【第1部完結】空想旅行社ラピエス【第2部開始】
ことのはじめ
第1部 1.現実世界からのお客様
1-1 現実より情報海へ
やめろ、とか、許すな、とか、ありえない、とか。
いつもいつも、画面の向こうのみんなは怒っている。小林夏美はスマホの画面を消すと寝転がっていたベッドに仰向けになる。最初は推しの情報やファンの交流を楽しんでいたのに、いつしかSNSは苦痛になっていた。何か外れたことをしたら義憤に駆られてめちゃくちゃになるまでバッシングし続けるし、こちらが意図していなくてもこれって非常識ですよね、ありえませんよね? と非難させるような投稿ばかりが目についてしまう。
最近はSNSのフォロワーにリプライを送るのも億劫になって、ずっと夏美は投稿を流し見ばかりする毎日だ。ただでさえ仕事がきついのに、疲れた精神に怒れ怒れと煽られると余計に疲れてしまう。
今日だって、せっかくの休日だというのにだらだらとSNSの情報を流し見て夕方に差し掛かっている。
「もうやめようかな……でも推しの最新情報はSNSでしか流れないし」
離れたいけれど、離れられない。そんなジレンマが夏美にはある。
そんなことよりもっと別のことをした方が楽しいかもしれないが、どういうことをすればいいのかだって夏美にはわからない。
「ちょっと寝よう……」
逃避するように目を閉じ、夏美は昼寝には遅すぎる時間に仮眠を取ることにした。
次に目が覚めたとき、夏美は見知らぬ部屋のベッドに横たわっていた。
起き上がってみると明らかに自分のベッドとは違う高級な羽毛布団に寝ていたことに気づく。部屋は決して広くはないが調度品は丁寧に整えられ、そのどれもが見たことのない装飾を施されている。ベッドの他には小さなチェストに一人がけのテーブルと椅子。ドレッサーまであるところをみると、まるで古い西洋風ホテルのような内装だ。
「え? ここどこ? 夢?」
だとしても随分はっきりした夢だ。ちょっと前にスピリチュアル系の投稿で見かけた明晰夢が頭をよぎる。それが本当かどうかはわからないが、少なくともさっきまで眠っていた自室ではないことは事実だ。
夏美がきょろきょろと部屋を見回していると、突然無遠慮にドアが開けられた。
鼻歌を歌いながらバケツや箒といった掃除用具を抱えた少女が入ってくる。
「ふふんふんふふん〜。お掃除の〜時間〜」
小洒落たメイド服に、エルフのように尖った耳。赤毛をおさげにした少女は夏美を見るなり満月のような瞳をさらにまんまるにして飛び上がった。
「うひゃあっ! み、密航者!」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
突然大声でそんなことを言われたのだから、夏美も驚いて声を上げてしまう。だがそれより早いスピードで赤毛の少女は部屋を飛び出してしまう。
その少女の声で「支配人〜!」とホテルの支配人らしき人に助けを求める声が聞こえ、夏美はどうしていいかわからなくなった。
「ど、どうしよう……でも密航者っていうからにはきっと処罰されるよね」
そうなると逃げ出した方がいいような気もする。もしかしたら、自分は異世界召喚というものを体験しているのかも。小説や漫画でよくある展開をまさか自分が体験することになるとは。夏美はベッドから飛び出るとここから逃げ出すべく出口を探す。
といっても部屋を出るには少女の逃げた扉かカーテンのしまった小さな窓のどちらかしかない。
逃げ出した途端鉢合わせるのも危ない気がするし、ここは窓から逃げたほうがいいかもしれない。そう考えた夏美は急いで窓のカーテンを開けた。だが。
窓の外は一面が水。まるで海の中にいるかのような水中の景色が広がる。明るい浅瀬にいるような光さす海は、ところどころ珊瑚が生え、色鮮やかな魚が泳ぎ回っている。
「うそ……これじゃ逃げられないって」
「おや、まあ。密航者と聞いてやってきてみれば、これはこれは。当日ご利用のお客様でしたか」
夏美が振り返ると、スーツを着た女性が立っていた。スラリとした長身に空色の髪をショートカットにした、一目で美人とわかる風貌だ。その後ろには先ほどの赤毛の少女が恐る恐る夏美を窺っている。
空色の女性はアメジストのように透き通った瞳で夏美を見やり、それから丁寧に頭を下げて礼をした。
「これは、従業員がとんだ失礼を。ご無礼、お詫び申し上げます」
「えっ、あの、どういうことですか?」
夏美が聞くと、女性はまた姿勢を正して夏美に向く。
「なにかご不明な点でも? なんでもお尋ねください」
「ご不明というか、あなたたち誰とかここはどことか、いろいろ……」
状況が飲み込めない夏美はとにかくなにか口にしようとする。すると女性は赤毛の少女と並んでまた礼をした。
「わたくし、この船の支配人を勤めておりますアデーレと申します」
「あたしはウィンっていいます。ルームサービスをしてます」
そして、アデーレは続ける。
「ようこそ、お客様。この度はラピエス旅行社をご利用いただき、誠にありがとうございます。ただいま乗船いただいております船は飛行船オルテンシア、操舵士はレア・オリンでございます」
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