第29話 潰して、奪って、嬲って
魔法陣から生まれたのは、人型の何か。何かとしか言えない。それがなんなのか――理解したくない。
何かは人の形をしていたが、人間とは懸け離れた存在に見えた。
四肢が異様に細長く。紫色の皮膚はドロドロに溶けて体表を流れる。
大きな一つ目が虚ろに彷徨い、歩みを進めるたびに肩が不自然に揺れ、腐臭を撒き散らす
ぼたりと、粘液のような何かが地面に零れ落ち、蒸発するように消えていった。
「……お前は、なんだ?」
喉から絞り出す、問い。そもそもこいつは、意思疎通が可能なのか。
たったひとつの赤い瞳が、俺を映す。
その瞬間、背筋が凍った。あまりの禍々しさにえずいてしまう。
「我ハ……魔界ノ民」
腹の底まで響くような、昏い声。
「魔界……?」
「……悪属性の魔物、その上位が住む場所だって聞いたことある」
モコの声は震え、顔色も悪い。完全に呑まれている。
「不完全……。贄ガ足リヌ」
ドロドロと崩れる敵の肉体。これが本来の姿ではないということか。
儀式が不完全に行われ、その影響で敵が弱体化しているのだとしたら――
『トゥナ。倒せそうか?』
『……多分Bランク上位の力はあるのです。Eランクのトゥナが勝てる相手じゃないのです』
『ガチャアイテムで底上げしてもCランク並みのステータスか……』
『そうは言っても、逃がしてくれそうにもないのです。やるしかないのです』
トゥナが負けたら、俺もモコも、きっとまだ戦っている美凪も全員死ぬ。
そんな不安が濁流のように流れ込み、胸が潰れそうだ。
足が震てしまう。喉が灼けつくように、乾く。
それでも――覚悟を決めないといけない。
『……贄トナレ』
魔物は肉を軋ませながら、俺の方を向く。
「マスターに攻撃するなんて、許さないのですっ!」
スキル〝
蹴った地面を砕き、全速力でトゥナは駆ける。
白い雷を纏い、電光石火の一撃は魔物の胸を貫く。
腐敗した肉が弾け、飛び散り、トゥナの身体を汚した。
だが――。
「無駄……ダ」
効いていない。身体は確かに削った。それなのに、ダメージがない。
「……くっ! この化け物っ!!」
トゥナの顔に焦燥が浮かぶ。他に打つ手は――
「スキル〝バブルヴェール〟」
トゥナの周辺に、シャボン玉サイズの泡が生まれる。
一見すると幻想的にも見える光景が、グロテスクな敵の身体をフワリと包み込む。
「――弾けろなのですっ!」
全ての泡が一斉に弾ける。それは破裂音を連鎖させ、魔物の肉を抉り、周辺に散乱させた。
だが、表面だけだ。敵の様子に変化はない。
爆風で弾きとばされたトゥナの方がダメージを負っている。
「羽虫……ガ」
肉の捩じれる音と共に、敵の腕はトゥナに向く。
空気が重く濁る。呼吸するたび、胸を押し潰されそうだ。
冷や汗が止まらない。この嫌な重圧は……。
「……魔力を集めてる。次の攻撃は受けたらダメなの」
モコの声が響く。態勢を立て直したトゥナは、的を散らすように動き回る。
敵の動きは遅い、これならあるいは――
「贄ヲ捧ゲヨ」
魔物の手から、闇が放たれる。
それは空間全てを侵食し、黒へと染めていく。
距離も、音も、全てを食い荒らす手掌大の闇が、まるで飢えた獣のようにトゥナへと迫る。
「――――」
焦りとか、恐怖とか、そんなものを感じる間もなく――
音とか、痛みとか、全てを置いてきぼりにして――
トゥナの小さな身体は、黒に呑まれた。
「トゥナっ!!」
レゾナンスが途切れた。トゥナの想いも、声も……聞こえない。
いつも明るくて、一緒に居るだけで楽しかった。
俺の大切な友達。
その息遣いが、途切れた。
「……なんだこれ」
あんなの、E級ダンジョンで遭遇していい存在じゃない。
イレギュラーなんてものじゃない。こんなの、理不尽だ。
俺達はただ、人を助けに来ただけなのに。
「……朝倉」
モコが庇うように、俺の前へ立つ。
「トゥナもモコも、主が生きていれば再生するから、いい」
顔だけを俺に向け、こわばった微笑みを浮かべる。
――きっと分かってる。尾野さんは助からないということを。
こんな存在が居たら、もう無理だ。
モコはもう、再生できない。
瞳を不安に揺らして――それでも、言う。
「だから――逃げて。モコが――耐えている間に」
ああ……俺は弱い。
苦しい。思い出す。子供の頃のトラウマ、火事の記憶を。
赤く染まるあの部屋を。
呼吸するたび、死が這い寄る炎の世界。
木が爆ぜ、熱が皮膚を撫でる。
変わっていないんだ、なにも。
炎に包まれて、泣き叫ぶしかなかった。
「ああ、いやだな……」
理不尽だ。いつもいつも。
俺は誰も助けられない。いつも炎に晒されている。
そんな世界こそ――
理不尽こそ――燃えて灰になればいいのに。
「ああ、そうだ……その通りだ」
燃やせばいいんだ。壊してしまえばいいんだよ。
グチャグチャに、二度と目の前に現れることがないように。
徹底的に、圧倒的に。
そうだ。そうすればいい。
俺を抑えつけるヤツも、馬鹿にするヤツも、大切な物を奪おうとするヤツも。
潰して、奪って、
――そのための力は、もうあるんだから。
「……ははっ」
身体が熱い。命が削られていく。
「はははっ……あはははっ!」
俺はここで、死ぬのかもしれない。
けど、それでいい。
なにもできない俺なんて、価値がない。
真っ先に燃えるべき存在だ。
「スキル〝劫火〟……発動」
俺の身体を、炎が喰らい始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます