第3話 人生はままならない。

PTSD という言葉を知っているだろうか?

心的外傷後ストレス障害。

中々に、厄介なものである。

10年程前から心療内科にPTSDの為、通っている。

私がPTSDになった主な出来事は、残念ながら、今、ここに書き込もうとしたが、出来なかった。

一つだけ言えるのは、その出来事は今から19年前に起こった。これだけだ。


PTSDは、「Post-Traumatic Stress Disorder」の略で、「心的外傷後ストレス障害」と訳される。

簡単な説明を調べたら以下の様に出てきた。


命に関わるような極度の恐怖や、心に大きな傷を負うような出来事を体験した後に、その出来事の記憶がフラッシュバックしたり、強い不安や緊張が続いたりする精神的な障害。


主な症状

PTSDの症状は人によって様々ですが、主に以下の3つのグループに分けられます。

1.体験症状(リ・エクスペリエンス)

・ トラウマとなった出来事を何度も思い出し、まるでその場にいるかのような感覚になる「フラッシュバック」。

・悪夢を見る。

2. 回避と麻痺

・ トラウマに関連する場所、人、物、会話などを避けるようになる。

・ 感情が麻痺し、喜びや悲しみを感じにくくなる。


3.過覚醒症状(ハイパー・アロウサル)

・常に緊張していて、落ち着かない。

・ 些細なことで驚いたり、イライラしたりする。

・ 眠れなくなる。

これらの症状が1ヶ月以上続き、日常生活に支障をきたす場合にPTSDと診断されます。治療には、専門家によるカウンセリングや、薬物療法が行われる。


私の場合、自覚して心療内科に行くまでに9年近くかかった。これはあまり良い事ではない。治療を始めるのが遅くなるほど、完治が難しいらしい。ただまぁ、ここで、完治とは?という疑問が出てくるのだが。


しかし、最近では、PTGという事が起こりうるという研究結果がある事を知った。それはとても小さいけれど、希望が見えたような気がしている。

PTG (Post-Traumatic Growth) とは「心的外傷後成長」と訳され、トラウマとなるような困難な経験を乗り越える過程で、かえって精神的に成長することを指す。


絵を描く人になりたい。と物心ついた頃から思って生きてきて、自分に絵で生きていく力がない事を思い知った上で、死ぬまで絵を描き続ける、んだ!と頑張っていたところから、少しずつ、もう何もできない。になって行く。

輝く満天の星空が、人工灯にかき消されて見えなくなっていって、見ていた星空は幻で、目が潰れそうな蛍光灯だけが現実かの様な。。。

あぁ、あの星空が見たいと願っても、そんなものは一体何処にあっただろう?と疑い、思い出すこともできなくなる。


どこかおかしいと思うのだけれど、死にたいと思う事は、幼少期からずっと当たり前の感情だった私には、そもそも自分の人生に、おかしく無い所などあったのだろうか。と、自分自身への信頼がない。


死にたいという感情から発生する疑問がある。

何故生きているのか。何故生きていかなくてはいけないのか。

その答えは誰が答えられるのだろう。

フランクルが本に書いていた「人生に何を求めるか、ではなく、人生に何を求められているのか」

私にはまだ、わからない。


ただ、最近では、死にたいと思う事は少なくなった。通院し始めて随分経ってから、やはり小さい頃から病んでたのだなと、落ち着いて考えられる様になり始めたけれど、それでもまだ生きる事は大変だと毎日思う。

生活する為に働いて、仕事のストレスで疲れて、時間もお金も体力も足りない。

それでも今は随分生きやすくなった。


苦しかった。

当たり前のはずの呼吸、息の仕方が、分からなくなる苦しさを、どれだけの人が知っているのだろうか?

私が想像するよりきっと多くの人が経験した事があるのではないかと思う。

その苦しみの一つ一つは全て本人にしかわからない。同じ苦しみは存在しない。自分の中で何が起こっているのかは、自分以外誰にも分からない事だ。


どこかの映画や漫画の様に、病院に行きました、良い医師に出会い、最適なカウンセリング治療ですぐに良くなりました。なんて事は、現実には中々起こらない。

病院に行っても、医者からしてもらえる事は、お薬を出してもらう事。最初はそれ以外にない。

まずは自分の異常を認識するために、正常を知らなければいけない。心が正常である事。それはどういう状態か分からなければ、何処が異常であるのかがわからないからだ。

そのための一歩が、自律神経を安定させるお薬である。

薬は身体に良く無いと、反対する人は多い。

しかし、目に見えない心の問題では無く、身体を侵食して異状を来しているのだ。

正常、いや、健常な人々にその事を理解してもらう事の難しさは重々承知している。

だけど「薬は身体に良く無い。身体に良く無いものは心にも良く無い。依存するのは良く無い」なんて簡単に言わないでくれるとありがたい。

正当な事のように放つその言葉に殺される人だっているのだから。

もちろんお薬で病気が治ると言っている訳では無い。お薬はあくまで、症状を和らげてくれるだけだ。本当に快方に向かうには、地道な個の心の小さな努力の積み重ねしか無い。

赤ちゃんが立つ事を覚える時、立つ、転ぶ、泣く、休む、また、立つ、転ぶ、泣く、休む、また、立つ。。。それを繰り返して繰り返して段々と、真っ直ぐ立ち上がる事が出来るようになり、やがてそれが歩く事に繋がるように。

不思議なものだ。赤ちゃんが立とうとすると、大抵誰もが、すごいすごい、頑張って!と応援する。上手く立たずに転ぶと、大丈夫か心配する。転んで泣き出すと、よしよしよくがんばったねーえらいねーなんて宥めて。泣き疲れて休んだら、頭を撫でていい子いい子と慰める。そうしてるうちに赤ちゃんはまた立とうとする。

初めて立って転んだ赤ちゃんに「何で立たないの!しっかり立ちなさい!」と叱る人がいたら、叱っている人に問題があると思うのでは無いだろうか?悲しい事に現実にそういう人は存在するが。

立てるようになるまで、何回転けるかは一人一人違うのだ。

赤ちゃんで例えられてもと思う人もいるかもしれない。だけど、本当に、そのくらい小さな事の繰り返しの努力だけが力になる。

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