第19話 宮崎〜沖縄

「ホントにあたしが先に入っていいの?」

「うん。気にせず入って」

「すぐ出るからっ!」

「ちゃんとあったまってからねにしてね」


 老人の一軒家の脱衣所でヒカリを見送る。海羽は、老人から渡されたタオルで水気を取りながら、結った髪をほどいた。着替えを出そうとリュックの中身を確認するが、リュックも雨に濡れたせいで、上の方に入っていた服は湿り気を帯びていた。仕方がないので、一番下の服を取り出すと、制服だった。


「まぁ、仕方ないか」


 そうこうするうちに、ヒカリが浴場からタオルを巻いた状態で出てくる。ヒカリの視線は海羽の手元に向いていた。


「制服着るのっ? なんでっ?」

「他の服が濡れてたから仕方なくて」

「あー。そっか。あたしも同じかも」


 海羽はシャワーを浴び終えると、水色の半袖シャツに腕を通し、チェック柄の紺のスカートを履いた。無意識のうちにネクタイを結ぼうとしたが、その必要はないとすぐに思い至る。

 髪の毛の水気をタオルでしっかりと吸い取るが、完全には乾かないので、髪を結ぶのはやめた。

 脱衣所から出ると、ヒカリも制服を着ていた。老人は海羽も制服姿なのを確認すると、顔を顰める。


「揃って、変な服を着て」

「制服ですーっ。仕方ないでしょっ。他に着れる服無かったんだからっ」

「おじいさん、シャワーありがとうございました」

「感謝するなら、雨が止んだらさっさと出ていけ」


 そう言って、男性は海羽達から背を向ける。

 海羽が苦笑いを浮かべると、ヒカリのシビルバンドから音が鳴った。ヒカリがディスプレイを確認する。


「悠真からだ。おじいさん、電話してもいい?」

「勝手にしろ。ただし、うるさく喋るな」

「はーい」


 ヒカリが応答すると、早瀬の大きな声が部屋中に響いた。


「ヒカリッ? 大丈夫かっ?」

「ちょっと声大きいって。今、人の家にいるからボリューム下げてよ」

「そんなこと気にしてる場合じゃないんだっ! 大丈夫なのかっ?」

「大丈夫って何がよ? 留守電聞いて、かけてきたんじゃないの?」

「それもあるけど違うんだっ! お前たちと一緒に行動監理官の女がいるだろっ? そいつは今どこにっ?」

「あいつなら東京に帰ったよ。上司に呼び出されたって」

「ヒカリ、行動監理官の前でL.I.Q.制度の批判とかしてないかっ?」

「批判っていうか、そもそもこの旅がスコアじゃ測れないものを探す旅だし」

「まずいっ! まずいまずいまずいっ!」


 海羽は、早瀬の尋常じゃない声音に思わず反応してしまった。


「悠真くん? 遠野です。行動監理官の前で制度を批判すると、スコアが下がることを言ってる?」

「スコアが下がるだけならまだマシだっ! お前たち、スコアを凍結されるぞっ!」


 大きな落雷があり、轟音が鳴り響く。外が一瞬明るくなった後に、部屋が暗くなった。


「凍結ってなによ? そんなことあるわけ……」


 ヒカリの声は震えていた。寒さでも、雷のせいでもなく。


「それがあるんだよっ! 行動監理官にはその権限があるんだっ!」

「どうせネットかなんかの与太話でしょっ? 刑務所に入る犯罪者だって、スコアはそのままなんだよっ? スコアがなかったら生活なんか出来ないじゃんっ」

「悠真くん。スコアが凍結されるっていうのが本当なら、人権を奪われることと同じだよ? そんなことを政府が許すっていうの?」

「許す。政府はL.I.Q.制度を守るためなら、個人の権利を平気で踏み躙る」


 その言葉は早瀬ではなく、老人のものだった。海羽とヒカリは同時に老人を見る。


「あなたはなぜ、それを知っているんですか?」

「……」

「ねぇ、悠真。あんたの言ってることがホントっていう証拠はあるの?」


 だが、そこで通信が切れた。


「悠真っ? なんでこのタイミングでっ!」


 ヒカリは早瀬に通話をかけようとするが、繋がらない。


「なんでよっ!」

「おじいさん、教えてくださいっ!」


 海羽は老人に尋ねる。

 その時、玄関が開いた。真っ黒な傘をさした久我が、そこに立っていた。

 黒いスーツ。傘を持ってる手首に見えるのは、漆黒のシビルバンド。この人は。

 海羽が口を開くよりも先に、久我が口を開いた。


「一応自己紹介をしておこう。特等行動監理官の久我宗一だ。早瀬悠真という少年の言葉は残念ながら本当だ。九条ヒカリ並びに遠野海羽。お前たちは、持ってはいけない思想を持ち、知ってはいけないことを知った」


