第2話 理神庵

 知佳に先導されながら道を進むと、人通りがパタリと途絶え、雑居ビルの立ち並ぶ怪しい雰囲気になってきた。


「本当にココら辺? ……なんか、おっかないんだけど……?」


「うん……もうちょっとかな……ああ、これこれ」


 知佳が指差したのは、二本の重厚なコンクリート柱に挟まれた、大きなガラスの二枚扉だった。上を見上げると、重々しい装飾を施したいかめしい屋根が見える。これは確かボザール様式と言うのではなかったか、日本史の教科書にあった戦前の写真で見たことがある気がする。


「なんかこう……えらく立派だわね?」


 怪しい雑居ビルも怖いが、こんな歴史の重みを背負っ手いそうな占いの館だと、法外な見料を取られたりするのではないかと言う、別の不安が頭をもたげてくる。


 中へ入ると、これまた映画でしか見たことがないような、金属蛇腹のエレベーターが二基並んでいる。階数表示がデジタルでなく、メーターの針になっているのが格好良い。


 みゆきは文学部 国語国文学科と言う、理数の対極に位置する分野の学科にいるが、その実、趣味で機械いじりをするのが昔から好きだったりする。


 息を止めてエレベータを凝視するみゆきを見て、知佳が不思議そうに覗きこんできた。


「みゆきは占いが好き?」


 え? 唐突に問いかけられて返答に詰まる。


「何を聞くの?」


 矢継ぎ早にそう言われても困る。正直なところみゆきは占いに興味が薄い。朝のニュースの占いくらいは何となく見て一喜一憂しているが、玄関を出たら忘れるレベルだ。


「え……っと、その、金運、とか……かな?」 


 興味が薄いことを悟られぬよう適当に答えていると、一台のエレベーターがチーンと鳴った。


 蛇腹の扉がゆっくりと開き、誘われるように二人は中に進む。


 みゆきの想像に反して、エレベーターは、LEDのシーリングライトが青白い光を照らす、現代的な内装だった。


 興味深く観察しているみゆきを尻目に、知佳は素早くRボタンを押した。


「え? 屋上?」


「うん」


 エレベーターが屋上に到着し、一瞬遅れて外側の古めかしい蛇腹式の扉がゆっくりと開く。


「うわ! すご……」


 エレベーターを降りるなり、みゆきは呻いた。


 屋上のエレベーター口とは対角の場所に、屋上に不釣り合いな丸太でできた立派な二階建てロッジが鎮座していた。


 そのロッジの上がり框からエレベーターの前まで屋上フェンスの外周に沿うように行列ができている。二十組くらいいるだろうか。カップルが多いように思われた。


 みゆきはカップルの大群を薄目で見ながら、


「ふう……参ったね。もうちょっと早く来たほうが良かったんじゃない?」


「大丈夫よ。いつ来てもこんな感じだし、案外回転早いみたいだから」


「そうなの?」


 と、ふとなぜ知佳がここに来たがったかを聞いていないことに気づいた。


「ねぇ知佳、今日はどうしてここに?」


「うーん……何となく面白いかなって」


「何回か来たことあるの?」


「うん、まあ」


 小首を傾げながら澄まし顔で答える知佳の顔からは何も読み取れない。


「まぁ実際に占ってもらえばわかるんじゃないの。そう……みゆきは恋愛運とか」


 知佳は大きな黒い目で上目遣いにみゆきを見た。


 恋愛運?……なぜ? いつの間にか私の知らない心の奥底を読んでいた? これでは知佳の方がよっぽど能力者っぽい。


 みゆきはミステリアスなこの美少女に畏れにも似た感情を感じたのだった。


 いつまで続くのだろうかと不安に駆られた大行列だったが、知佳の想定通り案外するすると進んでいく。


 それでもおよそ一時間ほど掛かってロッジの入り口までたどり着いた。みゆきたちの後続はおらず、どうやらみゆきたちが最後の客らしい。


 キィ、と軽やかな軋み音と共に木製のドアが開きみゆきたちの前に居たカップルが出てきた。


 入れ替わるように知佳はドアを軽くノックすると、さっさと中に入って行く。


 ロッジの中も山小屋風で、ランタン風の照明が天井と柱に付けられ、暖かな明かりに包まれていた。


 部屋の左側の壁にくっつくように緑色の羅紗の敷かれた大きな机がある。


 知佳は一つ大きく息を吐くと、テーブルに設えられた椅子に腰掛けた。


 みゆきもどうして良いか分からないので、知佳に倣って椅子に腰掛ける。


 大振りな背もたれのついた木製の椅子に腰掛けて人心地つくと、みゆきは聞き忘れていたことを思い出した。


「知佳は占いが好きなの?」


「うーん……好きとは違うかな。色んな意味で興味が尽きないから……かな」


 知佳は大きな目をみゆきに向ける。


 みゆきは授業中にも思っていたが、知佳は議論とかディベートが好きらしい。単にお喋りが止まらない子と言う訳ではなく、知的遊戯好き、知的好奇心旺盛と言ったところだろうか。占いに対する興味が尽きないという物言いも、彼女の琴線の延長線上に何かが引っかかったからかも知れない。


