第11話「街の英雄と甘い誘惑」
迷宮での探索を終え、温泉で身も心も癒された俺たちを待っていたのは、迷宮都市の熱狂的な歓迎だった。街の入り口に足を踏み入れた瞬間、耳をつんざくような歓声が俺たちを包み込む。空からは、誰かが撒いた花びらが雪のように舞い落ち、地面を色鮮やかに飾る。
「ケンイチくん、なんか、街の人たちがルナたちのこと、見てるよ…」
ルナが不安そうに俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。普段は自信満々な彼女の獣耳が、注目を浴びることに耐えられないかのように、不安そうにぴくぴくと震えている。その瞳には、熱狂する人々の数が多すぎるという恐怖と、そして少しの戸惑いが浮かんでいた。
「…非効率ね。不必要な注目を集めるなんて」
エリーゼは冷ややかにそう言い放つ。彼女の言葉は普段と変わらないはずなのに、どこか神経質さを帯びているように聞こえた。それは、俺が他の人々の視線を集めることに対する、彼女の感情的な「助走」だったのかもしれない。
「ケンイチさん、すごいですね…」
アリスがそう言って、俺の腕に触れる。その指先から、温かい光が流れ込んでくる。迷宮で俺を癒してくれた治癒の魔法とはまた違う、まるで「あなたを誇りに思います」とでも語りかけてくるような温かさだった。
「俺は、お前たちのおかげで、英雄になれたんだ」
俺がそう言うと、アリスは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔の奥に、ほんの少しだけ「このまま皆のものになってしまうのだろうか」という不安が揺らめいているのを、俺は感じ取った。
俺たちの凱旋は、そのまま街一番の酒場での大宴会へと姿を変えた。肉料理を焼く香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、陽気な音楽が店中に響き渡る。
「英雄様、迷宮でのご活躍、お見事でございました!」
酒場の看板娘が、艶やかな笑みを浮かべながら俺の隣に座った。彼女は、潤んだ瞳で俺を見つめながら、酒を注いでくる。
「今夜は、どうか私と…」
その言葉は、俺の思考回路を強制的に「甘い誘惑」というフラグ管理モードに切り替えた。
(……え、まじか。これ、まさかの英雄ルートってやつか!?)
俺の内心で、思考の暴走が始まる。
(JRPGだと、英雄になって街に戻ると、こういうイベントが発生するんだよ! 酒場の看板娘に口説かれたり、商人に引き抜きされたり…! 俺の人生、マジでフラグ管理どうなってんだ!? もしかして、RPGの世界に転生しちゃったのか!?)
思考の暴走が最高潮に達したその瞬間、俺の反対側に座っていたルナの尻尾が、「バシッ!」という鈍い音を立てて暴走した。それは、俺の隣に座る看板娘の太ももを直撃する。
「きゃっ!」
娘の悲鳴が酒場に響き渡り、周囲の視線が俺たちに集まる。ルナは、ばつが悪そうに顔を赤くしながら、俺の腕を掴んだ。
「…ルナ、どうしたんだ?」
「うぅ…ケンイチくん…ルナ、この人が、ケンイチくんを一人占めしようとするから…」
ルナは、まるで迷子になった子供のように、俺に抱きついてくる。その姿は、英雄の凱旋とは程遠い、ただの寂しがり屋の少女だった。
「皆さん、ケンイチさんは少し疲れていらっしゃるようです。どうぞ、そっとしてあげてください」
アリスが、俺とルナを庇うように人々の前に立ち、優しく呼びかける。彼女の言葉は冷静だが、その瞳には「これ以上、ケンイチさんを困らせないで」という強い意志が宿っていた。
「愚かな。不必要な感情の発露は、貴様の評判を落とすだけだぞ」
エリーゼはそう言いながら、俺の前に立つ。その言葉は娘たちに向けられていたが、その表情は冷徹そのものだった。
「…無駄な接触は、非効率よ。英雄の時間を、くだらない雑談で浪費するな」
彼女の言葉は、まるで周囲の人々を威圧するかのような冷気を纏っていた。その瞬間、俺の思考の暴走は「これは、RPGの分岐シナリオだったんだ!」という確信へと変わった。
(看板娘に話しかけ続けると「看板娘ルート」へ、商人の誘いに乗ると「商人ルート」へ…このまま行くと、俺の人生、完全にロールプレイングゲームになっちゃうぞ…!)
思考のベクトルが、物語の必然性から、ゲームの攻略という「最適解」へと切り替わる。俺は、この「甘い誘惑」というイベントをどう切り抜けるべきか、必死に頭を回転させた。
「ケンイチさん、貴方は…一体、誰を選ぶのですか!?」
突然、酒場の隅にいた商人が、大声でそう叫んだ。その言葉は、まるでRPGの選択肢を突きつけられたかのようだった。
「……え?」
俺が言葉を失ったその瞬間、動揺したルナの尻尾が、テーブルの上の酒樽の栓を「ボゴッ!」と叩き、大量の酒が噴き出した。酒場全体が、一瞬で大混乱に陥る。
俺たちの英雄の凱旋は、甘い誘惑と混乱が入り混じった、奇妙な夜に姿を変えていった。
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