第21話 十年後に響く銃声

 夜。池袋西口。

 みゆきと百合は、再びシュバルツ・カッツェにいた。

 前日の検討会を経て、早くも相談したい事があると、海上から百合に連絡があったからだ。 その事を百合から聞かされたみゆきも、願い出て同行してきたのだった。

 理神庵にまた集まることも考えたが、知佳の存在をもう少し秘匿しておきたいという考えがあり、もしかするとみゆきも警察にマークされている可能性があるため、今回は理神庵を避けて、裏道のコーヒー店に集まることになった。

 店主の恵理子は、本日貸切の札を下げると、どこかソワソワしたような素振りでコーヒーの準備をしている。

 その様子をみゆきは何とはなしに目で追いながら、百合に話しかけた。

「海上さん……蟷螂事件の事、何か進展があったんでしょうか……?」

「詳しくは、分かりませんが……電話口の声はかなり興奮していましたよ……この間の会議の話がビンゴだったと……」

 百合は紙ナプキンにボールペンで落書きをしつつ答える。

「ってことは、やっぱり被害者たち全員に勾玉ストラップが関係してたって事ですね!」

 百合は小首を傾げ、分かりませんけど……と呟いた。

「ばってん、あれねぇ、そげな安いアクセサリなんかのために、人ば何人も殺したりするもんなんかねぇ。そげん欲しいなら奪うだけでよかろうに」

 コーヒーの布フィルターをドリッパーにセットしながら恵理子が、不思議そうに呟く。

 理神庵での会合に参加していなかった恵理子にも、既にその時の内容は伝えていた。

「……実はそこが不思議…というか分からないところなのでして……恐らく、勾玉をキーに犯人の周辺までは辿り着くことはできると思うのです……でも、そこから犯人を特定するための、動機の説明がつけられないかと……」

「動機ですか?」

「はい……その……昨日も言った通り、単純にストラップ欲しさに殺人までは考えにくいです。つまり普通とは違う何らかの意味を持っていないとおかしい……」

 そう言った不明な背後関係も含めて、海上の情報に期待していると、百合は言った。

 恵理子がドリップを開始し、馥郁ふくいくとした香りが鼻をくすぐり始めたその時。突如カウンターに鎮座していた電話が鳴った。

「なんね、こんな時に……はい! もしもし~! シュバルツ・カッツェです……ああ、海上かいな……営業用の声出して損したばい。で、なんしようと? まだ来らんと?」

 電話の主はどうやら海上らしい、うんうんと頷きながら聞いていた恵理子は、おもむろに振り返ると、リモコンでカウンターの小さなテレビをつけた。

 ちょうど夕方のニュースの時間だ。

 何かの大きな事件があったのだろうか、中継映像から目も眩むような激しいフラッシュの嵐が巻き起こっている。

「音が……小さいです……」

 百合は本体を直接いじって音量を上げた。

『――とのことです。あ! 今! 容疑者を乗せた車が出てきました! 大き目のフードを被り、顔を隠すように前屈みで座っております!』

 どこの警察署か分からないが、報道陣でごった返す門を、クラクションを鳴らしながら警察車両と護送車が移動する場面の様だ。

「え、なにこれ? 何の騒ぎですか!?」

 みゆきが目を丸くして叫ぶ。

 テレビの中で警察官と報道陣が渦潮のように揉み合う様は、ただ事ではない雰囲気を画面から伝えている。

 押し寄せる喧噪けんそうの音圧に、百合も画面を凝視していた。

 そんな中、まだ海上と電話していた恵理子は、ふんふんと頷いて聞いていたが、んじゃまたね。と言って電話を切った。

 みゆきは待ちかねたように身を乗り出して、

「恵理子さん! これは一体!」と叫んだ。

 恵理子はちらっと画面を覗き込むようにすると、

「あ、これな……みゆきちゃんは知らんかな……十年前に起こったGemCrystalの強盗殺人事件の犯人が捕まったってことらしいんよ」

 確かにみゆきの記憶にはっきり残っている事件ではなかった。何しろ十年前と言えば、まだ小学校低学年だ。事件当時に報道を見た記憶もない。ただ未解決の残忍な事件として、再検証する番組は何度か見た記憶があった。

