第17話 再開の涙、告白の時 -2-

 知佳はそんな様子のみゆきに目を潤ませながら、

「みゆき……どうしたの? どうしてそんな……?」

 信じられないといった風に問いかけた。

「心配したんだからぁ……心配したんだよぉ!」

 顔を歪ませながらパーカーの裾を掴んだみゆきに

「……ごめん」

 と、短く知佳は謝った。そして百合たちのいるテーブルに向き直ると、頭を下げた。

 再会を喜ぶ二人のそばへ、奈々がゆらりと近づいて二人の肩に優しく手を置くと、

「さぁ……テーブルにつきましょう。知佳にはみゆきさんに説明する義務があるわよ……」

 とささやく。

 知佳はみゆきの手を取りゆっくりと立たせると、テーブルについた。

 そして再び皆に向かって深々と頭を下げる。

「甲斐沢……先生ですね? どうしてみゆきと一緒にここへ……? 」

 百合は知佳に顔を向けると、にっこりと笑い、訥々とつとつと今までの経緯を語った。

 みゆきが百合に相談した、池袋北京館からの失踪、知佳の家で捜査本部が設置されるほどの大騒動、それと並行して起こっていた蟷螂事件、その重要参考人が知佳であることなど、時系列に沿って分かりやすく語った。

「ナナちゃん……私の推理は説明しました……実際のところを説明してもらえますか?」

 百合が奈々に説明を求めた。

 すると奈々は、知佳の方に一瞬目を向けると、穏やかな声で、

「それは、彼女……知佳ちゃんの口から直接説明した方がいいと思うわね」

 と言った。

 全員の視線が知佳に集まると、涙を拭いた知佳は、きりっと決然とした表情に変わり、軽く目礼すると、色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません、と謝罪した。

「まず……どこから話せばいいか分かりませんが、私が消えたことについてですけど……」

 一瞬チラッとみゆきの方に目を移したが、すぐに百合に向き直る。

「裏で甲斐沢先生のお話を聞いていましたが……びっくりしました……大筋の流れは、先生の推理の通りです。そして動機ですが……姿を消したのは、私の意思によるものです」

 百合は表情を変えずに小首を傾げると、軽く頷いた。

 知佳はみゆきの方を向くと、すまなそうな顔になった。

「みゆき……ごめん……結局今回の事で……私はみゆきを利用したの」

「……利用?」

「うん。……今回の件はどうしても明白に誘拐に見せる必要があったの……だから誰かと一緒にいる所で姿を消さなきゃいけなかった……まさかこんなにみゆきに迷惑をかけることになるなんて思わなかったけど……」と言って俯く。

「私の前でわざわざ消えなくても……普通に雲隠れするだけで良かったんじゃ……?」

 みゆきの問い掛けに、知佳は首を振る。

「それも考えたけど……普通に考えたら失踪扱いになるまで時間がかかってしまうのと、そこまで大事にしたい訳ではなかったの……」

「大事?……も何も、私が知佳のおうちに行った時、もう警察官がいっぱい居たけど……」

「みゆき、あたしの家まで行ってくれてたんだ……本当にゴメン……」知佳は再び目に涙を溜め、零さないように顎を上げ、そして続けた。

「……そう、最初考えていた計画はね……序盤ですべて崩れたの」

「序盤で?」

「うん……元々の計画としては、まず私がみゆきの前から忽然こつぜんと消える……」

「……」

「次に、私が消えたことで、みゆきがすぐに警察にコンタクトを取ることを期待していたの」

 みゆきは、知佳が消えた翌日以降の事を思い起こす。言い訳になってしまうが、無闇に騒ぎたくなかったのと、かと言ってどう対処してよいか分からず、まごまごしていた。

 その事を知佳に伝えると、彼女は返って済まなそうに、

「ううん……私が悪いの。自分に都合よく考えすぎてたから……冷静に考えたら、私だってみゆきと同じように……違うな、もっと何もできなかったと思うの……きっと何もせずに黙って逃げてたと思うの……」

 そう言う知佳の右目から涙が一筋落ちた。

「……ごめんなさい……。そして……考えていたよりも早く、みゆきより先に実家が通報してしまったの」

「……そうなの?」

「あの日、夜に実家に帰る予定にしていたんだけど、連絡がつかないことで慌てて通報したみたい……」

 すると、横から百合が問うた。

「あの……少し……良く分からないのですが……」

「はい」

「その……お子さんが一人行方不明になった事でご実家が通報するのは至極しごく当然のことだと思いますが……」

 知佳は深く頷く。

「色々と説明しなくてはいけないのですが、一つにはうちの家族の通報はもう少し遅いと思っていました」

「それは何故でしょう……?」

「私は過去に素行に問題がありましたので、連絡が取れない程度で慌てるとは思っていませんでした……ただ万が一、家族の通報よりみゆきの通報が早かった場合……」

 知佳はチラッと奈々を見る。奈々は何かを了承するかのようにゆっくり頷く

「ある方が実家を訪ねる予定でした……」

 百合は小首を傾げ「それはどなたで?」と訊ねた。

「……それはね百合さん。よ」

 知佳ではなく、奈々が答えた。

 その名前にみゆきはもとより、流石の百合も絶句する。

「海上君……!!」

 知佳の語った計画はこうだ。

 北京館を脱出した知佳は、手近なところに隠れる。

 一緒にいたみゆきが通報し、管轄の目白西署が受電。それを受けて海上が警察が事件を請け負ったように見せかける。知佳は普段通り翌日から学校に行き、みゆきの方は有耶無耶うやむやにし、事件を公にせずに進める予定だった。

