第19話 動き出す歯車

「分かりました……蟷螂事件……解決に向けて考えてみましょう」

 百合の言葉を聞いて、みゆきは体の隅々に今まで感じたことがない程の力がみなぎる気がした。

 雲をつかむような知佳の居場所を探すのとは違い、今度は目的がハッキリしているように思えたからだ。

 百合は居住まいを正すと、では、まず検討してみましょうか……と切り出したところを、「待て待て!」とさえぎるように海上が立ち上がった。

「あのね君たち!……これは遊びじゃないんだぞ!? 相手は全国で被害者を出し続けている残忍な殺人者だ……しかも警察でもようとして犯人像を掴めていないんだぞ! それを簡単に『解決する』って……、ちょっと甘すぎだって!」

 憤然とした海上の発言に、奈々も同調し、

「私も……まぁ「警察がさっさと解決しなよ」と思わないでもないけど、概ね海上さんに賛成ね……いくら百合さんでも、無関係な素人がしゃしゃり出ても難しいんじゃないかしらね……」

 と、冷静に語った。

 百合は否定するでもなく、静かに頷くと、

「はい……その、全くの無関係であれば、解決など大それたことは言わないわけですが……七条さんは、最初の被害者である常澤つねざわ 美弥子みやこさんと直前まで接点があった……襲われた常澤さんから何らかの糸口……キーになるものがあるのではないかと考えています……」

「検討の余地はあると言う事ね……?」

 奈々の問いに百合は頷くと、海上の方をに目を向けた。

 再び視線を集めた刑事は、頭をボリボリとむしると、

「はいはい……分かりましたよ……まぁ、百合にはいつもアイデアもらったりしてるしな……ただ……」

 海上は顔を引き締め、

「今回の相手は連続殺人犯だ。それも、目的も動機も分からない、すこぶる付の凶悪犯だ……仮に目星がついたとしても、絶対に君らが動いたり、接触を図ったりしたらダメだからね」

 と戒めた。みゆきを始めとして、皆一様に緊張した面持ちで頷く。

 ……では少し考えてみましょうか……百合の声を皮切りに、海上がテーブル近くに位置を動かし、おさらいも含めて、現在わかっている事件のあらましを話し始めた。

「まず蟷螂事件の第一と第二の被害者は、常澤 美弥子殺害事件のひと月前だね。ニュースにもなっているから、みんなも知っているんじゃないかな。

 第一の事件の被害者は品川 みお、25歳、食品メーカーの社員で、23時過ぎに住居のある北区の路上で鋭利な刃物で襲われ殺害された。遺体にアルコール反応があったので、犯人と飲んでいた可能性があるが手掛かりなし。

 第二の被害者は正木 奈津子、33歳、 江戸川区で、早朝5時に車で帰宅途中に、やはり鋭利な刃物で襲われて殺害されている。時間と車中での犯行を考えると、これも犯人にどこかへ呼び出されていた可能性もあるが、こちらも手掛かりがない」

 海上はここで一度皆の顔を見回したあと、再び続ける。

「そして、第三の事件の被害者は、常澤 美弥子。帝邦ていほう大 文学部 国文科の一年生。

 知佳ちゃんが消えた日の翌日、18日に、バイト先の”喫茶店シュバルツ・カッツェ”からの帰宅途中に、前の二件と同じように鋭利な刃物で襲われ殺害された。目撃証言から鎌のようなものを持っていたことが分かっている。

 いずれの被害者には暴行の跡なし、金品、貴重品等も盗られた形跡がないが、スマホが破壊されていた事から、最初から殺害が目的だったと考えられている」

 海上は再度言葉を切ったが、誰も声を上げなかったので続けた。

「……第四の事件。これは大阪府大阪市で4月20日に発生した。被害者は方丈ほうじょう乃愛のあ。15歳。地元の高校に通う女子高生。成績は中の上で、特に非行に走っていたという証言もない……だが遺体発見現場は市内のラブホテルだったことから、援助交際をしていたのではないかと思われるな」

「15歳で援助交際……」

 みゆきが思わず呟く。

「みゆきちゃん……まぁ俺も末世だと思うよ。で、こちらも発見時にスマホが破壊されていたことを確認……いわゆる通信キャリアのメールは使ってないようで。……どうやらSNSツールを駆使していたみたいだ」

