第6話 遺跡の守護者
石柱群の間から滲み出した黒い影は、やがて明確な輪郭を結んでいった。それは、古代の壁画から抜け出してきたかのような、異形の姿をしていた。
獣を思わせるしなやかな四肢に、人の形をした胴体。
そして、その頭部には感情を一切読み取らせない、仮面めいた無機質な顔が張り付いていた。
影は、石柱の間を滑るように進み出て、俺たちの前に音もなく立ちふさがる。
その存在そのものが、この神聖な場所を汚す者への拒絶を雄弁に物語っていた。
「……遺跡の守護者、か。古典的だが、一番厄介なやつだな」
俺は、腰に下げていた護身用の短剣を震える手で抜き放った。
考古学者が持つには不釣り合いな代物だが、この世界に来てからというもの、これがなければ生き延びられなかった場面は一度や二度ではない。
戦い慣れているとは到底言えない、ぎこちない構え。
だが、その目には恐怖よりも強い観察と分析の光が宿っていた。
「リョウ、どうするの……? あれ、なんだかすごく怒ってるみたい……」
俺の後ろでアイリアが不安そうな声を漏らす。
俺は彼女を背にかばうように立ちながら、冷静にそして迅速に思考を巡らせた。
「落ち着け、アイリア、どんな超常的な存在にも必ずそれを成り立たせている“理屈”や“仕掛け”があるはずだ。俺は、それを見つけ出す」
俺の言葉に応えるかのように、影の守護者が低く吼えその巨体をしならせて前方へと踏み込んできた。凄まじい速度だ。
だが、俺はその動きから目を離さず、同時に周囲の石柱の配置、その表面に刻まれた文様、そして中央の結晶が放つ光の脈動を、脳内で高速で処理していく。
「……やっぱりな。これらの石柱は、単なる柱じゃない。共鳴装置だ。あいつの動き、いや、あいつが発するエネルギーに、石柱が反響している。ならば……!」
俺は一つの仮説にたどり着くとアイリアの手を強く掴んだ。
「走れ!」
彼女を引っぱり、すぐさま横へと飛び込む。
その直後、俺たちが今まで立っていた場所を守護者の巨大な爪が薙ぎ払い背後の石柱を粉々に砕いた。凄まじい破壊力だ。
まともに食らえば一撃で終わりだっただろう。
だが、俺の狙いはそこからだった。
守護者の一撃が石柱を砕いた瞬間、その衝撃波が周囲の他の石柱に反響し、目に見えない音波の壁となって守護者自身に跳ね返ったのだ。
「グ、オォ……!?」
予期せぬ反撃に守護者の動きが一瞬、明らかに鈍る。
「今だ、アイリア! この仕組みを逆手に取る!」
俺は声を張り上げ、アイリアの手を引いたまま迷路のような石柱の間を縫うように駆け抜ける。俺たちの動きを追って守護者が猛然と迫ってくる。
そのたびに、守護者は自らの攻撃で石柱を破壊し、その破壊のエネルギーが、また新たな反響を生んで守護者自身の動きを封じる。それは、まさに知識の勝利だった。
考古学者として培ってきた観察眼、そして古代技術に対する深い理解が、この絶体絶命の状況を打開する唯一の活路を切り開いたのだ。論理と直感が、完璧に噛み合った瞬間だった。
だが――。
守護者はなおも倒れない。
自らの力を反射され、ダメージを負いながらもその歩みは止まらなかった。
それどころか、周囲の石柱が砕かれその数が減っていくにつれて、音波の反射も徐々に弱まってきている。
このままでは、じり貧だ。
俺の額に脂汗が滲む。呼吸は荒くなり、足も鉛のように重くなってきた。
「……くそ、このままじゃ、持たない……!」
ついに、守護者との距離が詰まり、その巨大な爪が俺たちの背中に向けて振り下ろされる。もはや逃げ場はない。俺はアイリアを庇うように固く目を閉じた。
その時だった。
俺の前に、アイリアが一歩進み出た。
その小さな背中が、中央の結晶から放たれる青白い光に照らされ、まるで後光が差しているかのように見える。
「もう、やめなさい!」
凛とした、しかしどこか悲しげな声が、広間に響き渡った。
それは命令だった。
この場の支配者としての、絶対的な命令。
たった、その一言
しかし、その言葉に呼応するように、空気が震え残っていた石柱群が一斉に、これまでとは比較にならないほどの強い輝きを放った。光は奔流となった。
無数の光の筋が守護者の黒い影へと殺到し、その体を貫き、包み込んでいく。
守護者は、断末魔の叫びを上げる間もなく、その光の中に溶けていき、やがて跡形もなく消滅してしまった。後に残されたのは、絶対的な沈黙とゆっくりと脈動を続ける光の結晶だけだった。
俺は、目の前で起こった出来事が理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……お、お前……。今のは、一体……」
ようやく絞り出した声は情けなく震えていた。
俺が命がけで、知識を振り絞ってようやく渡り合っていた相手を、彼女はたった一言で消滅させてしまったのだ。
俺の困惑をよそに、アイリアはくるりと振り返ると悪戯が成功した子供のように、無邪気に胸を張って見せた。
「ふふん。ね? 言ったでしょ。私って、やっぱり役に立つでしょ」
「いやいやいや! おかしいだろ、どう考えても! 『役に立つ』とか、そういうレベルの話じゃないぞ!? 何でお前が、この遺跡そのものに命令できるんだよ!」
「さぁ? よくわからないけど、『やめて』って思ったら、そうなりました」
「そんな無茶苦茶な!」
「でも、私ってすごいでしょ?」
得意げにドヤ顔を決めるアイリアに、俺はもはやツッコむ気力もなく、その場にへたり込んで頭を抱えた。理屈で、論理で、一つ一つ謎を解明してきた俺にとって
この説明不能な現象は、最大の苛立ちの対象であり、同時に、抗いがたいほどの最大の興味の対象でもあった。
――そして、少女の背に今もなお漂う、神々しいまでの光の余韻は、彼女がただの記憶喪失の少女でも旅の相棒でもないことを、嫌というほど俺に突きつけていた。
彼女は、一体、何者なんだ?
その答えを求める旅は、どうやら、俺が想像していたよりも、はるかに危険で、そして壮大なものになりそうだった。
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