第9話 マスターは美凪の顔がタイプなのです

 トゥナが……人間を捕食した?


 シャワーに濡れた身体が、凍えたように冷える。


 トゥナが伊万里さんに危害を加えるわけがない。けど、システムが嘘をつくはずもない。


「……っ!」


 気が付いたら、駆け出していた。


 女性用シャワーは男性用を出てすぐ向かい。扉は当然施錠されているが、スキル〝身体強化〟で蹴破った。


「伊万里さんっ――!」


 脱衣所を抜けてシャワー室に飛び込むと、そこには伊万里さんの顔をしたピンクの泡の塊。


「……え? どういうじょうきょ――」

「……ひゃあああああぁあぁぁあぁ!!」


 耳が裂けるかと思う程の悲鳴。ピンクの泡の伊万里さんの顔が、驚愕と恥じらいに染まり、泡の中に潜ってしまう。


 その代わりに飛び出した銀色の卵が、スローになって俺へと迫ってくる。


 あ、これ死んだかも。


「なんで入ってくるの変態っ!! 最低っ! 信じられない……! 意味わかんない!  しかも裸じゃないっっ!!」


 ホープが顔面に直撃し、シールドが割れる音が聞こえ――鈍い痛み。


 ぐるんと世界が反転し、暗転した。 




***




 意識が戻ると、知らない膨らみ。


 それは控えめで、天井を覆い隠すには足りず。しかし男心がくすぐられるふたつの膨らみだ。


「……気がついた? 頭、痛くない?」


 伊万里さんの声が上から聞こえる。これは、あれか……?


 ラノベと恋愛ゲームの中にしか存在しない伝説の儀式……膝枕ってやつか……!?


「えっ、これどういう状況?」

「枕にできるような物、他になかったから……」


 見上げる位置に居る伊万里さんは、気まずげに視線を逸らした。


「……トゥナちゃんから事情を聞いたわ。捕食されたなんてシステムが出たらびっくりするわよね。私のこと心配してくれたのに、酷いことしてごめんなさい……」

「……そうだ! 捕食って――!?」


 見る限り伊万里さんに怪我はない。それじゃあシステムの間違い……?


「酷いのです、マスター。トゥナは美凪を食べたりしないのです!」


 舌足らずで、初めて聞くのに、覚えのある声。


 そこにはピンクの長い髪をした幼女が、頬を膨らませながら立っていた。


「……は? だれ?」


 いや、知ってるぞ。頭にある猫耳。あれは……。


「トゥナなのです! マスターが美凪とばかりお喋りするから、トゥナも喋れるようになってみたのです!」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿じゃないのです! 天才だからできるのです! スライム界のアインホルスタインなのです!」


 ホルスタイン? 牛だっけ?


「まさか、アインシュタインのこと?」

「それなのです!」


 トゥナはえへんと胸を張る。

 

 牛と名乗るならさぞかし立派な胸を持ってるかと思いきや、スライムに有るまじきまな板っぷりだ。


「マスターがトゥナを持って戦ったときがあったですね?」

「ホープになったときか」

「そのときにマスターの汗を吸収したのです。けど情報が足りないから、美凪を洗いながら髪とか少しもらったのです」

「今までにないくらいお肌ツルツルなの! これから毎日トゥナちゃんとお風呂入ってもいい?」


 これ以上伊万里さんが美少女になってしまったら、学校の男子が狂うのではないだろうか?


「いいけど、トゥナのその見た目……もしかして――」

「マスターと美凪の身体の情報を混ぜて作ったです! だからトゥナはふたりのこども――」

「トゥナちゃん!! それは違うんじゃないかなー? 私困っちゃうから、あまりそういうことは言わないで欲しいなぁー!」


 頭の下の、柔らかい太ももが動揺に震えた。


 極楽過ぎるので、怒られるまでこのままでいよう。


「お母さんじゃないです?」

「違います!」

「じゃあ……、お姉ちゃん」

「それでいきましょう」

「お姉ちゃん欲が強すぎる」


 改めてトゥナの人間形態を見ると、長い髪や意志の強そうな瞳、整った顔立ちと、伊万里さんに似た顔立ちをしている。


「俺に似なくて良かった。これからもどんどんお母さんに似るんだぞ」

「……朝倉くん、あまり調子に乗らないの」


 伊万里さんの細い指が俺の頬に触れ、思わずドキッと――痛い痛い。いや、つねる力強っ!


「まって、千切れる……! スキル〝身体強化〟発動してるって!」

「ふんっ」


 そっと手が離れた。怒ってるようで手つきは優しい。ツンデレかな?


「DNAの摂取量はマスターより美凪の方がずっと多いのです。だから、見た目が似るのは仕方ないのです。マスターは美凪の顔がタイプのようなので、丁度良かったのです!」

「おい、トゥナ……!」

「へぇ? 本当なの、朝倉くん?」


 伊万里さんは悪戯っぽく口元を緩める。今度は俺の頬が赤くなる番らしい。


「朝倉くんがそうだって言うなら……もっとかわいい服でダンジョンに来た方がいいかな。 動きやすさ重視でTシャツにレギンスにしてるけど、あまり色気がないわよね」

「今のでも十分だと思うけど」


 細い身体にぴったりサイズで素晴らしい。目の保養だ。


「そう? まぁ、来て欲しい服があれば予算と良識の範囲内で検討してあげる。朝倉くんにはお世話になりっぱなしだもの」


 彼女の手が優しく俺の頭を撫でる。心地よいリズムで眠ってしまいそうだ。


「一緒にダンジョンに潜るのは俺も楽しいし、貸し借りとかそういうの考えてないよ」

「それじゃ悪いって思うのよ。私の気が済むまで付き合いなさい」

「強引だな」


 トゥナや白兎の前では無邪気で面倒見のいいお姉さんって感じなのに、俺の前では強がった口調のままだ。


 出会って2日だから当然だけど……やっぱりまだ、遠いな。


「人間形態は慣れないのです。今日はここまでにするのです! また明日遊ぶです!」


 幼女の身体はアイスのように溶けていき、いつもの猫耳スライムに変わった。


 当たり前だけど。スライムより幼女の方が身体は大きい。体積とかは魔法の力で増やしてるんだろうか……?

 

「さ、私達も帰りましょう。ご飯も作らないといけないし」

「そうだね。トゥナの進化もそうだけど、白兎のイナバのスキルとか……全部まとめて共有する時間が必要だと思う」

「そうね。明日からE級ダンジョン。探索前にスキル情報を整理しましょう」

「うん……そうしよう」

「だから――」


 伊万里さんは俺の頬を優しく叩く。


「そろそろ頭をどけなさい」

「もう少しだけ……」

「だめ。サービスは終了です」


 さよなら俺の極楽。


 伊万里さんが俺の頬をつねり始めたので、慌てて頭をどかした。


 そういえば、いつのまにか服を着ている。


 俺の記憶では、全裸で気絶したはずだ。


 もしかして、服着せたのって……。


「伊万里さん……」

「どうしたの?」

「責任とってください」

「何の話よ」


 ほんとだよ。

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