第8話 リジェネ・メルター

 やがて査定が終わったとばかりに、チグサは初めて口を開いた。その声は彼女の瞳と同じく、一切の温度を含んでいなかった。


「状況の理解が追いついていない顔だな。では、事実だけを簡潔に伝える。よく聞け」


 チグサは椅子に座ったまま、その黒い義手で手元のコンソールを操作する。すると、彼女の背後のガラス窓に、一体の人体モデルのホログラムが浮かび上がった。


「まず、お前が何者かについて。我々はお前のような存在を『リジェネ・メルター』と呼称する」


 ホログラムのモデルに赤い傷が表示される。直後、その傷が驚異的な速度で塞がっていくアニメーションと共に、隣に表示されたDNAの螺旋構造モデルの末端が目に見えて短くなっていく。


「リジェネ・メルターとは、外傷をトリガーとして異常な細胞再生を行う特異体質者。その代償として、テロメアの急激な短縮、即ち寿命を前借りする」


 寿命という言葉が、ツムギの鼓膜を鋭く打った。隣に立つカナデが、無意識に自身の左手首を右手で隠すのが見えた。チグサは、奇跡や呪いといった感傷的な言葉を一切使わず、ただの生物学的現象として続けた。


「次に、我々が何者か。我々は『メロウ・ガーディアンズ』。その特異体質者を保護・管理し、対テロ特殊戦力として運用する超法規的国際組織だ。私はそのアジア支部作戦司令官、長谷川チグサ」


 ホログラムが世界地図に切り替わり、いくつかの拠点がハイライトされる。保護・管理という言葉の裏にある、支配・利用という冷たいニュアンスを、チグサは隠そうともしない。

 ツムギは、目の前の司令官と、隣に立つ二人の少女を見た。保護者と被保護者。いや、飼い主と、飼われている兵器。


「そして、お前たちが戦うべき敵。ウロボロス」


 スクリーンに、あの忌まわしい蛇の紋章が映し出される。渋谷と新宿の惨劇の映像がダイジェストで流れた。


「世界規模で暗躍するテロ組織だ。彼らは君たちメルターの存在に気づいている。そして、進化の鍵、あるいは研究材料としてその身柄を狙っている」


 チグサはそこで言葉を切り、ホログラムを消した。司令室に、再び重い沈黙が落ちる。

 彼女は最後の宣告を言い渡すように、ツムギの瞳を真っ直ぐに見据えた。


「奴らにとって、お前は獲物。我々にとって、お前は兵器。それ以外の選択肢はない。―――ようこそ、メロウ・ガーディアンズへ」


 その残酷な歓迎の言葉は、ツムギの心に深く、冷たい楔を打ち込んだ。

 獲物か、兵器か。それ以外の道はない。目の前の司令官は、そう断言したのだ。

 ツムギは唇を噛み締め、何か反論しようとしたが、言葉にならなかった。彼女の隣でカナデが息を呑む気配がする。


「マカロン、何か言いたそうだな」


 チグサは、視線をツムギから外すことなく言った。その声には、いかなる異論も許さないという圧力が含まれている。


「いえ……しかし、彼女はまだ混乱して――」

「感傷は不要だと言ったはずだ。お前の役目は、対象をここまで連れてくることで完了した。チョコレートも同様だ。二人とも、下がれ。メディカルルームで任務報告と身体データの分析を行え」


 それは、有無を言わさぬ命令だった。

 シズクは「はっ」と短く応えると、完璧な敬礼をして、一分の隙もなく踵を返す。

 だが、カナデは動けなかった。彼女は、チグサの冷徹な瞳と、絶望に凍り付いているツムギの顔を、苦しげな表情で見比べる。このままツムギを一人にすれば、彼女の心が本当に壊れてしまう。そう思ったのだ。


「司令、私もここに――」

「下がれと言った、マカロン」


 先に扉へ向かっていたシズクが、カナデの腕を無言で、しかし強く掴む。その黒曜石のような瞳が、「無駄だ」と告げていた。

 カナデは、唇を噛み締め、悔しさに顔を歪ませながらも、シズクに引かれるようにして部屋を出ていくしかなかった。ツムギに、一つだけ、心配そうな視線を残して。


 重厚な司令室の扉が、ゴウ、と音を立てて閉まる。

 その音は、ツムギにとって、最後の逃げ道が塞がれた音に聞こえた。

 ついさっきまで自分を捕らえた兵器の少女たち。しかし、今となっては、この巨大な基地で唯一、感情を共有できるかもしれない存在だった。

 その二人から引き離され、絶対的な権力者であるチグサと、だだっ広い司令室に、たった二人きりで取り残される。


 もう、ツムギの逃げ場は、どこにもなかった。

 チグサは、そんな彼女の絶望を見透かすように、初めて椅子から静かに立ち上がった。

「さて」

 その時、動いた袖口から覗いた黒い義手の、かすかな駆動音が室内に響いた。


「お前が兵器になるための、最初の処置を始める」

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