第23話 いくらでも残酷になれてしまう
「――それでな、美凪は言ったんだ。『私の身体にはねっ、家族の夢と、食生活が掛かってるのよ!』って。ワニの頭を打ち砕いた瞬間は痺れたよ」
「なぎ姉、無茶してんなぁ……」
F級ボス戦の話を聞いて、みつるくんは顔を青くする。
「朝倉さん……どうか、なぎ姉をお願いします。危ないことをしてたら、殴ってでも連れ帰ってください」
「あぁ、うん……。俺も美凪に危険なことはさせたくないから」
この長男はシスコンなんだろう。姉が連れてきた男の俺を誰よりも警戒していたくせに、ダンジョンの話には食いつく。
まぁ、覚醒者に憧れるお年頃っていうのもあるかもしれないけど。
「姉は無茶で強引なところがあるから、誰かがブレーキ踏まないと猪みたいに突き進むんですよ。魔物にぼたん鍋にされる前に、どうか止めてください」
「猪か……似合うな」
「誰が猪よ。こんなに可憐な猪が居るわけないじゃない」
台所から戻ってきた美凪がジト目で俺達を見る。手にはホールケーキ、後ろではにいなさんが食器を持っていた。
ケーキを食べることが滅多にないと言うので、来る前にケーキ屋に寄って買っておいたのだ。
箱を入れようと思って開けた小さな冷蔵庫は、中もガラガラだった。
今夜はお肉。ついでに明日以降の食材もたくさん詰めて帰ろう。
「ケーキ!!」
「いちごだぁぁぁ!!」
しのぶくんといつみちゃんが歓声をあげる。それだけでも買ってきてよかったと心がほっこりする。
ケーキ代になったゴブリンと狼も報われる思いだろう。知らんけど。
「ほーら! 順番に配るから良い子で待ってなさい。夕食後に出そうと思ってたのに我慢できなかったんだから、これくらいは言うことききなさいよ!」
にいなさんがはしゃぐちびっ子たちを窘める。その間にテキパキとみつるくんがお皿を並べ始め、美凪はケーキを前に目を瞑っていた。
「……みっ、美凪。それはなにをやってるの?」
彼女の顔を見ながら名前を呼ぶのは、やっぱり緊張する……。
「あ……う、うん。どうすれば均等に切れるか考えていたの。ケーキの大きさの前で、人はいくらでも残酷になれてしまうから」
スッと、美凪の瞳から色が消えた。よく見るとにいなさんやみつるくんもどこか遠くを見ている。
彼女達に一体なにが有ったのか……聞くのを躊躇われる、闇を感じた。
俺ならスキルの効果で均等にできると思うけど、プレッシャーが凄いから切りたくない。
「……掴めた、スキル〝
「え? 今?」
虚ろだった目を輝かせて、生き生きとケーキを切り出す美凪に、にいなさんとみつるくんが目を丸くする。
「おねぇ! そんなサクサク切って大丈夫なの!? 戦争が起きるわよ!」
「大丈夫。覚醒したお姉ちゃんは無敵なのよ。ミリ単位で間違えることはないわ」
「なぎ姉、本当かよ!? 俺もう布団の中で泣くのは嫌だよ……」
「長女を信じられなくてどうするの? 黙って見てなさい!」
「はーやーくー!」
「けーーーーきーーーーぃーー!!」
「ちょっと待ちなさい!」
ちびっ子達はフォーク片手に叫び出す。
ケーキを前にした人の理性のなんと脆いことか。全国のダイエット女子達の苦しみが、少しだけ分かった気がした。
「切れたわよっ! お皿に乗せた物から持って行きなさい!」
ちびっ子たちが奪うようにお皿をとる。
俺もスキル〝空間掌握〟で確認してみたけど、本当に綺麗な6等分だ。
器用な伊万里さんだからこそ出来たのだろう。俺だと手が滑ってこうはならない。
塗り絵だってはみ出すんだから、無理無理。
「……あっ!」
スキルに反応。いつみちゃんの手からお皿が滑るように傾き、ケーキが滑り落ちそうになる。
「……危ないっ!」
とっさに動いた身体がスキル〝迅雷〟により加速する。滑り込み、皿の底を支えるように手を添えなんとかケーキの落下を防ぐ。
しかし、衝撃でケーキはぐしゃりと横に倒れてしまった。
「……あっ」
いつみちゃんの切なげな声が響き、目に涙がじんわりと浮かぶ。
……楽しみにしてたのに、無理ないか。
「これは俺が食べるから、新しいの持ってきなよ」
「……いいの?」
「もちろん。つぎ買ってきたときは気をつけるんだぞ。……なにがいいかな? チョコケーキとか好きか?」
「好き!」
「それなら次はチョコケーキだな。俺も大好きだよ。楽しみだね」
「うんっ!」
いつみちゃんは目の涙を拭うと、にこにこ顔で新しいケーキを受け取り、今度は慎重に運び出す。
微笑ましい。妹を思い出すな。年が離れてるわけじゃないけど、危なっかしくて放っておけない感じがそっくりだ。
「……またうちに来るつもりなの?」
いつの間にか隣に座っていた美凪が、耳打ちするように囁く。
耳朶にかかる吐息がくすぐったくて、良からぬ気持になりそうだ。
子供たちが居る前でさすがにそれは良くない。いや、ふたりっきりの時の方がよくないんだけど。
「なによ。変な顔しちゃって」
「失礼な。ちょっと驚いただけで、いつも通りの顔だろ」
「……それって自虐? 言われてみれば気の抜けた顔や、変態な顔をよく見るけどね」
「変態な顔ってどんな顔だよ……」
「バスから降りて深呼吸してるときに胸を見てたでしょう? あのときの顔よ」
墓穴だった。思わず目を逸らす。
それを見て美凪はクスリと小さく笑うと、言葉を続けた。
「……ありがとね。ケーキもそうだけど、みんなと仲良くしてくれて」
「そんなの、お礼を言われるような事じゃないよ」
「ううん。言いたいの。私の大切を、大切にしてくれることが嬉しい。今日は一緒に来てもらえて本当に良かったって思ってる。その――」
迷子になった言葉を探すような沈黙。
気まずくない、穏やかな無言。
「あなたは人の想いに寄り添える人。ちゃんと……見てくれて、受け止めてくれる人」
彼女の言葉がとろめく。耳から脳へ、痺れて俺を熱に融かしてしまいそうだ。
「あなたが……、はっ、悠斗が――パートナーで居てくれて……良かった」
上気する頬。意味ありげに潤む瞳。突然の
――こんなの、反則すぎるだろ……。
思わず目を逸らすと、にいなさんと目が合ってしまう。
にこりと笑われ、くらりと眩暈。
――顔が熱くて、限界だった。
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