばしにヒモをつけて、スルメをぶら下げると小気味よく釣れる。

 春になると、男の子たちはバケツと手作りの釣り道具を持って、池のまわりに集まってくる。

 夏の間は、あまりの暑さで、夕方になるまでは、集まってこない。池は、誰もいないのに、じっと静かに水をたたえていた。


 風が強いその日の夕方、何人も友達が集まってスルメをぶら下げた割りばしを池にらしていた。ざわざわとの鳴る音がひびいていた。

 ゆらりとバランスを崩したソウタのからだが宙に浮いて、割りばしが先に水没すいぼつした。えっという顔で口をあんぐり開けたソウタに向かって、慌てて私は手を伸ばしたけれど、間に合わなかった。


 わあっと男の子たちの声が上がって、はやし立てるような声だったから安心していたけれど、視界のはしから黒いかげが、ものすごい勢いで走ってきて腰まである水の中にザブザブと入っていった。

 ソウタ、ソウタ、とり返し呼びかけているのは彼のお母さんだった。


 ソウタは水に倒れ込んで、手をばたつかせていた。本当におぼれるときは、声も出せずに静かに沈んでいく。こわかったけど、体が動かなかった。私は、ただ見ていた。


 ソウタのお母さんは、ソウタのあばれる手足を物ともせずに、体を抱えて池の周りを囲う岩の上に押し上げた。でこぼことした岩の上にお母さんも上がって、びしょれで、岩の先の歩道ほどうまでソウタを引きずるとむねをどんどんとたたいている。

 ソウタが口から大量の水をき出して、き込んでいる間、男の子たちは無言で遠巻とおまきに見ていた。


「ソウタは泳げないの、泳げないから、池には行かせたくなかったのに」

お母さんが小さな声で、だれにいうともなくり返していた。

 私も、たぶん、ほかの男の子たちも何も言えずに、ただ見守みまもっていた。


 ソウタのお母さんは、ソウタをき起こして背中せなかを何度もさすってから、男の子たちに向かってお辞儀じぎをして、お母さんの肩くらいまであるソウタをおんぶし、自宅じたくに向かっていった。


 それまでだまって見守っていた男の子たちは、興奮こうふんしてさわぎ立てた。

「びっくりしたなぁ」

「お母ちゃんスゲーいきおいで走ってきたよなぁ」

「ママが来てなかったら」

確実かくじつおぼれてるな」

「何もなくてよかった」

「何もなかったわけじゃないけどな」

「ソウタ次回からべなくなるな」


 お母さんが、おんぶした後ろ姿を私はじっとみていた。

 ソウタは男の子たちの予想に反して、ザリガニりをやめなかった。


 私は、プールに通い始めた。

 自分よりも深い、大人も泳ぐプールで水慣みずならしから始めている。


***


『私の夢』 


              矢田部みちる



 私の夢は、ライフセーバーになることです。

 あのときには、お友達をうまく助けられなかったけれど、たくさんの人を助けられる人になりたいと思う。


 水でおぼれる人を、ためらわず、たすけられる人になりたいです。

 水のなかは、しずかで、さわがしく、その水色の中にいる君を、私は助けに行く。


 それから。





 つづく。

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