第24話 ERROR: Unstable

 最後のアンドロイドが、甲高い金属音を立てて石畳に崩れ落ちる。

 それを合図に、嵐のような喧騒は、まるで悪夢から覚めたかのように、嘘のように消え去った。

 後に残されたのは、くすぶる残骸が放つ焦げ臭い匂い、遠くから近づいてくるチェコ警察のサイレンの音、そして物陰で身を寄せ合い、恐怖に声も出せない民間人たちの、押し殺したような嗚咽だけだった。


 その惨状の中心に、白雪ふわりは、ぽつんと一人で立っていた。

 すぅっ、と。

 あれほど激しく燃え盛っていた彼女の狂気の炎が、まるで蝋燭の火が吹き消されるかのように、ふっと消える。

 爛々と、恍惚の光で輝いていた血のように赤い瞳は、また元の、何も映さない冷たいガラス玉に戻っていた。戦闘で昂っていた身体から力が抜け、その小さな肩が、わずかに落ちる。

 彼女は、自らが引き起こした破壊の爪痕――原型を留めない鉄と肉の残骸が散らばる光景を、まるで初めて見るかのように、不思議そうに見回した。


 そして、きょとん、と小さく首をかしげる。

 その唇から漏れたのは、狂戦士の咆哮ではなく、祭りが終わってしまったことを寂しがる、子供のか細い呟きだった。


「……もう、おしまいなの?」


 楽しかったはずの遊びが終わり、また一人ぼっちになったという現実に、今初めて気づいたかのように。


 戦いの後の、どうしようもない虚無感に襲われた白雪ふわりは、まるでそれが決まり事であるかのように、自らの状態を確認するため、ぼんやりと左手首のライフクロックに目を落とした。


【ERROR: Unstable】


ノイズが一瞬だけ、ぴたりと晴れた。

そして、ディスプレイに数字が鮮明に浮かび上がる。


【-102y 045d 18h 11:34:07】


「……ひとり、いやだ」


 ぽつりと、誰に言うでもなく呟く。

 そして、ふわりは、ふらふらとした足取りで、この世で唯一の拠り所である響カナデへと歩み寄った。そして、その戦闘服の袖を、ぎゅっと掴んだ。

 先ほどの凄惨な怪物の姿は、そこにはない。ただ、見捨てられることを恐れる、か弱い少女の姿だけがあった。


 返り血とアンドロイドのオイルで、黒と赤に汚れた純白のドレス。

 その汚れを気にする様子もなく、ふわりはカナデの腕に、その頬をすり寄せた。カナデの清潔な戦闘服に、べったりと血の跡が付着する。


「かえろ……カナデ……」


 その異様な光景を、ツムギは言葉を失って見つめていた。カナデは、そんなふわりを咎めることなく、ただ、深い哀しみを湛えた瞳で、そのプラチナブロンドの髪を優しく撫でている。時計塔の黒羽シズクは、全てを知っているとばかりに、何も言わない。


 ツムギだけが、この世界の本当の歪みを、まだ理解できずにいた。

 けたたましく鳴り響くサイレンの音が、急速に橋へと近づいてくる。

 その音で少女たちは、ようやく我に返った。


 ◇


 プラハの夜は、遥か眼下へと遠ざかっていた。

 機内は、分厚い装甲に守られ、驚くほど静かだ。ただ、強力なエンジンが空気を震わせる音だけが続いている。

 激しい戦闘を終えた少女たちは、それぞれに消耗した心身を休めていた。黒羽シズクは、目を閉じて瞑想するかのように、一切の気配を消している。


 その中で、小鳥遊ツムギだけが、眠れずにいた。

 彼女の視線は、向かいの座席に釘付けになっている。

 そこでは、ふわりがカナデの膝を枕にして、すうすうと安らかな寝息を立てていた。

 返り血と硝煙で汚れ、あちこちが引き裂かれた痛々しいゴシックロリータドレス。その一方で、眠っている彼女の顔は、血の気の失せた陶器の人形のように美しく、どこまでも無垢に見える。

 ツムギは、その姿に、カレル橋で見た怪物の面影を重ねようとして、しかし、うまく結びつけられずに混乱していた。

 あの狂気。あの歓喜。

 この眠る少女は、一体、何なのだろう。

 恐怖と、憐憫と、そして理解できないものへの畏怖。様々な感情が、ツムギの心の中で渦を巻いていた。


「眠れない、ツムギちゃん?」


 ふいに、かけられた優しい声。

 カナデが、眠っているふわりのプラチナブロンドの髪を、そっと撫でながら、ツムギに微笑みかけていた。その顔には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。


「あ、いえ……すみません……」

「ううん。この子のこと……怖かったよね。ごめんね」


 カナデは、まるで自分のことのように、申し訳なさそうに言った。


 彼女は、何か話題を変えようとするかのように、近くの機内モニターに視線を移す。そこには、次の目的地である島の、美しい風景写真と、天気予報が表示されていた。


「うわ、次は最高気温30度だって。プラハとは大違いだね」


 カナデは、少しだけ悪戯っぽく笑うと、ツムギに問いかけた。


「……ツムギちゃん、泳ぐのは得意?」


 泳ぐ。

 その、あまりにも平和で、日常的な響きを持つ言葉。

 ツムギは、膝の上で眠る血塗れの怪物と、モニターに映るどこまでも青いエーゲ海の写真とを、ただ、呆然と見比べることしかできなかった。

 彼女たちの、新たな戦場へ。

 輸送機は、夜明けの光の中を、静かに南へと向かっていた。

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