第14話 14.永遠の魔王 100年の平和と永劫の苦しみ

それから百年──。

大陸アルシアは奇跡のような平和を保った。

人間の王国も、魔族の帝国も、互いに刃を交えることなく、恐怖の均衡に縛られていた。

民は「均衡の魔王」の存在を語り継ぎ、彼を神の遣いと崇めた。

祭壇には彼の名が刻まれ、祈りの声が日々響いた。

「魔王リュシアン」──その名は、恐怖と救済の両義を孕む象徴となった。

誰もが「彼がいるから平和が保たれる」と信じた。

その信仰は世代を超え、物語として大陸全土に広がった。

だが。

玉座の間に立つ本人の姿は、誰一人目にすることはなかった。

***

玉座の間は禁忌とされた。

扉の前に近づくだけで、兵は倒れ、民は息絶えた。

悪臭と瘴気は百年経っても衰えず、石壁すら黒く爛れていた。

そこは「死の間」と呼ばれ、人も魔族も決して近寄らなかった。

だが、その奥には確かに一人の影があった。

リュシアン。

彼は豪奢な玉座に腰を下ろしていた。

だが姿は王者のそれではない。

痩せ細り、皮膚は焼け爛れ、黒い烙印が胸を灼き続けている。

時折、体を貫くような痛みが走り、口から血と黒煙を吐き出した。

「……ぁ……ああぁ……やめろぉ……やめてくれぇ……」

夜ごと幻影が現れる。

老人、子ども、女、浮浪者──彼が踏み台にしてきた者たちが玉座の周りを取り囲む。

「俺のために死ね」と叫んだ瞬間の顔。

涙と憎悪を浮かべた声。

リュシアンは玉座に縋りつき、涎を垂らしながら喚く。

「俺は悪くねぇ! 俺は勇者だ! お前らが勝手に死んだんだ! ひひ……ひひひひひ!」

その笑いはすぐに悲鳴へと変わる。

烙印が臓腑を掻き回し、残響の声が骨を噛むように囁く。

──器などにしたくはなかった。

──お前は醜悪だ。

──我が力を無駄にした。

リュシアンは胸を掻きむしり、爪で皮膚を裂きながら絶叫する。

「俺は……魔王だ……俺は……ぁあああああああぁぁ!!!」

その叫びは瘴気となって玉座の間を満たし、外に漏れることはなかった。

外界の者に届くのは、ただ「均衡の魔王が健在」という噂だけ。

誰も真実を知らず、百年の平和だけが続いた。

***

ただひとり、彼の傍らに立ち続ける影があった。

オズワルド。

烙印によって繋がれ、決して離れることのない存在。

その紅い瞳は、百年経っても冷ややかな光を失わなかった。

彼はリュシアンの苦悶を見つめ、時折吐息を漏らした。

「……お前は世界を救った。だが、それは最も卑劣な形で、最も惨めな結末だった。」

リュシアンは涙と涎を垂らしながら、玉座にしがみついて喚いた。

「俺は勇者だぁぁ! 俺は魔王だぁぁ! 俺のために……死ねぇぇぇっ!」

だがその声に応える者は、もうどこにもいない。

人も魔も、玉座の間に近づくことは決してなかった。

彼の声は瘴気に飲まれ、永遠に閉ざされた孤独の中へと消えていく。

***

こうして、「均衡の魔王」の名は百年以上の平和をもたらし、聖人として語り継がれた。

だが、その玉座に座る男は──

永遠に烙印と残響に苛まれ、孤独に絶叫し続ける醜悪な人間にすぎなかった。

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