第15章 呪われた金貨

尋問を終えたレンは、ギデオンが持っていた一枚の金貨を手に、コントロールームへと戻っていた。彼の表情は、海賊を圧倒した時とは比べ物にならないほどに険しい。隣を歩くフィリアが、静かに問いかける。「マスター・レン、思考の混濁を検知します。何か問題でも?」

「ああ…。問題だらけだ」

レンは短く応えると、重々しい溜息をついた。


コントロールームに戻ると、レンはテーブルの中央に、例の金貨を置いた。天秤をモチーフにした、不気味な紋章が刻まれた金貨。それは、ただの通貨ではない。この島の外に広がる、底知れない悪意の象徴のように思えた。「フィリア、もう一度、この金貨の徹底的な解析を頼む。俺も【万物創造】の権能で、内部構造を探ってみる」


「了解しました。高解像度魔力スキャンを開始します」

フィリアの言葉と共に、テーブルの上空にホログラムのレンズが形成され、金貨に青白い光を照射し始めた。レンもまた、金貨に意識を集中させる。その瞬間、彼の視界がわずかに歪み、【ブゥゥン…】という低く不協和なハムノイズが、頭の奥で響いたような気がした。


「…やはり、何かあるな」

レンは、金貨にかけられた魔術の、より深層へと意識を沈めていく。それは、今まで彼が解析してきたどんなものとも違う、複雑で、そして狡猾な構造をしていた。所有者に直接何かを強制するような、単純な魔法ではない。


「マスター、魔術の基本構造を特定。精神干渉系に分類されますが、極めて微弱な出力です。通常の魔術師では、まず検知できないレベルかと」

「ああ、分かっている。問題は、その効果だ」

レンの脳裏に、金貨の魔術回路の全貌が、少しずつ浮かび上がってくる。それは、まるで蜘蛛の巣のように、複雑に張り巡らされていた。


「これは…命令じゃない。暗示だ。それも、極めて弱い…」

「はい。対象の思考を直接操作するのではなく、感情の振れ幅をわずかに増幅させる指向性を持っていると推測されます。具体的には…」

フィリアが言葉を続けるより早く、レンがその答えを口にした。

「金銭欲、支配欲、そして…猜疑心だ」


その三つの感情は、人間社会において、あらゆる対立の火種となるものだ。アルカナムは、その火種に、ほんの少しだけ油を注いでいるに過ぎないのだ。誰も、自分が操られているとは気づかない。自分の意思で、欲望のままに行動していると信じて疑わない。「なんて、悪質なやり方なんだ…」


「なるほどな…。だから、戦争が起きるわけか」

レンは、全てのピースが繋がったような感覚を覚えた。アルカナムは、この呪われた金貨を大量に流通させる。金貨を手にした権力者たちは、わずかに強欲になり、わずかに猜疑心深くなる。その小さな変化が、やがて国家間の不信感を煽り、最終的に戦争へと発展するのだ。


「そして、戦争が始まれば、奴らの本業である武器が売れる、と」

「…極めて合理的、かつ効率的なビジネスモデルです」

フィリアの無機質な肯定が、逆にその非人道性を際立たせていた。レンは、今まで自分が相手にしていた海賊たちが、巨大な悪意のシステムにおける、末端の部品に過ぎなかったことを思い知らされた。


「本当の敵は、剣や斧を振り回すような、分かりやすい悪党じゃないんだな…」

レンの心に、新たな脅威への警戒心が芽生える。彼が今、この島に張り巡らせているゴーレムによる防衛網。それは、物理的な侵入を防ぐことには長けている。だが、アルカナムのような敵には、全くの無意味だ。


「そうだ…。壁は、軍隊は防げる。だが、たった一枚の金貨は止められない」

もし、このアルカナムの金貨が、将来的に自分の国に持ち込まれたら?信頼していたはずの仲間が、僅かな欲望の増幅によって、裏切り者に変わってしまったら?その想像は、レンの背筋を凍らせるのに十分だった。


「物理的な防衛だけでは、ダメなんだ…。俺の理想郷を守るためには、もっと根本的な『壁』が必要だ」

「新たな防衛システムの構築を提案しますか、マスター?」

「いや、そういう話じゃない」

レンは、ゆっくりと首を横に振った。

「俺たちに必要なのは、人の心の中に存在する、絶対的な規範。つまり、『法』だ」


「法…ですか?」

「ああ。どんな欲望も、どんな猜疑心も、決して超えることのできない、絶対的なルールだ。このアルカディアを統治するための、揺るぎない秩序。それさえあれば、アルカナムのような見えざる敵にも、対抗できるはずだ」

前世で彼が縛られ、そして嫌悪していた法。だが、それを自らの手で創り出すとなれば、話は別だった。


それは、彼がこの国を、ただのサバイバル集団から、真の国家へと昇華させるための、次なる一歩だった。力による支配だけでは、真の理想郷は創れない。そこに住む者たちが、心から従うことのできる、公平で、絶対的な秩序が必要なのだ。「前世の知識が、こんな形で役に立つとはな…」


「フィリア」

「はい、マスター・レン」

「お前には、アルカディアの統治システムの構築と並行して、新たなプロジェクトを任せたい」

「いかなる命令も」

彼女の紫色の瞳が、真っ直ぐにレンを見つめていた。


「このアルカディアにおける、最初の法典を起草するんだ。あらゆる状況を想定し、最も合理的で、最も公平なルールを。俺の知識と、君の演算能力があれば、必ず創れるはずだ」

「…了解しました。壮大なプロジェクトになりますが、実行可能です」

フィリアは、ただ事実として、その任務の重要性を受け止めた。


レンは、テーブルの上の金貨を、強く握りしめた。その邪悪な魔力を、ねじ伏せるかのように。アルカナム。その存在は、彼にとって最大の脅威だ。だが同時に、彼に新たな目標を与えてくれた存在でもあった。「お前たちが、経済と心理で人を操るなら…」


「俺は、法と秩序で、理想の世界を創り出す」

彼の瞳には、もはや迷いはなかった。創造主としての彼の役割は、ただ物を作るだけではない。新たな社会のルールを、そして文化を、この何もない島にゼロから創造することなのだ。その壮大な使命感に、彼の心は打ち震えた。


「まずは、捕虜たちの処遇からだな。彼らを、我が国の最初の『民』として、どう扱うべきか」

レンは、フィリアに向き直った。「フィリア、最初の議題だ。捕虜の処遇に関する基本原則について、いくつかの草案を考えてくれ」

「はい、マスター。直ちに取り掛かります」

彼の理想郷は、今、確かな秩序という名の骨格を得ようとしていた。

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