絶望の降臨

第60話 アガートラーム

 京都での任務から数日。

 再びブリーフィングルームに召集されたチームの間に流れる空気は、これまでの、どの任務の後とも決定的に違っていた。

 そこにいるのはもはや、以前の彼女たちではなかった。

「作られた存在」であるという事実は、少女たちの心を深く蝕んでいた。


 響カナデは、ただじっと、テーブルの一点を見つめている。

 仲間を助けたい、誰かを守りたい、という、自らの行動原理であり、魂そのものであったはずのその強い想いさえも、もしかしたら、最初から誰かに設計された、プログラムされた感情なのではないか。

 その疑念が、彼女の表情から太陽のような明るい光を完全に奪い去っていた。


 その向かいに座る剣崎リンとリナの姉妹もまた、抜け殻のようだった。

 自分たちの信じてきた血の滲むような努力の果てにある完璧さや、他の誰よりも秀でていると信じていた才能。そのアイデンティティの全てが、ただ与えられた設計図通りの性能だったという事実に、彼女たちのプライドは粉々に砕かれていた。


 小鳥遊ツムギも、黒羽シズクも、カナデの隣に座る白雪ふわりも。

 誰もが拭いきれない無力感と、すぐ隣にいる仲間に対してさえ、一枚見えない壁を感じるような、重い疑心暗鬼に苛まれていた。

 チームは、その機能を停止していた。


 その空気の中、ブリーフィングルームの扉が静かに開いた。

 入ってきたのは、長谷川チグサだった。

 少女たちは身を固くした。この惨状、どんな冷徹な言葉が投げつけられるのか。


 だが、チグサの行動は彼女たちの予測を完全に裏切った。

 彼女は司令官席には立たない。

 ただテーブルを囲む少女たちの、その輪の中へと歩み寄ってきたのだ。


「……あの日以来、眠れぬ夜を過ごしているのはお前たちだけではない」


 その告白に、少女たちは顔を上げた。

 チグサは、京都での一件以来、自らもまた、組織の封印されていた過去の記録を調査し続けていたことを明かした。

 そして彼女は、自らの個人的な、あまりにも曖昧な記憶を、初めて部下である彼女たちに、語り始めた。


「私がこの組織にスカウトされ、訓練を終えたばかりの頃だ」


 その声はどこか遠い過去を懐かしむような、不思議な響きを持っていた。


「一度だけ、この基地の、最深部の区画で、一人の老人とすれ違ったことがある。……おそらく彼が、全ての計画の創始者だったのだろう」


 そのあまりにも不確かな記憶。

 だがそれは、今の自分たちの存在意義さえ見失っていた少女たちにとって、初めて示された、過去へと繋がる道標のようにも思えた。


 カナデたちが息を詰めて、その言葉の先を待つ。


 チグサは自らの黒い義手をもう片方の手でそっと撫でた。まるで遠い日の、傷の痛みを思い出すかのように。


「彼はすれ違いざまに私のこの腕を見て、私の目を真っ直ぐに見てこう言った」


 その声は静かな告白だった。


『――君のその銀の腕は、いずれ、『アガートラーム』への道標となるだろう』と。


 アガートラーム。

 チグサは、その言葉の意味を何年も理解できずにいた。ただの老人の戯言だと、記憶の隅に追いやって。

 だがアマゾンで発見された素体のデータ、そして、京都での完成品との遭遇。今回の件を受け、全ての記録を洗い直し再調査した結果、ついにその言葉の意味を、突き止めた。


 彼女がホログラムスクリーンを操作する。

 そこに映し出されたのは、古代の神話の絵画だった。片腕が銀色の義手になっている、威厳のある王の姿。


「アガートラーム。それは、古代ケルト神話に登場する、銀の腕を持つ王の古い呼び名だ」


 それが彼らが追うべき、創始者を指す、唯一の糸口だった。


 チグサのが指し示した古代の神話の絵画。

 その不確かな情報に、少女たちは息を呑む。

 チグサはそんな彼女たちの動揺を見透かすように、新たな任務を静かに告げた。


「これより、お前たちには、この『アガートラーム』という言葉だけを頼りに、創始者の行方を追跡してもらう」


 たった一つの神話の中の、曖昧な単語。

 それはあまりにも、途方もない任務だった。

 だがその不確かで、しかし自分たちの始まりへと、確かに繋がっている、最後の蜘蛛の糸。

 それは絶望の淵にいた少女たちの瞳に、再びかすかな闘志の光を灯した。


 真実を、知りたい。

 自分たちが、何者なのかを。

 なぜ作られ、なぜ戦い、なぜ命を削り続けなければならないのかを。


 その誰にも、決して奪うことのできない純粋な想いが、砕け散って動けなくなっていたはずの彼女たちの心を、再び強く立ち上がらせた。

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