第5話:午前十時の公開処刑
---
### **『プレビュー・キラー』 第五話**
**1.**
ネットの炎は、ガソリンを撒かれた枯れ草のように、あっという間に燃え広がった。
俺が犯人と格闘する動画は、『リアルファイト』『ガチ襲撃』といった扇情的なタイトルで、あらゆるまとめサイトやSNSで拡散された。匿名掲示板では、俺の自宅住所、勤務先、そして家族構成までもが、わずか数時間のうちに特定され、晒し上げられた。
高槻家は、日本中の好奇の目に晒される、ガラス張りの檻の中の動物になった。
「祐樹、会社から電話が……無断欠勤がどうとか……」
父が、憔悴しきった顔で言う。母は、鳴り止まない電話線のプラグを、震える手で引っこ抜いていた。家の前には、面白半分で集まってきた野次馬や、ゴシップ系の動画配信者まで現れ始めた。
警察に相談しても、「ネット上のトラブルには介入できない」「今は強盗事件の捜査が優先だ」と、まともに取り合ってはくれなかった。
「私のせいだ……」
リビングの隅で、美咲が顔を覆って呟いた。「私が、あんなチャンネルを見つけなければ……」
「お前のせいじゃない!」
俺は、妹の肩を強く掴んだ。「悪いのは、全部あの犯人だ。そうだろ?」
美咲は、小さく頷いた。だが、その目には恐怖と絶望の色が濃く浮かんでいる。彼女のスマホには、見知らぬアカウントから、「お前の兄貴、マジヒーローw」「殺されるとこ、ライブ配信してくれ」といった、無神経で残酷なメッセージが殺到していた。
俺たちは、もはやどこにも逃げられない。
ネットという、顔のない巨大な怪物に、完全に捕捉されてしまったのだ。
**2.**
午前9時50分。
その時、PCのスピーカーから、ポーン、という軽い通知音が鳴った。
『予言者』のチャンネルが、ライブ配信を開始したという通知だった。
俺と美咲は、吸い寄せられるように画面を覗き込む。
画面は真っ暗だった。音声だけが流れている。加工されているが、間違いなく、あの犯人の声だった。
『――よぉ、観客の諸君。そして、主演男優の高槻祐樹クン』
ライブ配信のチャット欄が、凄まじい速さで流れていく。『本人!?』『マジかよ!』『警察に通報しろ!』。だが、そのほとんどは、これから始まるショーに興奮しているだけのように見えた。
『昨日は、素晴らしいパフォーマンスをありがとう。おかげで、俺のチャンネルは一気に有名になった。……だがな、俺の作品を台無しにした罪は、償ってもらわなくちゃならない』
犯人は、楽しそうに続けた。
『だから、新しいショーを用意した。題して――**公開処刑**だ』
心臓が、氷水に浸されたように冷たくなった。
『高槻祐樹。**お前の可愛い妹、美咲を、今から惨殺してやるよ**』
「……え」
隣で、美咲が息を飲むのがわかった。
『場所は、今お前たちがいる、その家だ。これから1時間以内に、俺はお前たちの家へ行く。そして、お前の目の前で、妹の喉を掻き切ってやる』
チャット欄が、狂乱状態に陥る。『ヤバすぎ!』『これは犯罪だろ!』『面白くなってきた!』。
『なあ、祐樹。お前の力で、止めてみな。……まあ、**ガセかもしれんがな! ハハハ!**』
犯人は、高らかに笑い、配信は一方的に切られた。
画面には、ただ『ライブ配信は終了しました』という無機質な文字が表示されているだけ。
**3.**
リビングは、死んだように静まり返っていた。
「……ガセ、だよな」
俺は、震える声で言った。自分に、そして隣にいる妹に言い聞かせるように。「あいつは、俺たちを怖がらせて、楽しんでるだけだ。そうだろ?」
「……うん」
美咲は頷いたが、その顔は真っ白だった。
ガセかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。わざわざ予告して、警察に包囲されるような馬鹿な真似をするはずがない。
だが、もし、本当だったら?
あの男は、普通の犯罪者じゃない。自分の犯罪を「作品」と呼び、衆目に晒すことに快感を覚える、異常者だ。警察や世間を嘲笑い、予告通りの凶行に及ぶ可能性は、決してゼロではなかった。
どうする?
家から逃げるか? だが、どこへ? 外には野次馬がいて、俺たちの顔はネット中に晒されている。どこへ行っても、俺たちは「コンテンツ」として追いかけられる。
警察に電話するか? 「ネットで殺害予告をされた」と、今度こそ信じてもらえるのか?
時間は、ない。
犯人が言った「1時間以内」。タイムリミ-タイムリミットは、午前10時50分。
「……美咲」
俺は、妹の目を見つめて言った。「俺が、必ずお前を守る」
「お兄ちゃん……」
「二人で、あいつを迎え撃つんだ。昨日のようにな」
俺は、再びゴルフクラブを手に取った。美咲は、こわばった顔で頷き、PCの前に座り直した。
「……わかった。私、もう一度あいつの正体を調べる。ライブ配信の痕跡から、何か掴めるかもしれない」
恐怖で足が竦む。だが、俺たちはもう、ただ怯えるだけの観客ではいられない。
これは、俺たち兄妹の、生存を懸けた戦いだ。
ネットの向こうで、何万人もの観客が、固唾を飲んでショーの始まりを待っている。
高槻家惨殺ショー、あるいは、殺人鬼VS兄妹のリアルファイトショーの始まりを。
時計の針が、午前10時を指した。
運命のカウントダウンが、静かに始まった。
(第五話 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます