第23話 過去からの残響
海上はデスクに力なく頬杖をつきながら、溜息をついていた。
もう何度目の溜息か分からない。
隣の窓際に座る比留間は、海上のそんな様子を見ながら、小声で話しかける。
「海上さん……どうかされましたか?」
ああ……と言って、海上は虚ろな目を比留間に向けた。
溜息の理由は、百合からもらった電話の内容だ。
“蟷螂事件の犯人に、宗教的なバックボーンがある可能性。公安で認知している極度に過激な団体を洗うこと。その中で勾玉、もしくはそれに類似したアイテムを信奉、またはシンボルとしている団体の構成員に、犯人に近い人物がいる可能性が高いと思われる”
どうして百合が宗教団体という発想に飛んでいったのかは分からないが、海上の持つ勾玉に対する乏しい知識でも、宗教がらみだと言われれば、まぁ何となくそんな気がする。
ただ、溜息の種はそこではないのだ。
過激な宗教団体の調査・監視は確かに公安で行われているはずだ。
だが、公安はその業務の特殊性から、極端な秘密主義組織であり、「ちょっと教えてくれる?」と、気軽に声をかけられるような相手ではない。
うっかり聞こうものなら、逆に根掘り葉掘り問い詰められて丸裸にされるのがオチだ。
聞きたくても怖くて聞けない。そのジレンマが海上に溜息をつかせていた。
はぁ、と海上はまた溜息をつく。
比留間は微動だにせず、じっと海上を見つめて、口を開くのを待っているようだった。
その視線に根負けしたように、海上は頭をボリボリと掻くと、声を潜めて囁いた。
「そのおやっさん……これは……その、思いつき……でしかないんですがね」
そう言うと、百合から聞いた宗教団体を調べる必要性について、それとなく説明をした。
案の定、普段仏顔の比留間でさえも、苦虫を噛み潰した様な表情に変化した。
「公安……ですか。難しいでしょうなぁ、ちょっとやそっとで教えてくれるような連中じゃありませんよ。仕事柄、秘密主義にならざるを得ませんからねぇ……」
目の付け所は良いと思うんですが……と、顎をさすりながら呟く。
「おやっさん、公安部に知り合い居ませんか?」
「そうですねぇ、私もこの業界は長いんで、いないことは無いですが無理でしょうなぁ」
「そこを何とか」
「いや無理ですな」
きっぱりと断られてしまった。
そうですか……と言って、再び頭を抱える海上を見て、少し
「こればかりは私の方でお役に立てるものでは無いようなんですが……あの方はどうでしょうかねぇ?」
「あの方?」
「時崎さんですよ、
「え、時崎……?」
つい最近、ArtElroyから得たIDデータを解析して、示唆をくれた鑑識課の変人女子。なぜか比留間は、彼女の事を呼ぶときに女王という
海上が一度、なぜ女王なのか尋ねたところ、喋り方のイメージだと比留間は説明した。確かにあの時代がかったような、人を食ったような喋り方は女王のような気もする。
「なんで時崎なんですか? 鑑識でしょう」
「今は鑑識課にいらっしゃいますがね、この署に異動されてくる前は本店の、それも科捜研にいらっしゃったと……」
「科捜研? それは根も葉もない噂なんじゃ……」
本店とは警視庁、科捜研とは、科学捜査研究所と呼ばれる科学捜査のエリート組織だ。
とてもそんな所に居たエリートとは思えない人物だが……
「……いやいや彼女は優秀ですよ。むしろコネとしては、彼女の方が色々持っている気がするんですな」
「でもあの時崎ですよ……公安よりハードル高い気がするんですけどね……」
「それは……まぁ、そうかも知れませんね」
海上はまたひとつ溜息をつくと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。あの“女王”が根城とする暗い鑑識室へ向かうために。
鑑識の部屋は相変わらず暗い。
執務デスクが築いた島の一角に、モニターの中のトランプと格闘する時崎の姿があった。ちらっと入ってきた者の方を向いて、興味なさそうにトランプへと視線を戻す。
「あ〜……時崎、さん。そのぉ、ちょっと聞きたいことがあるんですが……」
公安絡みの事をどう切り出してよいか分からず、変に
「また君か……今度は何かね?」
海上の緊張感を意に介さず、無気力に応じる。
「え~と……あ、大富豪ですか?」
……サボってる人間に直球を投げてどうする……海上の胃が重くなる。
「ああ、大富豪だ。地方によっては大貧民とも言うな。いいぞ、大富豪は。麻雀よりも手軽に相手との駆け引きが楽しめる」
「はぁ……」
海上の心配など、時崎は気にしていないようだった。
「ところで、何か用があるのだろう? また例の蟷螂事件絡みかね?」
「あぁ……察しのよろしいことで……」
海上は腹を決めると、今までの調査内容と、それに伴い公安にマークされている宗教団体の内、勾玉に関連しているものを洗い出す必要があることを伝えた。
海上が話している間、頷きもせず無表情に聞いていた時崎は、一通りの話が終わると、フム……と、生返事を返す。
「……やっぱり、ダメかな?」
反応の薄い時崎に半ば諦めながら確認すると、問われた女史は、
「いや……中々に難しい問題ではあるね。相手が公安ではまともに取り合ってくれはしないだろうな……しかし」
と、言い置くと、袖机の
「公安部相手では私も手は出せないが……公安調査庁なら少なからず知り合いがいてね」
「公安……調査庁?」
「そうだ。彼らは警察への調査協力・情報提供をしなくてはいけないからね……まぁ正式な手続きを踏むのが本当なのだが、まぁ君の話は一見それほど大層な話ではないからね」
公安調査庁は、警察組織とは別の法務省の外局調査情報組織であり、調査対象は大ざっぱに言えば国内外の過激派と呼ばれる各種組織を担当している。そういう意味では警察庁直下の公安部と似ている部分も多い。明確な違いとしては、公安調査庁は逮捕権や捜索令状の執行権限などを持たないという事だ。
とは言え、完全な外部組織である公安調査庁に、なぜ知り合いがいるのか、訝しく思っていると、その心中を察したのか、にやりと笑って、
「人に歴史ありだよ……海上君。あまり女性の過去を詮索しない方が良いぞ……」
といった。
「ああ、気にしないでおく……」
ブルっと肩を震わせると、わざとらしく腕をさする仕草をした。
「では、その勾玉狂信集団の有無と所在を確かめればよいのだね?」
「ああ、頼む」
時崎は内線電話に手を伸ばすと、メモを見ながら、恐らく公安調査庁の知り合いだろう所へと電話を掛けた。
「……ああ、私だ。時崎だよ、ごきげんよう……実は君に頼みがあってね……」
いつもと変わらぬ一本調子な声で、時候の挨拶から入ると、単刀直入に切り出した。
勾玉を信奉する団体で監視対象となっている所は無いか、あれば教えて欲しい。
ど真ん中にストレートの剛速球をバスンバスンと放り込む。
流石に相手も渋っているのか、時崎が時折、「それで?」「だから?」と応じている。
しばらくそんな押し問答が続いたが、相手が根負けしたのだろう、時崎の発する言葉の中に「助かる」「すまないね」などの謝意が混ざり始めた。
電話をしながら、空いた方の手でペンをクルクルと回していた時崎は、海上の顔に目を向けると、回していたペンを止めて、反故紙の隅になにやら書き付けた。
“今すぐ欲しいのか?”