 どこまでも冷たく感情のこもっていない声。

 久我は傘を閉じると、玄関の外に立てかけ、中へと入ると、シビルバンドを口元に当てた。


「対象、九条ヒカリ並びに遠野海羽。オーダー33、執行」


 海羽とヒカリのシビルバンドが同時に赤く点滅する。シビルバンドのディスプレイを見ると英語が表示されていた。


 【Order 33 received. Initiating execution protocol…】


 海羽がスコアを確認すると、【−―】と表示されている。何故か通信機能も停止していた。


「あんた、何したの……?」


 ヒカリの声は掠れ、顔は青ざめている。


「スコアの凍結とシビルバンドの機能制限だ。お前たちが平穏無事に暮らせる場所は、もうどこにもない」


 ヒカリが膝から崩れ落ちる。海羽は急いで駆け寄った。ヒカリが浅く、早い呼吸を繰り返すせいで過呼吸を起こしてしまう。


「ヒカリちゃんっ! ゆっくり呼吸してっ! お願いっ!」


 海羽は右手でヒカリの手を握りながら、左手で背中をゆっくり撫でる。

 久我は二人に見向きもせず、老人に近づき、シビルバンドで身分照会を行う。久我は表示された内容を見て、歪んだ笑みを浮かべた。


「まさか、こんな形でお前に会えるとは思っていなかったぞ、桐谷(きりたに)慎司」

「政府の犬め。さっさと出ていけ」


 桐谷と呼ばれた老人は、怒りを抑えながら静かに口にする。


「断る。お前は、先ほど彼女たちに機密情報を漏洩した。取引を無効にしたからにはわかっているな?」


 そう言って、久我は桐谷のスコアも凍結させた。


「俺が組んだプログラムに、俺自身が殺されるとはな。皮肉なものだ」

「お前たちのような人間を受け入れてくれる、唯一の安寧の場所に連れてってやる」


 久我が右手を挙げると、外で待機していた特殊武装に身を包んだ部隊が海羽達を拘束し、海羽とヒカリを引き離した。


「いやっ! やめてっ! ヒカリちゃんを離してっ!」


 だが、ヒカリは絶望した表情のまま、無抵抗に連れ去られていってしまう。そして海羽も続けて外に連れ出され、別々のヘリに収容された。海羽に続いて、桐谷も同じヘリに乗せられる。

 ご丁寧に椅子に座らされ、シートベルトで固定された。海羽達の搭乗席と部隊員の搭乗スペースはアクリル板のようなもので分断されている。部隊員が搭乗を終えると、ヘリは離陸した。


「桐谷さん。知ってることを教えてください。これは、どういうことなんですか」


 海羽は飛行音で部隊員に聞かれないと判断し、桐谷に話しかけた。


「俺は、L.I.Q.制度のシステムの基幹を設計するプログラムのプロジェクトリーダーだった。あの制度は、最初は純粋に、少子化対策のためのものだった。だが……」


 桐谷はそこで言葉を切る。海羽は「最初は」という言葉がとても気になった。


「スコアで自分の人生が決まる。そんな制度を導入すると、国民の反発が起こることは当然織り込み済みだった。そしてお役人どもは、その反発への対抗策として、最悪の選択をした」

「それが、行動監理官によるスコア査定と凍結処理……」

「そうだ。制度に反発的な人間は秘密裏に処理される。そんなことのために俺は、プロジェクトに参加したわけじゃない。本当にこの国の未来を憂いたからこそ……。だが、俺にはどうすることも出来なかった。結局、システムの基幹設計を終えたタイミングで、俺はプロジェクトを降りて、地方でスコアに関係のない人生を生きることにした。当然、機密情報を守るという契約を結ばさせられたが」

「私達は、スコアを凍結された人はどこへ送られるんですか?」

「沖縄の離島にあるアモリア島だ」

「アモリア島って、ハイスコアの人だけが入れるIRリゾート施設ですよね? どうしてそこに?」

「そこの地下で働かされると聞いている。ふざけた話だ」

「脱出する方法はないんですか?」

「俺はアモリア島には行ったことがないからわからないが、仮に脱出できたとしてもスコアを凍結されてるんだ。ホームレスになるのが関の山だ」

「桐谷さんは、システムの基幹設計に関わってたんですよね? どうにかできませんか?」

「当時の立場なら、スコア管理システムに侵入することも出来ただろう。だが、今の俺には無理だ」


 海羽は項垂れた。L.I.Q.制度が少子化対策として絶大な効果をあげたのは、私だってわかってる。それでも、私はこの制度に馴染めなくて、制度の外側にも価値があるんだって確かめたかった。それなのに、この国は、そんな感情を持つことすら許してくれないというの?

