1-7 情報海より空想界へ

 目の前に広がるのは、一面に広がる空だった。眼下も頭上も空しかなく、転々と様々な大きさの浮島が浮いている。空もただ青いだけではなくどこか懐かしい光が差し、大きなシャボン玉のような泡が漂っていた。


 いつか見た夢のような懐かしさと、どこか知らない世界を夢見たときの想像が一緒くたになったような光景に夏美は思わずソファから立ち上がる。


「すごい、きれい……」

「お客様の目的地です。情報に揉まれて疲れたのなら、空想の世界で羽を伸ばせばよいのです」

「空想の世界で……?」


 夏美がよくわからないといった風に首を傾げると、アデーレはまた伝声管でレアに言った。


「レア、遊覧飛行のルートは?」

「切れ端島からぐるっと語り部諸島を回る形になるね。もう狭間からは抜けたから、外に出ても大丈夫だよ」

「わかったわ、ありがとう」


 短く礼を述べた後、アデーレは夏美に外を指した。


「デッキに上がってもいいと許可が出ました。よければ外に出てみませんか?」

「外に出られるんですか?」

「ええ。空想界の風は気持ちいいですよ」


 夏美はすぐに頷いて外に出たいと言った。せっかく不思議な体験をしているのだ、もっと色んなことを体験したっていいだろう。アデーレは微笑んで頷くと展望室から夏美を連れ出す。廊下を歩いて、夏美の部屋を過ぎたあたりで急な階段が続いている場所に出た。


「こちらから。少々お待ちくださいね」


 アデーレはデッキへ続く階段を上り、出入り口になるハッチを開けた。アデーレに促されるまま夏美が階段を上がっていくと、強い風がぶわっと吹き付けてくる。


「わっ」


 それでもなんとかデッキに出てみると、展望室で見た光景がさらに鮮やかに夏美の目に飛び込んでくる。

 昼下がりのような少し気怠い日の光と、それに照らされる巨大なシャボン玉。浮島は上に下にあちこち浮かび、小さな島から大きな島まで様々だ。不思議と雲はなく、けれど不思議と眩しくない。


 かつてあったいつかを思い出させるような、ノスタルジックな雰囲気に夏美は不思議な気持ちになる。


「ここが空想界……」

「お気に召していただけましたか?」


 アデーレの隣に立って、夏美はしばらく景色に見入っていた。見つめる先で、空を飛ぶトビウオがぴょんぴょんと跳ねている。


「空なのに魚がいる……」

「空想界ですからね。想像すれば魚だって空を飛ぶでしょう」

「想像すれば本当になる、ってことですか?」


 アデーレの言葉に夏美が問えば、アデーレはツアーガイドのように空想界の説明をしだした。


「ここ空想界は誰かの想像や自分の想像が形となって現れる世界です。この世界自体はたくさんの人達が想像した世界が混ざってできあがった、いわば集合体のようなものです。無論、想像の世界ですから、今私達が強く想像すれば、それに見合ったものが現れもします。例えば……」


 アデーレは目を閉じて手の平を空にかざす。するとそこから小さな光が溢れ、ぴょん、と小さなウサギが現れた。


「あっ、ウサギだ」


 ウサギはデッキの上に着地すると、ピョンピョンと跳ね回ってから手すりを飛び越えて空に飛び込む。あっと夏美が声を上げるが、ウサギは耳をたたんで空の中をすいすいと泳いでいってしまった。


「いっちゃった」

「このように想像したものを具現化もできます。お客様も試してみてはいかがですか?」


 アデーレはデモンストレーションとばかりに現れたウサギに手を振ってから、夏美にやってみないか持ちかける。

 だが、いきなりやってみろと言われても無理な話である。想像するにしたって何を想像すればいいかわからないし、どう想像すればいいのかもわからない。

 困っている夏美に、アデーレは言う。


「何を思えばいいかわからない、といったご様子。何でもいいは時に何をすればいいかわからなくするものです。そういうときは、何かしら縛りを付けることで幅を狭めるといいんですよ」

「例えば、どういうのですか?」

「そうですね。では、お客様。空を飛ぶ生き物を想像してみてくださいませ」


 そう言われると、真っ先に思い浮かぶのが鳥だ。しかも空を飛ぶ鳥となると鶏やアヒルではないことがわかる。

 ぱっと思いついた鳥、夏美は雀を思い浮かべてみる。茶色い羽毛に、小さな姿。電線に止まって群れている、見慣れた鳥だ。

 すると、ぽん、という音がして夏美の頭上に小さな雀が現れた。その雀は夏美の手の上に止まるとチュンチュンと鳴き声を上げてきょろきょろ辺りを見回している。


「ほ、ほんとに出た……」

「ええ、これこそが空想界の特質です。お客様はただ今情報過多ですから、その分想像して余分なものを出力してしまうのがおすすめですよ」


 夏美が雀に驚く中、アデーレがそんな事を言う。

 確かに、ここのところ何も考える暇がなかったように夏美は思う。夏美はもう一度雀を想像して、もう一羽の雀を呼び出した。二羽の雀はさえずりながらデッキの手すりの上にとまる。


 その様子を見て、こうして何か考えたり思ったりすると、案外楽しいことにも気付いた。

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