国を焼く

「先輩、王女様だったんですね……」


 先輩の部屋は以前引き摺り込まれた時と比べれば多少は綺麗になっていたが、かろうじて足の踏み場があるくらいの散らかり具合でしかない。部屋の主はぺらぺらの布団の上にあぐらをかきながら、ラベルに−196と書かれた缶を豪快に開けた。


「元な。今は国が滅びてっから王女も何もねーよ」


 言いながら、音を立ててお酒を飲み干す。「はぁー」と勢いよく吐き出した息からアルコールの匂いがした。


「滅びたって……あの大戦のときですか?」


 自分でも失礼な質問だとわかっていたけれど、興味が勝ってしまった。ドラゴニアとの戦争のとき、異世界側でもかなりの混乱があったらしい。僕たちこっち側の世界の住民は、ドラゴニアが負けて連合軍が勝ったという情報しか知らないのだけれど。


「そーだよ。あんときホールが開いてすぐ、お前らとドラゴニアが戦争始めたろ」


 そうだ。僕の記憶では、ホールが開いてすぐにドラゴニアの軍勢が雪崩れ込んできて虐殺を始めた。それに自衛隊が応戦して、しばらくしてから異世界の連合軍が現れてドラゴニアとの大規模な戦争に発展したのだ。


「ドラゴニアどもが国を空けて異世界に侵攻してるっつーのは、私らからすりゃチャンスだったわけ。長らく続いたドラゴニアの圧政の時代を終わらせようってなって、こっちの世界でもドラゴニアと他種族による戦争が始まった」


 タバコに火をつけながら先輩は続ける。


「で、私らエルフも参戦したわけだ。主力はドワーフの軍だったから、魔法でちまちまドラゴニアの砦を攻撃したり、物資の補給を手伝ったりな。それがヤバいやつを呼び寄せちまった」


「ヤバいやつ?」


 僕の言葉に、先輩は煙の混じった深い息を返す。


「そう、ドラゴニアにゃ珍しい全身鎧を着た戦士でな。そいつはふらっと私らの森に現れて、ものの数時間で全てを灰にしちまった。化け物だよ」


 切なく思うような、懐かしむような、そんな遠い目で先輩は灰を落とした。


「そんでさ! 私らの宮殿が燃やされてくのを見たとき、ハイエラがなんて言ったと思う?」


 急に話を振られて戸惑った僕は、話題がセンシティブなだけに「ええと……」と数秒考えた。


「ぜ、絶対に許さん……みたいな?」


「ガチでヤバいぞ、だ」


 先輩はげらげらと大声で笑いながら酒を呷った。どういうテンションなんだ、と思いつつ愛想笑いを返す。


「反応に困るんですけど」


「ま、そーゆーわけで大半のエルフが死んで、国が燃え滓になって、私は半ば逃げる形でここに来たってわけだ。だからエルフは少ねーし、元から深かったドラゴニアとの間の溝はいよいよ埋まらねーもんになっちまった」


 僕は自分の発言を思い返した。ドラゴニアとエルフが笑ってラーメンを食べられる世界。彼らの確執が深いのは知っていたけれど、ここまでのものとは思ってもみなかった。僕はこの歴史を知ってなお、同じ夢を語ることができるだろうか。


「過去は消えねーよ。私がドラゴニアを許すときは来ない。お前が統一国家を作りたいと思うのは自由だが、その国には私は入らん」


 僕はただ、煙の匂いに包まれながらじっと考えていた。恨んでいても両親は帰ってこないし、それならいっそ前を向いてドラゴニアを許せるようになろう。それが過去を受け入れるということだと思っていた。だが、国を焼かれた先輩がドラゴニアを許せないという気持ちも十分に理解できる。どちらが正しいとかではないのだ。むしろ、自分の感情に正直という点で言えば、先輩の方が真っ直ぐなのだろう。


「ドラゴニアはな、悪なんだよ。お前らだってどうしようもねー悪人は死刑にすんだろ。死刑囚と仲良しこよしでパーティーしましょうなんて言ったら頭おかしいと思うだろ? それと同じだよ。いない方がいいの、あいつらは」


 先輩は珍しく声に感情を乗せて一息に喋り、それから口を清めるみたいに酒を飲み干した。

 僕はお酒も飲めないし、先輩の言葉を上手く飲み込むこともできずにいたので、ただ黙って汚れた床を見つめていた。

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