「……だってね、有史以来、……人間が文明的な存在としてはっきりした六千年くらいの間にね、違いはあれ常にいつでもどこでも人々に寄り添うように占いはあるのよ。


 色んな宗教から生まれ、天文学などの自然科学発達の契機になった占いが、幾多の誹謗中傷に苛まれても尚、科学全盛の二十一世紀の今日、人々の心を捕えて離さないんだよ。……これって凄い不思議だと思わない?」


 みゆきは占いという物を深く考えたことはなかったが、確かに半ば同時多発的に交流のない各所で生まれ、今なお受け継がれ人々を一喜一憂させるのは、確かに人類の不思議の一つかも知れない。と思った。


「面白そうなお話をしているね……」


 知佳の話に引き込まれていたみゆきは、思わず体がビクッとする。


 暖簾のかかった奥の入り口に、いつの間にか、ひょろりと長い女性の影が現れる。


 腰を過ぎるあたりまで伸ばした真っ黒な髪と濃紺のタートルネックで、周囲の光を吸収するかのような出で立ちだ。わずかに見える首と顔は透き通るように白く、長く美しい睫毛と大きく切れ長の目は緩やかに垂れ、対照的にくっきりとした柳眉はキリッと描かれている。


 ただ、薄茶とも灰色ともつかない不思議な色をした瞳が、何かしらこの世のものと一線を画する、狂的な雰囲気が漂わせていた。


 ロッジの主はテーブルに近づいて来るに従って、ぐんぐん大きくなるような錯覚を覚えるほど高い。恐らく一八〇cmをゆうに超える背丈だろう。


 その闇から這い出してきたような不気味さとは裏腹に背筋をピンと伸ばし、微笑みながら机の向かいに腰掛ける。


「こんにちは」


「ど、どうも……よろしくお願いします」


「私は五百籏頭いおきべ 奈々。“いおきべ”って言い難い苗字だから、呼ぶ時は奈々でいいわ」


 ここで黒い女史、奈々は目を細めて微笑み、


「ようこそ占いの館“理神庵りしんあん”へ」

  

 席に着いた奈々と名乗った占い師は、知佳に続けるように話し始める。


「占いがなぜ幾星霜を経ても人々を魅了するのか……どうしてだと思う?」


 みゆきは何か返そうとしたが、いざ言おうとするとうまく言語化できず、まごついてしまう。


「それはね、人が証明できないものだからよ……科学の枠を超えた運命や未来、前世や来世などを、超自然的な力と称して可視化してくれるものだからよ……」


 知佳は腕を組んでじっと聞いていたが、おもむろに口を開いた。


「それは多くの宗教が持つそれぞれの世界観と合致すると思います。であれば、一部の宗教がそれらを利用することで敷衍ふえんしたと?」


「そうね。でも一方的な利用だけではなく、そもそも人間、民衆の要求によって紐付けられていると考えるべきじゃないかしら。故に宗教にとっての占いはね、言ってみればそう……ミトコンドリアなのよ」


「ミトコンドリア?」


 思いがけない単語に、みゆきは素っ頓狂な声をあげてしまった。


 奈々はそんなみゆきを薄灰色の瞳を向けながら微笑む。


「そう。ミトコンドリア。ヒトの細胞とは全くの別種だったその生物は、ヒトとの親和性の高さ故に、細胞に紛れ込み運命共同体となった。それはまるで、人々から要求され、その地域地域の宗教に、自然な形で発生し存在させられている占いの姿と同じじゃない?」


 そうなのだろうか……必死について行こうとみゆきは考えてみる。


 ……例えば……そう! おみくじだ! 名前や内容は同じなのに、違う宗教の神社とお寺に普通に存在している。海外でいえばフォーチュンクッキーだろうか。


 おみくじは信仰心とは確かに違う。まさに見えない未来を、さも見せてくれそうな雰囲気の中で覗き見る感覚。


 みゆきは思わず口を開いた。


「つまり……占いは宗教施設のサービスみたいなもの?」


 知佳は驚いたように目を丸くする。


 奈々は我が意を得たりとニッコリと両の口の端を上げて言った。


「サービスとはうまい事言うね……」


 みゆきは独言のように続ける。


「……恐らく、宗教とは関係なくても、その雰囲気を借景して、あたかもそこの神が教えてくれているように見える。そして受ける側は、個人的な悩みや願い、迷いを、その神が個人的に教えてくれているようにも見える。それは、本当は関係がないけども、その神の存在を強く無意識的に感じる、感じさせることで、信仰心の強化をはかる宗教側のニーズと、神の言葉を聞きたい信徒側のニーズが、自然と一致してしまったから……」