 それに。ヒカリちゃん……。


 ヘリは三時間ほど飛行を続け、着陸した。部隊員たちに両腕を手錠で拘束され、海羽は外へと連れ出された。

 暴風が吹き荒れている。嵐が近づいているかのように。アモリア島はL.I.Q.特区よりも洗練されていて、煌びやかな外観だった。天候のせいか、観光客の姿は見えない。


「お前たちはこっちだ」


 久我が発する言葉に連動するように、部隊員たちが海羽達の脇を掴み、連行される。

 前方にヒカリの姿が見えた。


「ヒカリちゃんっ!」


 だが、ヒカリは無反応だった。部隊員が海羽の後頭部を強く掴む。


「黙れ」


 海羽は唇を強く噛んだ。

 埠頭の近くを歩かされ、海の方を見ると、豪華客船が視界に入った。近くには小型船舶も停泊している。

 しばらく歩くと、物々しいゲートが立ち塞がった。久我がシビルバンドを認証端末にかざすと、ゲートが左右に開く。重い金属が擦れる低音が海羽の心を引っ掻いた。

 ゲートの奥は、先ほど見た華やかな施設とは異なり、質素で、有刺鉄線のついたフェンスが奥まで広がっていた。潮の匂いに錆びた鉄の匂いが混ざる。

 このままでは、本当に監禁される。そう思っても、左右からがっしりと脇を掴まれ、海羽の力では到底振り切れそうにない。それに今のヒカリは逃げられるのだろうか?


 背後で重々しい音が響く。おそらくゲートが閉じたのだ。

 最後のチャンスが潰えたことを、海羽は悟った。

 十人以上の人間が歩いているというのに、誰も言葉を発さない。足音だけがコンクリートに反響する。しばらく歩くと、寂れたドアが見えた。フェンスの先にはホテルらしき建物がある。ホテルと繋がっているのだろうか?

 海羽達はドアを潜ると、階段を降りて地下へと進まされた。薄暗い蛍光灯の光が、簡素なリノリウムの床を照らす。リノリウムはベタついていて、足裏がくっつくようだった。


 地下はまるで牢屋だった。鉄格子で様々な年齢の男女が閉じ込められている。全員が無表情で、海羽達に視線を向けようともしない。その瞳には深い深い影が宿っていた。

 先にヒカリが部屋に収容された。ヒカリは無抵抗で声を上げることすらしない。海羽は声をかけたかったが、何も思い浮かばなかった。

 海羽と桐谷は、ヒカリの部屋からしばらく歩いた場所に収容されることになった。部隊員のシビルバンドで牢屋が開く。隣の部屋に収容されようとしている桐谷は黙って、中へ入った。海羽は抵抗しようとしたが、部隊員に力づくで部屋に押し込まれた。手錠が外される。

 そして、鉄格子が閉じられた。


 *


 ヒカリは牢屋の中で、三角座りをして、膝に顔を埋めていた。その体は微かに震えている。

 湿ったコンクリートの匂いが鼻腔をかすめる。吐く息が膝を濡らす。

 顔を上げると、シビルバンドを操作して、スコアを表示させる。

 【――】

 残酷な表示に心臓が冷たくなり鼓動が止まりそうになる。

 気道が狭まり、あえぐような呼吸になる。

 あたしは、海羽と一緒にスコアの外側にあるものを探しに旅に出たはずなのに。どうして。どうしてこんなにも、スコアに縛られているの?


「あたしは、周りがあたしのスコアしか見ていないのが嫌だったはずなのに。あたしが一番、あたしのスコアしか見ていなかったってこと?」


 眉尻が下がり、泣き笑いのような表情になる。


「バカすぎるじゃん、そんなの……」

 

 *


 久我がヘリの位置まで戻ろうとすると、部隊員が久我に声をかけた。


「特等監理官。台風が接近しているせいで、風がどんどん強まっています。今、離陸するのは危険かと」

「沖縄本島まででも行けないか?」

「ここから十キロ程度ですので、それくらいなら可能だとは思いますが。アモリア島に宿泊されてもよろしいのでは?」

「公費でこんな豪華なホテルに泊まるわけにはいかない。本島にあるビジネスホテルでいいさ」

「わかりました。では、準備に入ります」


 久我がヘリに搭乗すると、すぐに離陸した。空から青い海と白い砂浜に囲まれたアモリア島を見ながら、久我が呟く。


「まさにこの世の楽園だな」


 *

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