 しかし、みゆきの通報が遅れたこと、それと家族の反応が思いのほか早かったことで、海上と知佳が有耶無耶うやむやにする前に、成城北署が動き出して大事になってしまった。

「あの……一つ疑問なんですが……」

 百合が首を傾げながら知佳に問う。

「……ナナちゃんを巻き込んだと言うか……共謀したのはいつになるのでしょう……?」

 確かにそうだ、とみゆきは思った。みゆきと知佳がここ理神庵を訪ねた時には、誘拐のゆの字も出ていなかった。

「はい。実は……みゆきとここに来る前に、私は五百籏頭いおきべ 奈々さんと狂言誘拐について相談していました……」

 みゆきは驚いた。あの日、初めて来るかのような事を言っていたが、既に奈々と話をしていたというのか……言われてみれば、確かに妙に場馴れした感じで理神庵へ来たように思う。知佳の物怖じしない性格だからかと思って気にしていなかったが、一度来たことがあったのなら納得ができた。

「その時、初めて奈々さんにお会いした日に、狂言誘拐のご提案を受けました……ただ、即答は出来なかったので……」

「なるほど……」

「全て私の意思に委ねられていました。私がどうしても狂言誘拐を決行したいと思った時は、協力をしようと仰ってくださいまして、その場で海上さんにもご確認いただきました」

 一体なんと言う警察官だろうか。みゆきが呆れた顔になると、

「これだけは、私の方から言っておく必要がありそうね……。海上さんはね、この狂言誘拐が大事にならないようにしてくれようとしたの」

 奈々がフォローするように口を挟んだ。

「そうは言っても、こんな事に協力すること自体……」

 みゆきは不満げに頬を膨らませたが、百合は静かに首を振って何も言わなかった。

「……その後、私は何日も考えて……考え抜いて、決行を決意しました……それをあの日……みゆきとここを訪ねた時、奈々さんに私の意思をお伝えしました……」

 え? と、思わずみゆきは声を上げた。

 そんな話が出ていた記憶が無かった。

「最初に奈々さんに計画を伝えた時、よく考えるよう言われた後、伝える方法についてある取り決めをしました……」

「取り決め?」

「そう、今回の計画にはみゆきの存在が不可欠だった……だから再びここに訪れた時、みゆきを連れてきていたら決行する。一人で来た場合はキャンセル……そう言う事にしていました……」

 なるほど、単純なことだ。

「一応予定外の同行者ではないことを表すため、私が“女教皇”のカードを奈々さんに示すことも決まっていました」

「女教皇……?」

 思い出そうと首を傾げる、

 すると、奈々がテーブルに山積みされていたタロットから一枚抜き出し、テーブルの真ん中に置いた。

 その絵には、分厚い事典のような本を片手に抱え、立派な玉座に座った威厳のある女性の姿が描かれている。

 みゆきはこの絵を見て、知佳があの日、みゆきたちに見せつけてきたことを思い出した。今思えば、確かに不自然だ。

「これが……もう一つの符牒?」

 みゆきの問いに頷いたのは奈々だ。

「そう、これは“女教皇”英語で“The High Priestess”……意味は色々あるけれど、“真理を解明しようという理力、洞察”……それが知佳さんには必要だと思ったから、もし本当にやるならば、あなたを連れてきたうえで、これを出しなさい……と伝えたの」

 計画を聞いてみゆきが問い質す。

「真理の解明……? それがどうして狂言誘拐なんて……そうよ、何でこんな事をしたの?」

 知佳は悲しそうな表情を浮かべると、

「……みゆきは私の母に会ったのでしょ?」

 みゆきは頷く。

「あの人……私の実の母親じゃないんだ……」

 それは当人からも聞かされていたので、みゆきは特に驚かなかった。

「元々は父の秘書をしてた人なんだけど……実の母親が亡くなってから、しばらくして再婚したのね……。里見の財産狙いで後妻に入ったなんていう人も居たみたいだけど、どうかしら……あまり悪い噂は立たなかったって聞いてる…………でも私……どうしてもあの人に馴染めなくて、あの人の父に見せる笑顔も、私にかけてくる言葉も、何もかもが嫌で嫌でしょうがなかったの……本当にもう、出て行って欲しくて、私の視界から消えて欲しくって……」