「共生関係…… ミトコンドリア……」


 知佳が反芻するようにつぶやく。


 奈々は静かに目の前に置かれたタロットカードに手を伸ばし、ゆっくりと切り始めた。


 カードを弄ぶ奈々の手を見ながら、みゆきはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。

「そう言えばタロットってどの宗教と密接に絡んでいたんですかね……? やっぱりキリスト教?」


 パタッとカードを切る手が止まった。余りに急停止だったので、みゆきは何かまずい事を言ったのかと焦った。


 すると、意外な事に横合いから知佳が応じた。


「タロットはね……発祥は不明なのよ」


「え? 不明? こんなに有名なのに?」


「うん、内容的に古代ヨーロッパに起源がありそうなのだけど、それを裏付ける記録

が全くと言っていいほど残ってないのよ……」


 知佳の説明に頷きながら、奈々は絵のついたカードや剣や杯の数で数字を表していると思しきカードを並べながら呟いた。


「そうね。恐らくその起源は……単なる遊び、ゲームツールじゃないかと思われるね……」


「ゲーム……」


「そうゲーム。人口に膾炙しながらも、その存在を軽んじられてしまう存在って、今も昔もゲームじゃない。それはゲームが生産性の無いものとして、忌避されるからだと思うのね」


 確かに。ゲーム好きのみゆきにとって耳の痛い言葉だ。


「タロットは、取るに足りないカードゲームとして、貴賎を問わず広がって行ったと思われる。そして恐らくテーブルゲームの殆どがそうであるように、賭博と結び付けられて、人々の射幸心をさらに煽ったんじゃないかな? そうして繁栄を遂げて行ったのね。」


 知佳は一息入れるように紅茶を口にする。


「広まっていく過程で、絵柄の豊富さやミステリアスな雰囲気に乗って、ゲーム以外の価値、つまり占いとしての理論が次々と生み出されていったと考えられるわ」


「確かに、この絵ってなんか不思議だな……」


 目の前のカードを一枚取ってみゆきは言う。


「Fool とか Loversとか、Wheel of Fortuneとか……どう言う設定なのかな?」

 知佳はテーブルに広げられたカードからサッと一枚抜き取ると、みゆきと奈々に見せつけるようにした。そのカードには The High Priestess と書かれている。


「ここに描かれる絵ってさ、妙にストーリー性の高いと言うか、非常に寓話的という感じがしない? まるで何かの一場面を切り取ったみたいな」


 そう言われればそうだ。物語の一場面だったり、登場人物だったりするようだ。


 後を受けるようにして奈々が別のカードの絵を指し示し、説明を加える。

「このカードの下の番号……それは人が生まれてから死して完成するまでの流れを示しているのね……」


「完成?」


「輪廻転生と同じような概念ね。死を迎え、神の許で復活し、再び歩みだす……みたいな。……それえを象徴するのが二十一番目のカード【世界】ね」


 みゆきは判ったような判らないような顔のまま机上のカードを眺めていたが、ふと一枚のカードで目が止まった。


「あれ? このカード……数字がないわよ」


 そう言って彼女が手に取ったのは、『The Fool』。愚者のカードだ。


 奈々はちらっと覗くと、口角をさらに上げて話し出す。


「それは【愚者】と言うカードよ。最近売っているタロットカードだと【ゼロ】が振られてたりするけど実際は不明。恐らく元々数字が無かったか、二十二番目にいたか……」


「数字が無かったんじゃないか、と言うのは何となく想像つくんですけど……二十二番目って完成した世界の後でしょ?……うーん……」


 みゆきは納得がいかないように唸ると、知佳が助け舟を出す。


「それこそ輪廻を端的に表していると言えないかしら?」


「ふりだしに戻る的な?」


 奈々はテーブルの上のカードを静かに集めると、見事な手つきでシャッフルをしながら唄うように言う。


「数多の伝説を寄せ集め一つの人生を形作ったタロット。それぞれに深い意味を持たせ迷える者の旅の標となる……」


 そう言うと奈々は、みゆきの目の前にカードの束を差し出した。


「折角ここまで来たんだし、運よくあなた達が最後のお客さんなんだから、ゆっくり占いも楽しんでいったらいかが?」


 知佳の方をちらっと伺うと、彼女は、どうぞという風に手を差し出して見せた。


「はぁ……そ、それじゃ」


 おずおずと長方形の大きめのカードに手を伸ばしかけたが、ふいに直前で止める。


「あの……ところで……」


 奈々の薄灰色の瞳に吸い込まれないよう、真っ直ぐに見返しながら尋ねた。


「……どうやってやるんですか? これ……」

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