海上はこくりと頷くと、心配そうな顔で時崎を見つめる。
誰だか分からないが、相手が他所の役所であることは確かだ。あまり無理を言って怒らせてしまったりしないだろうか、役所同士のいがみ合いに発展しても困る。海上の顔が、如実にそう語っていた。
しかし、視線を向けられた当人は、海上のそんな心配を余所に、今すぐ教えろ、今すぐだ、と煽り続ける。
一方的に続く要求の声に、海上の胃が悲鳴を上げ始めた頃、
「聞けたぞ、海上君……ん? どうした? 顔色が悪いようだが」
いやなんでもない、そう言って結果を促す。
「フム。結論だがね……」
海上は慌ててポケットから手帳を出してメモ体制に入る。
「無いそうだよ。そんな団体」
「は?」
向こうの言うことを信じるなら、こうだ。二十世紀末に起こった某宗教団体のテロ事件以降、世間の目も厳しくなった。そのため、安易に武装蜂起を口にするような過激な宗教団体は、現代では皆無に等しいとのことだった。
もしもそのような危険思想を持った団体が居たとするならば、公安調査庁だけでなく、警察やマスコミからも徹底マークされているはずだが、現状そのような団体は心当たりが無い、との事だった。
「彼らが知ってて何か隠しているとか……」
無駄とは思いつつも、食い下がってみる。
が、時崎はペンを器用にクルクルと回しながら肩を竦め、
「公安調査庁が隠したところでメリットがあるとは思えないが? もしも、先方に心当たりがあるのであればだよ? むしろこちらの情報を引き出そうと躍起になると思うのだよ」
結局、公安から得る事は何もなく、海上は虚しく岩窟を後にした。
海上が二係の部屋に戻ると、いつになく部屋がバタバタと慌ただしい。
また何か大きなヤマでもあったのか、係長が張り切って指示を出している。指示を受けた捜査員は、まさしく鉄砲玉のように部屋を飛び出していった。
ふと見ると、比留間が老体にムチ打って、海上の方へ駆けてくる。
普段のっそりとして走ることなど殆どない比留間が、上気した顔で急いでくる。
嫌な予感しかしない。
そう思った海上の頭に、知佳の顔がフラッシュバックのように浮かぶ。
まさか彼女が見つかってしまったのか。
嫌な汗が背中を走る。
知佳が保護されれば、確実に尋問が行われ、善意とは言え加担していた海上の名前も
頭が真っ白になって気が遠くなりかけるのを、必死に踏みとどまる。
目の前に比留間の顔がある。妙に勘のいいこの爺さんに気取られてはならない。
海上は、精一杯の白々しさで笑いかけた。
「やぁ、おやっさん……公安の線は……やっぱりダメでしたよ……」
すると、比留間は目の前で手を振り、
「いや、海上さん。その件は後回しですよ。例の小金井がウタいました」
一瞬誰だか分からなかったのが顔に出ていたのだろう、比留間は忙しなく、
「小金井 正敏ですよ! GemCrystal強盗殺人の犯人の一人の!」
「あ、ああ、あの小金井。へぇ、何を白状したんです? 十年前の共犯者とか?」
それを聞くと、比留間は手をパンと打合せ、
「さすが! 流石ですなぁ海上さん、その通りです!」
「いや……他に白状することもないでしょう……」
「いえいえ、ご謙遜なさらずに! それはそうとして問題はですね、その共犯者の名前です。これを見てください」
そう言って一枚の紙を海上に手渡した。そこには、殺風景なベタ打ちで名前が記載されていた。
小金井 正敏 ……風俗店経営 前科一犯
増田
「この増田と
「そうです」
比留間が何を言いたいのか図りかねた。海上たちが追っているのは蟷螂事件の犯人であって、GemCrystal強盗殺人事件の犯人じゃない。
また、顔に出たのだろう、比留間は頷きながら口を開いた。
「実は、この二人の他にも共犯者がいたらしくてですな……名前は小金井も知らなかったそうですが、それがどうも当時まだ学生だったそうです」
「学生……」
「小金井が言うには、池袋の増田が経営していたバーに、二人の学生が来て、思いつめた顔で話していたそうなんですな。で、ふと気になって声をかけてみると、まぁGemCrystalが持っている宝石を探していると言っていたそうです」
「学生が宝石を?」
「興味を持った小金井は、まぁ酔っても居たんでしょうが、根掘り葉掘り聞いたんですな。最初は警戒していた二人も、学生じゃどうしようもない裏の世界に、顔の利きそうな小金井を頼ろうという気になってきたみたいで、色々話したそうなんですな」
「裏の世界……」
「まぁ、あの男の口八丁でしょう。その時すでに宝石強盗の計画は練られていた段階の様なので、使えると思ったようですな……なので」
比留間は頬をポリポリと掻くと、
「学生二人の探し物や参加への動機はハッキリ覚えてないそうで、まぁ覚える気が無かったんでしょうな」
「はぁ」
比留間の長広舌にも飽きてきた海上は、思わず生返事を返してしまう。が、比留間はそんなことに頓着せず、ですが……と続けた。
「いくつかのポイントは覚えていたそうです。何だと思いますかな?」
おもむろにクイズを振ってきた。海上はイラッとしながらも、さぁ、と答えた。
比留間はニッカリと笑うと、
「一つは勾玉です」
「はぁ、勾玉……え? まがたま!?」
あっさりというものだから、思わず素通りしそうだったが、ここ数日追い求め続けたモノの名が急に出てきた。
「小金井は最初、勾玉と聞いても分からなかったそうですが、大学生たちの説明を聞いて、オタマジャクシみたいな石の事だと合点がいったそうです」
それとですね……比留間は続ける。
「もう一つはですな、どうも二人の学生の内、実際に店舗襲撃に参加したのは一人で、
「北山大の大学院生……」
北山大と言えば都内の中堅マンモス大学だ。一口に大学院と言っても、相当な数の院生が在籍しているに違いない。
しかし、勾玉という蟷螂事件と繋がりがありそうなことから考えると、多少苦労をしても洗い直すのは致し方ない。
そう海上が考えていたのを、比留間は見透かしたように、
「取り調べをした捜査員も、北山大の大学院生と聞いただけでは絞りきれないと思ったようでしてな、他に知っている情報が無いかと聞いたそうなんですな」
「ええ」
「すると小金井は、自分は大学を出ていないので、詳しくは分からないが、増田から機械とかコンピューターに強いとか勉強している、と聞いたそうですな」
「機械……コンピューター……いずれ理系ですね、その増田って言う共犯者に詳しく聞いた方がよさそうだな」
しかし、比留間は首を振る。
「それがですね、残念ながら増田と
「死んだ? まさか口封じ?」
「いえ、捜査員が照会したところ、増田は五年前に池袋の自分のバーで客……おそらくヤクザでしょうが、トラブルが起こり行方不明、恐らく生きちゃいないでしょうな。大河は別件で刑務所に入っていましたが、それまで酒浸りだったようで、肝硬変で間もなく死去したようです」
「なるほど……じゃあ北山大の線で当たるしかないって事っすね……!」
言うや否や、海上は自席のパソコンをスリープ状態から復帰させ、ブラウザで北山大学を検索する。画面はすぐに北山大学のホームページを映し、トップページには各学部紹介のリンクも貼られていた。
「ここにあるのは理系だと、理学部、工学部、情報総合学部の三つか……」
「その情報総合学部は、ここ一、二年で新設されたように記憶してますな」
海上は驚いて比留間を見る。
「良くそんな事、知ってますね、おやっさん」
「ああ……ええ、一時期、私の乗る電車の車両の広告がありましてな。毎日見ていたから何となく覚えてましたよ」
なるほど、と言って海上は画面に目を戻した。それならばこれで理学部と工学部に絞られる。
海上はパソコンを閉じて勢いよく立ち上がると、
「行きましょう、北山大学へ」
と、先ほどまでの意気消沈ぶりとはうって変わった様子で車を目指した。
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