「もういいよ‥‥お前が魔王で!?」

巡 識名

第1話 召喚


 男は叫んだ。


「ついに開いたぞ!!」

「さすがです。王!」


 王と呼ばれた男は、目の前の虚空に向かって手を伸ばした。


「これで、我軍の劣勢もくつがえるわけですな」

「うむ」


 王が伸ばした手の先には、真っ黒な霧のような物体が渦を巻いて浮かんでいた。

 霧は不規則に形を変えていて、その実態はとらえ難い。人間ほどの大きさにもなれば、消えてしまいそうなほど曖昧あいまいにもなる。


「王よ、このままでは」

「安定しないか」


 勢いは徐々に治まっているように思えた。放っておけば消えてしまうかもしれない。

 王は、儀式用のローブの袖口を切り裂いて、黒い霧の中心部あたりを目掛けて力を込めた。

 内在するありったけの魔力を、ようやく開けた空間の穴に向かって注ぎ込む。


「王っ!」

「ッく!」


 通常であれば破滅的な爆砕ばくさいをもたらす魔力を注ぎ込んでも、黒い霧はわずかに形を変えるだけだ。

 あっという間に、貯蔵ちょぞうしていた魔力を吸い上げていく。このままでは不味まずい。

 意を決して王は叫んだ。


「我が血の盟約めいやく此処ここかかげる!

 目録もくろくに刻みしは、崩壊の恍惚こうこつを知る者。暗転あんてんの究極。その真なりて追求者ついきゅうしゃ

 さあ!この世の果てより参れ!狂乱きょうらんした混沌こんとんよ!!」


 詠唱の直後、自身が出力した膨大な魔力が、目前の黒い霧に収束しゅうそくしていく。

 連動して辺りの空気が一気に冷え始めた。


「来たか!?」

 

 今までに無い反応に手応えを感じる。

 祭壇の上に浮かんでいた世界の穴は、魔力を吸い上げるように勢いよく回転し始めた。

 回転は次第に早くなり、それにともなって黒い霧は、より一点に集中していく。

 ギリギリと、空間を断絶する荒々しい音が辺りに響く。

 集約された点は、より内側へ向かっているため塊は徐々に小さくなっていった。

 そして、‥‥激しい音とともに、そのまま見えなくなる。


 無音となった儀式の間。

 先程まで確かにあった黒い霧が、あたかも消えてなくなってしまったように見受けられる。


「これは、‥‥どういう」


 かたわらに控えていた男が、弱々しく口を開いた。

 渾身こんしんの召喚の儀がしめやかに終了したわけだが、あたりを見回しても、何か目ぼしい変化があったわけでもない。

 王は、先程まであった空間の穴。その中心部を見つめたまま動かなかった。


「まさか、また」

「‥‥」


 王は口を開かず固まっていた。

 徐々に白白しらじらとした空気が儀式場全体に広がっていく。

 たっぷり数分経過してから、王が振り返った。


「ええい、黙れじい!!小さいことを言いおって。また、魔力を貯めて挑戦すれば良い」

「しかし、時間がありません。我が勢力ももはや10分の1ほど。今もあやつは我が国の領土を侵略しているのですよ」

「分かっておる」

「いや、今日こそは言わせていただきます」


 じいと呼ばれた男は、敬称どおりの姿をしていた。

 白髪に白い髭、伸びきった白い眉毛は毛量によって垂れ下がっている。

 背は急角度で折れ曲がっていて、筋張った腕はしがみつくように、木製の杖に絡まっていた。

 じいは、ヨロヨロと手にした杖を持ち上げてその先端で王をつつく。


「っく。貴様!」

「そもそも、かような呪いじみたことなど御身おんみには向かないのです。ご自身の肉体が最大の武器では御座いませぬか」

「それは、あの忌まわしい光の刃を我が身で受けろと申すのか?」

「ええ、そうです。先王の無念をお忘れですか!」

「ええい、口を開けば先王先王と。別には、人界などに興味はない」

「なんと!」

がそんなにも相応しくないと申すなら、こんなもの!」

「王!なにを!!!」


 王は勢いから、自身の頭の上に載っていた、黒く小さなりんぐを引き剥がすと、上空に放り投げた。

 冠は、フワリと無造作に放物線を描いて空中を舞う。クルクルと回転しながら祭壇の上段、先程まで開いていた空間の穴の上を通り過ぎる。と、同時に消えたはずの黒い霧、その僅かな残滓ざんしが冠に反応した。

 消えかけのろうそくが、一瞬だけ炎を大きくするように、ボッと、空気が踊る音がする。そして冠と共に、何かが地面に落下した。

 大理石で出来た儀式場の床とぶつかって、べチャリと水っぽい音が鳴る。


 王とじいは、互いに掴み合っていた姿勢を解きながら、視線だけ音の方に移動させる。

 そこには、黒い冠をいただいた人間の女が、魔王の祭壇の上で眠っていた。

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