「ジェム……クリスタル……」

 百合が物思わしげに呟く。

 みゆきも同じ思いだった。知佳を救う鍵がGemCrystalにあると、昨晩その結論に至ったばかりの所にこの騒ぎだ。

 知佳を救う計画に支障が無いといいのだが……みゆきは不安を口にする。

 恵理子は肩をすくめ、

「まぁね、よう分からんけど、とりあえず海上は遅れて来るって言いよったよ」

 恵理子が海上に聞いた話では、移送の警護等で多少駆り出されているが、別にこの件は捜査本部が元々あったので、特に海上には影響がないらしい。

「こいは昔の事件の犯人っちゃけど、蟷螂事件は現在進行形やけんね……」

 三人はぼんやりと画面を見ながら、海上の到着を待つことにした。


 連絡があってから一時間ほどして、海上がシュバルツ・カッツェに現れた。

「悪い悪い……突発案件で遅れちゃったよ」

「十年前にあったGemCrystalの強盗殺人犯が捕まったんですね」

「ああそうなんだ……って、あれ? みゆきちゃんは事件の事知ってるのか?」

「うっすらと……詳しい所は、今さっき待っている間に、恵理子さんに教えて頂きました」

 海上の登場を待っている間、恵理子に教えてもらった事件の内容はこうだ。

 遡ること十年前、閉店後のGemCrystal新宿本店に強盗が押し入り、閉店処理をしていた店員4名と、警備員2名を刃物と銃器のようなもので殺害し、各種宝飾品を当時の価格で十億円相当を奪ったという事件だ。

 新宿という大繁華街の午後9時過ぎという、人目の多い時間帯にも拘らず、誰も事件の発生に気づかず、速やかに逃げおおせた事で、日本中に衝撃を与えた事件だった。

「しかし……いくら賑やかな新宿とは言え、そう簡単に誰にも気づかれず逃げられるものなんでしょうか?」

「当時はまだ防犯システムも脆弱でね、テープ式の録画方式だったもんだから、抜き取られてたそうだ。分かっているのは、事件当夜に清掃業者のトラックが店の前に路駐していたらしいことだけだった……」

「その清掃業者はフェイクだったと?」

「ああ。GemCrystalが清掃業者を頼んだ事実はなく、周辺のビルや店舗のいずれに聞いても清掃を依頼しているところは無かった」

「なるほど……みんな殺されてしまったんでしたっけ?」

「ひどいもんだったらしい。全員容赦なく銃で撃たれたり、刃物で切り刻まれてたってことだから、盗みを見つかってやむなくっていうんじゃなくて、最初から皆殺しにするつもりで押し入ったみたいだ」

「ひどい……」

 音を小さくしたテレビでは、トップニュースとして繰り返し護送シーンが放送されていた。それを頬杖付きながら見ていた恵理子は、しかし、と言って疑問を口にした。

「そのウマウマと逃げおおせた強盗団が、なんでまたこのタイミングで捕まったと?」

 海上は一瞬顔をしかめてみゆきの方に目をやったが、だるそうに話し始めた。

「今、護送されているこいつは、小金井 正敏。年齢は60歳だったかな……ラブホテルや風俗店を経営しているそうだ」

 どうも風俗系の話になるので、海上はみゆきを気にしてチラッと見たようだ。

「……十年前に宝石店を襲って得た資金で店を始めたらしいんだが……まぁ、経営のセンスとか全くなかったんだろうねぇ、どこもかしこも火の車で、結局、資金がショートしたみたいだ」

「なんか、そんなヤツに殺されるなんて、やるせないですね……」

 みゆきが憤然として言う。

「全くだね。で、資金繰りに困った小金井は、あちこちから借金をしていたそうだが、いよいよ筋の悪い闇金にまで手を出しちまったそうだ……」

「ホント、つくづくバカちんやね」

「筋が悪いって言ったのは、そこはかなり強引な取り立てで有名な闇金でさ、大勢のチンピラが、金払えっつって店の中で暴れて回ったりするらしいのさ」

「……怖い」

「で、今日だ。例によって三人組のチンピラが小金井の所に押し掛けたんだが、小金井もかなり我慢の限界にあったんだな。隠し持っていた拳銃で、押し掛けてきた三人組を射殺。銃声で大騒ぎになった店内から逃亡、高飛びしようとした空港で非常線に引っ掛かり逮捕……ってわけだ」

「無事捕まって良かったですけど……空港で暴れたりしなかったんですか?」

「小金井も急に高飛びしようとしたらしいからな、かなり疲弊した様子だったらしい。銃も空港の手荷物検査で引っ掛かってしまうんで、途中で捨てていたようだ。ヤツの証言通りの所から拳銃も見つかったとさ」

 ここで海上は一息つき、恵理子の入れたコーヒーに手を付けた。

 すかさずみゆきは疑問を口にする。

「でも、その殺人事件で捕まった人が、何で十年前の事件の関係者と分かったんですか?」

 海上はみゆきを指さすと、良い質問だ。といった。

「発覚の決め手は今回使用された拳銃だ。証拠品として確保した後、過去の犯罪に使用された形跡がないかを綿密に調査した結果、なんと未解決事件として扱われていたGemCrystal強盗殺人事件で見つかった弾丸の旋条痕と、今回の拳銃のライフリングがピッタリ一致したってわけさ」

 恵理子は腕を組んで溜息をつきつつ、棚ぼたね、と呟くと、

「しかし、なんちゅう世の中やろか、こげん大事件ばっかり……まさかやろうけど、蟷螂事件、これで風化していったりせんやろかね……」

 と言って海上の方をちらっと見る。

 視線を受けて、肩を竦めた海上は、

「風化なんてしやしないよ。蟷螂事件も残忍な通り魔事件だぜ……」

「そう言えば……蟷螂事件の方に進展があったのでは……?」

 それまで紙ナプキンに落書きをしていた百合が、おずおずと口を挟んできた。

「そうそう。それなんだけど……是非、みんなの意見を聞きたいんだ」

 海上はそう言いながら座り直し、今日の調査で分かった事を話し始めた。

 特に『ひよランド』のパワーストーンコミュニティに被害者全員が登録しており、さらに限定抽選に当選していたという共通点が見つかったという下りでは、メンバーからどよめきが起こった。

「やっぱりGemCrystalが共通点って言う読みは当たってたんですね!」

 みゆきは思わず大声を出す。

百合も顎にそっと手をやり、

「そうですね……間違いないと思います。その『ひよランド』が事件に大きく関わっているのでしょう……」

 と呟く。海上も大きく頷き、

「そう。で、そのコミュニティに所属していたユーザーのリストを出させて、今、一気に洗い出そうと動いてるんだ」

「結構、時間かかるんですか?」

「それが、勾玉ブームを抜きにしても、パワーストーンってのが凄い人気でさ……登録者が結構な数いるんだなぁ、これが」

 それを聞いた百合が、ふと思いついたように海上に向き直る。

「その……その洗い出し作業ですけども、何を洗い出しているんでしょう?」

 海上は、百合に言われた意味を測りかねたような顔をし、

「それは……そのコミュニティの登録者の年齢、性別、事件当時のアリバイ……とか」

 と答えたが、百合はやや不満気に小首を傾げる。

「そもそも……なんですけど……」

 ゆっくりと考えるように話し始めた。百合の目が鋭く光ったのを見て、みゆきと海上は思わず居住まいを正す。

「その……コミュニティのユーザーの中に蟷螂事件の犯人がいたとしてですね……どうやって当選者割り出したのか……割り出すことが可能なのか……不思議じゃないですか?」

「ううん……例えばハッキングとかじゃねぇ? 」

「……簡単にハッキングと言いますけど、電子マネーや個人情報などを扱っているサイトのセキュリティは、そう簡単に破れるものじゃないかと……」

「まぁ、でも小さな会社のゲームだしな。案外ザルだった可能性もあるぜ」

 海上の言葉に、百合は首を振りつつ、

「そんな都合の良い話はないでしょう……その会社……ArtElroy、でしたっけ? 開発元はそこですが、確か……運営主体は有名ゲームメーカーで、サーバーもそこの取引先を利用していたと聞いていた訳でして……」

「ああ~……確かに。ArtElroyの自前のサーバーじゃないんだったな」

「日本で一、二を争うほどの有名メーカーが、対策の薄いザルみたいなシステムを使う事は考えられない……っていうことですね?」

 みゆきの言葉に百合は軽く頷くと、

「はい……映画に出てくるような、超人的スーパーハッカーが居たなら別ですけども、流石にちょっと妄想に過ぎるわけでして……」

 海上は腕を組み、カウンターを睨んでいたが、何かに気づいたようにハッと顔を上げ、

「まさか……! 百合……」

 と絞り出すように呟き、百合に顔を向けた。

 百合は海上の視線を受けると、ゆっくりと瞬きしながらはっきりと頷き、

「はい……色んな可能性を排除していくと、ArtElroy内部の犯行としか思えない訳です」

 宣告するように告げた。

 海上は爛々と目を光らせ、

「あの会社を全て洗うか……」と呟いた。

 コーヒーを一口啜って、天井を仰いだ百合は、

「私は……もう一度、パワーストーンについて考え直してみようと思います……」

 と溜息を吐き出すように言った。

「パワーストーン? なんでよ? 被害者のつながりは、もう見えとるやろ?」

 恵理子が不思議そうな顔をして訊ねると、百合は目を伏せて

「その……パワーストーンが連環の鎖だったのは分かりました……でも、なぜパワーストーンなのか、パワーストーンが選ばれたのか……パワーストーン自体に何か意味があるのか……その……正直どういったものなのかも含めてですね、私もよく分かっていないので……どんな歴史があるのかなども、調べてみたいわけでして……」

「それ、何の役に立つとね……」

「それは……分かりませんけども……」

 俯いた百合に、恵理子はため息交じりに「まぁ研究者さんやけんね、しょんなか」と言ってまとめた。

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