「……何か邪険にされるような事でもあったの?」

 知佳の母親への印象は、きつそうな顔の反面、優しさも垣間見え、そこまで嫌う理由が理解できなかった。

 みゆきの問い掛けに、知佳は首を力なく振り

「……別にないわ……むしろ優しく接しようとしてくれてたわ……」

「だったらなぜ……」

「嫌だったのよ! あのおどおどとした、腫物はれものを触るような態度! ぎこちない笑顔! 財産狙いなんてどうでもいい! そんなもの欲しけりゃあげるわよ! あの小動物みたいな態度の裏側にきっと蛇みたいな本性が隠れているに違いない! そう考えるだけで嫌で嫌でたまらなかったの!」

 知佳の悲痛な叫びが小屋に反響する。

 誰も何も言わない。静けさが戻ると、知佳は強張こわばっていた肩を力なく落とし、

「でもそれは……それはきっとあの人も同じだと思ったの……きっとあの人からすると、私の事が邪魔に違いない。あの人と違って言いたいこと言う私は、人の皮を被ったキツネくらいに思っていたに違いないって……」

 知佳は自嘲じちょうするように顔に手を当て、うつろな視線をテーブルの上にさまよわせる。

「だからまずは、あの人を連れてきた父を困らせてやろう、そして私が消えることで、あの人が本性を現したら、そこで姿を現してそれを父の前で暴いてやろう……あの人を私と父の目の前から消すための、これはあの人との戦争……そう思って計画したの……」

 一瞬の静寂の後、バチンと炸裂音がした。

 目に涙を溜めたみゆきが突然立ち上がり、知佳の頬を思いっきり引っ叩いたのだ。

 叩かれた知佳は、顔を傾けたまま身じろぎもしない。

「バカ……! 本当に……バカじゃない……あんたのお継母さんは、確かに実のお継母さんじゃないかも知れないし、私にはそう言う人がいないから分かんない……分かんない……分かんないけど、知佳がやってることが無茶苦茶な子供じみた我儘でしかないのは分かるよ! お継母さんを受け入れるのは難しいのかもしれないけど、それは攻撃していいって事じゃない! 全部、知佳の思い込みじゃない!」

 知佳は悲しげな眼でみゆきを見上げると、

「みゆきには……分からないよ……」

 と、呟いた。

「そうだよ! そう言ってるじゃない。でもねお継母さんはね、あの日泣いてたよ! あれは本当だった……間違いないよ……」

 再び目を伏せた知佳の眼から一筋の涙が流れ、零れ落ちた。

 それまで口を閉じていた百合が、静かに口を開く。

「里見さん……あなたは、お父様を、お継母様に取られてしまう、自分から心が離れ一人ぼっちになってしまう事への微かな不安……そして里見家という財閥一族の一人娘という想像を絶するプレッシャー……それらが相まってあなたの置かれた境遇を自己肥大させてしまった結果、全てお継母様に投影してしまったのでしょう……だからお継母様の全てが憎く、目にすることも嫌に感じられた……と言う事でしょう。それは取りも直さず、あなたがあなた自身に感じていることでもあるのです……」

 百合の言葉が終わると同時に、知佳は力無く項垂れ嗚咽おえつした。

 一同の痛ましい視線を受けながら、全ての後悔を吐き出すかのようにすすり泣いた。

 みゆきにとって、全ての面においてみゆきよりも恵まれた、手の届かない高嶺の花のような存在に思えた知佳が、己の感情に呑み込まれ、愚かな計画を立て、あまつさえ実行までしてしまった。

 今、みゆきの目の前で子犬のように肩を震わせ、涙を零すのは、家族だけでなく、周囲の人間も巻き込んだ大騒動を巻き起こした自らの愚かさを突き付けられた、一人の小さな少女だった。

 みゆきはふと思う。自分は彼女の事をどう思っていたのか。

 大都会で生まれ育ち、財閥の令嬢、美人で頭も良い。まさに完全無欠のお姫様のような存在に、田舎から出てきた取り立てて特徴も取り柄もない自分への劣等感と、軽薄な憧れだけで知佳を見てきたのではないか。

……私は知佳の外面だけを見て、追っていたのか……

 高貴な姫が懊悩する様にショックを受けつつも、そのショックこそ自分の作り出した、愚かで浅はかな幻に陶酔していた自分自身の足元が崩れる音なのだと気付いた。

 みゆきは改めて知佳を見つめる。

 今ここにいる知佳こそ、虚飾も偏光フィルターも取り払われた、本当の知佳の姿だ。

 過去への後悔と、自己嫌悪そしてしでかしたことへの恐怖に押し潰されそうな小さな背中。 みゆきはその背中にそっと手を置いた。

……それでもやっぱり私は知佳のことが好きなんだ。これからは友達、そう本当の友達として支えてあげなきゃ……

「知佳……ごめんね」

 みゆきの色々な思いが、唐突な言葉として口をいて出る。

 知佳は、置かれたみゆきの手を、すがるかのように両手で包み込むと、首を横に何度も振るのだった。

 その様子を黙って見ていた奈々は、同じように黙って二人を見ている百合と目を合わせる。 感情を表すことが苦手な准教授は、奈々に合わせるようにぎこちなく微笑みのようなものを浮かべると、おずおずと知佳に話しかける。

「あ、あの……里見さん。分からないことがまだあります……」

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