「SNSツール?」

「うん。みゆきちゃんがこの間言ってた『ひよらんど』とかと同じ類のやつを十種類近く使ってたみたいだ」

「じゅ、十種類のソフトですか……良くお金が……」

「ソフト自体は無料だしな。出会い系サイトは女性は無料ってのも多いそうだ」

「そのソフトには履歴が残っていなかったの?」

 奈々が静かに尋ねる。

「ないんだ。この被害者は、どうも都度都度データを手で消していたらしい」

 おずおずと、百合が手を上げた。

「例えばなんですが……そのホテルの監視カメラとかに犯人と被害者が映ってたりしなかったんでしょうか……?」

 海上は肩をすくめ、

「……監視カメラはあった。だが……ダミーだった」

「ダミー?」

「ああ。動いてなかったらしい。たまたま壊れたとか何とか言ってたらしいが……これは推測だが、被害者がそう言う所だと知っていて、補導けに選んでいた可能性が高い」

 それぞれが思いを巡らせているように黙り込んだので、海上は続けた。

「それから、その翌日に第五、第六の事件が仙台と愛知で起きてるんだけど……愛知の方はどうも大阪と同日に起こっているみたいでねぇ。発見が遅かったんで第五に数えられてる」

「同日? もしかして犯人は複数なんですか?」

 知佳が驚いたように口を挟んだ。

「うん、その可能性もかなり高いと言う捜査員もいるねぇ……何しろ第五の事件はシティホテル近くの裏路地、第六の事件は、現場はまたラブホテルっていう違いはあるんだが、四番目の仙台の被害者は男、六番目の名古屋の被害者は女なんでな、男女二人組の犯人グループの線も捨てきれないってことさ」

「……海上さんはどう思っているんですか?」

 みゆきが聞く。

「俺? うーん分からないけども、なんとなく単独犯だと思ってる……なんでかって言うと、犯行の手口がね統一され過ぎているんだよ」

「……」

「ガイシャの首右側面の頸動脈を斬る角度、長さ、切り口等について、解剖結果を見る限り、ほとんど同一人物と同一凶器による犯行としか俺には思えないんだな……」

 するとここで百合が、

「それで……現在分かっている範囲で、被害に遭われた方々共通する点は……?」

 と投げかけた。

「そこが問題でねぇ……全員が、性別、年齢、職業……などなど共通点が無いんだ」

「援助交際なら……」

 今度は奈々が割って入った

「後の二人がどこのサイトで相手を探していたか調べれば分かるんじゃないかしら?」

「もちろん、調べようと思ったさ。だけど後の二人の場合はスマホを持ち去られていたんだよ。正直追えないんだよねぇ……」

 するとまた、おずおずと百合が手を上げ、

「……あの、共通点の事なんですが……おかしくないですか?」

 と言うと、全員の視線が百合に集まった。

「その……常澤さんとその他の方で、殺害された状況が随分違うと思いますが……」

 百合が何を言いたいのか分からず、皆困惑した表情を浮かべる。

「……常澤さんはどちらかと言うと、通り魔的に殺害されていますが、その他の方々は、恐らく援助交際などをダシにホテルなどへと呼び出された計画的犯行に見えるのです」

 それは気付いてた、と海上が頷きながら言う。

「だけどさ……なぜその違いが生まれたのか、全く分からないんだ」

「やはり……唯一違う常澤さんがキーですね」

 百合は世界の先を見透かすように中空を睨みながら、彼女の手にはいささか大きい腕時計のベゼルを擦った。

「常澤さんが……常澤さんの何かが、犯人に突発的凶行を行わせるきっかけになったのではないでしょうか……?」

「何かって何さ?」

 海上が頭を掻きながら聞く。恐らく彼も何度となく考えた事なのだろう。

「それは……分かりません……ですが常澤さんについて深堀りしてみる価値はありそうです……みゆきさん」

「は、はい!」

 急に名前を呼ばれて、ビクッとなりながら返事をすると、常澤 美弥子について知っていることと、『ひよランド』でのメッセージについて説明するよう求められた。

 常澤 美弥子の出身地や、『ひよらんど』で彼女から送られてきたメッセージを全員に回覧した。

「流石にみゆきちゃんも知り合って間もないしなぁ。人となりとかはわからないよね……」

 みゆきはしょんぼりと、そうですね……と項垂うなだれたが、すぐにハッと顔を上げて、

「そう言えば、美弥子の『ひよランド』のデータの件、どうなりました?」

 と、海上に訊ねた。その場の一同は、何の事かと不審げな表情を浮かべたので、慌てて百合の研究室でのやり取りを話す。

 それを聞いた奈々は得心の入った表情になると、

「で、どうだったのかしら? 何か判明したの?」

 と、期待を込めた声音で海上に問いかけた。

 しかし海上は、肩をすくめて首を振ると、『ひよランド』の開発元での聞き取り調査の内容、そしてそこで得たデータの解析結果を伝えた。

 期待を持てそうにない話に、皆、嘆息と共に力が抜ける。

 本当にこんな素人集団で解決の糸口を見つけることなど可能なのか……重苦しい空気が部屋に充満する。その空気を払拭するかのように、海上は声のトーンを一段上げて、

「あ、そういえば、一応気になることもあったんだ」

 と言った。

「常澤 美弥子の所持品は荒らされた形跡はなかったんだが、唯一無くなっていたのが、スマホのストラップなんだ」

「ストラップ……ですか」

「うん、スマホ自体は無茶苦茶にぶっ壊されてたんで、その時にストラップも切れたのかと思って見過ごされてたんだけどな、うちの鑑識が改めて見たところ、どうも紐が綺麗に刃物で切られたような跡があるそうなんだ。で、後で現場を調査した奴らに聞いたんだが、ストラップの残骸なんかは採取して無いらしい」

「となると犯人が、あえて持っていったと……?」

 百合が顎に手を当てて小首を傾げる。

「わからない。調べてみると、別に大したものが付いてた訳じゃないんだ」

 みゆきは美弥子が使っていたスマホを思い出す。確かバンパーに勾玉の根付がぶら下がっていた筈だ。そのことを伝えると、海上は、そうそうと言って、

ポケットから未開封の青翠せいすい色の勾玉まがたま根付ねつけの袋を取り出して見せた。美弥子のものと似たものだ。

GemCrystalジェムクリスタルっていう宝石店の商品でな、結構若い子の間で流行ってるらしいんだ……俺はあまり興味が無いんだけど……」

 と言って、テーブルの上へぞんざいに放り投げた。

 確かに今、勾玉根付まがたまねつけが流行っている。

 販売しているGemCrystalジェムクリスタルと言うのは、新宿に拠点を置く老舗貴金属宝石店だ。

 だが裏を返せば、いつでもどこでも手に入る為、人を殺してまで奪うような希少性のあるものではなかった。

「常澤さんが持っていた勾玉ストラップが、特別仕様の限定品だったとかは無いかしら?」

 奈々の問い掛けに、海上は曖昧に返事をする。

「分からないね……が、一応調べてみるけど……」

 百合は、海上の放り投げた勾玉ストラップの入った袋を手に取り、しばらく眺めると、

「その……私には何の変哲も無い勾玉にしか見えませんが……でもここに、犯人にとってなにがしかの奪いたい理由があったと考えるのが……」

 急に言葉を止め、百合はヒョイッと顔を海上に向ける。

「ほかの犠牲者の方で、勾玉を奪われた人はいましたか……?」

「他の……被害者で?」

 海上は手帳を取り出し、パラパラと眺めていたが、

「一応、問い合わせはしてるんだが、まだ報告を受けてないな」

 と言った。

「でも、もし勾玉が目的だったとして、なんでそんなものを……」

 みゆきが疑問を素直に口にしたが、誰も答えることができず沈黙が広がる。

「……分かりませんが、さっきも話が出た通り、既製品を殺人を犯してまで奪う必要は無い……彼女の持っていた勾玉まがたまストラップに、何か違う所がないかGemCrystalジェムクリスタルに確認するべきかと思うのです……」

「しかし肝心の物がないのでは……」

 みゆきが呟く。

「確かに石は無いですが、ストラップは残っているのですよね……」

「ああ、切り取られた残りが一応……」

「もしも……ですが、限定品とかでしたら、ストラップも特別な可能性があるわけでして……お店に残りの紐を確認してもらう価値はあるのではないかと……」

 海上は確かにと言ってメモを取ると、すぐに確認すると請け負った。

 それから一時間ほどもあれこれと皆で頭を捻ったが、流石に頭が煮えてきて、議論が空回りし始めたので、お開きにすることとなった。

 帰り際、見送る知佳のそばへみゆきは駆け寄ると、知佳の両手をギュッと握りしめた。驚いたように目を見張る知佳に、

「大丈夫だからね。絶対すぐに出られるから! もし必要なものがあったら何でも言ってね!」

 みゆきは力強く言った。

 知佳は一瞬泣きそうな顔になりかけたが、フッと笑うと、

「ありがとう……私は大丈夫だから。みゆきこそ無理して危ないことしないで……」

 と、両手を強く握り返したのだった。

 皆と別れ、帰る道すがら、みゆきは事件について反芻はんすうする。

 みゆきにとっての大事だいじだった知佳の捜索は、彼女の無事が確認できたことで一応の解決は見た。しかし、彼女は折悪おりあしく起こった蟷螂事件の余波により、理神庵から一歩も出ることが出来ない状況に追いやられてしまった。警察の知佳への疑いの目が晴れていない以上、彼女の両親に無事を伝えることもできない。

 みゆきの脳裏に、若い母親の憔悴しょうすいしきった顔がまた浮かぶ。

 約束した母親の為にも、そして知佳の為にも、自分にできることをしなくては、と決意する。だが、逸る心と相反し、考えるべき事件がいかんせん大きすぎた。

 普通だったらテレビをぼんやりと見ながら、どことなく他人事に感じるような大事件。

 その渦中に巻き込まれ、あまつさえ自ら飛び込もうなど、今までの人生から考えても、あり得ないこと過ぎて、何をどう考えればいいのか、自分に出来ることが何なのか。みゆきには到底受け止めきれない。

 そうなると、やはり頼りは甲斐 沢百合しかいない。

 先ほどの知佳の消失劇の解明、蟷螂事件への考察について見ても、一見何を考えているか分からない風貌、口調の割には一本筋の通った、明快な指摘をしていた。

 やはり、彼女を信じ、今日彼女が示した示唆に則って、みゆきは頭を働かせてみる。

 美弥子の付けていたストラップが一つの共通点だったとしたら、一体なぜ奪う必要があったのか。

 歩きながらつらつらと、色んな想像をしながら清和寮に辿り着いた。

 だが、玄関を開けるなり、想定外の雷が頭に落ちた。

「七条さんっ! 一体どこへ行ってたのっ!」

 いきなり全力の怒声に、みゆきは玄関の三和土たたきで立ち尽くした。

「あ……え、す、すみません……でも、あの、まだ門限前で……すけど」

 狼狽しながらも、ささやかな抵抗を試みる。

「そんなことを言ってるんじゃありません! ご自宅から何度も何度も電話がかかってきてるんですよ!」

 家から? それを聞いて益々狼狽する。

「う、うちですか……? それって……」

 実家の父か母に何かあったのだろうか。いやそれよりも、齢八十の祖母だろうか……

「何があったかは仰ってなかったけど、あなたと電話が繋がらないって!」

 みゆきはハッとしてカバンを漁る。取り出したスマホは着信アリの通知が来ていた。マナーモードのせいもあるが、理神庵での議論に夢中になっていて振動しているのに気が付かなかったらしい。

「す、すみません……」

 頭を低くして、早足に薬袋みないの前を通り過ぎようとすると、グッと腕を掴まれた。

 またあの苦行のような説教タイムが始まるのかと、首を縮めて恐る恐る、

「あ、あの……なんでしょうか……?」

 薬袋は、怒りを飲み込んだように顔を歪めると、

「……学生の本分。忘れるなよ……」

 低音でそれだけ言うと、みゆきの手を離して、静かに去っていった。

 妙な迫力に総毛そうけ立ったものの、説教タイムから逃れられた安堵感の方が勝り、みゆきは急いで自分の部屋に駆け込んだ。

 かばんを置くのももどかしく、実家に電話をかけると、案に相違してのんびりした母の声が聞こえてきた。

 話を聞くと、単純に一人暮らしの娘への様子伺いで電話をかけたが、みゆきが中々出ないので、蟷螂事件で世間が騒がしいこともあり、心配になって寮に電話をかけたそうだ。みゆきは溜息をつくと、

「そんなことでかけてきたの?」

「だってぇ心配じゃない。でもねぇ。電話に出てくれたお嬢さん。岩井さんだっけ? あの方いい人ね~」

「岩井? あ……薬袋みないさんのこと?」

「あら、薬袋さんって言うの? まぁ珍しい苗字ねぇ。礼儀正しくて頼もしいわね~、ああ言う方の言うことをちゃんと聞くのよ? 大体あんたはさぁ……」

 せっかく薬袋の説教から逃れたと思ったら、母親の愚痴混ざりの説教を聞く羽目になった。大部分を聞き流しながら、頃合いを見て、「電話代高くなるよ」と言うと、母親は、「あら勿体無いわね」とあっさりと切ってしまった。

 みゆきは、取り敢えず実家に何事もなかったことにホッとしながら、母親の褒めていた薬袋の言葉を思い出す。

……どこまでも真面目な人なんだな……と改めて感心する。もしかしたら今日会った人たちの中で一番まともかも。そう思い、みゆきはクスっと笑った。

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